「受験生のための『世界史B』」 もくじ
↑ここから各項目に入れます。
さて、前回は周の成立までをお話したと思います。
周は400年ほどがんばりました。
紀元前700年ぐらいから、周を脅かす勢力が発達してきます。
その代表が、西北部にいた犬戎(けんじゅう)です。
この「犬戎」という名前、実は蔑称です。
蔑称ってわかりますかね、太ってる人のことを「デブ!」って言ったりやせてる人を「ガリ!」って言うのと同じです。
まあつまり、ちゃんとした名前ではないんですね。
彼らはこれまでもたびたび中国王朝に侵入していて、中国の人たちの恨みを買っていたのでこんな呼ばれ方してるわけです。
ちなみに彼らは中国の西のほうにいました。名前が示すとおりですね。
で、東には東夷(とうい)がいましたし、北には北狄(ほくてき)、南には南蛮(なんばん)がいました。
これをすべて含めて四夷(四つの野蛮人ども)と呼びます。
もちろん、すべて蔑称ですね。笑
それで、今回は西の異民族が周を攻撃したわけです。
なんでも、周の12人めの王様の政治がひどくて、それに反発した家臣が犬戎を手招きしたらしいっすよ!
けんじゅう(変換するのがめんどい←)の攻撃に屈した周は、首都を移します。遷都ですね。
移した先は、洛邑。現在の洛陽ですね。このあともたびたびいろんな王朝の首都に選ばれることになります。
かろうじて遷都を行った周ですが、もちろんその勢力は衰えていきます。
周の統治方針の目玉であった封建制は崩壊し、諸侯(覚えてますか?)はそれぞれ「周王室を尊び、異民族を追い払う」というスローガン「尊王攘夷」を唱えつつ、諸侯の間の結束を強めようとしました。
(ここから、春秋時代(しゅんじゅうじだい)が始まります)
その中でも有力だった諸侯を覇者といいます。
カッコいい!
現代でも「~の覇者」とか言うのは、ここに由来してますね。
特に有名なのが、「春秋の五覇」と呼ばれる人たち。
斉の桓公、晋の文公なんかですね。これは覚えなくてOKです。
しかしやがて、諸侯それぞれの国々の対立が激化し、だんだんと諸侯たちは自分たちの勢力拡大に躍起になってしまいます。
あらあら、「尊王攘夷」のスローガンはどこへやら。
諸国間の統一はすっかり崩れてしまい、以降は戦国時代に。
春秋時代の「春秋の五覇」(やっぱカッコいいぜ!)がいたように、戦国時代にも有力な諸侯(すでに国を作っています)がいました。
その名も、
「戦国の七雄」
超カッコいいですね。
おれが選ぶ「『世界史B』カッコいい用語トップ100」には確実に入ってます。
さあさあ!
春秋の五覇は覚えなくてよかったけど、戦国の七雄は覚えてもらいますよ。
地図を出してください!
7つの国の位置がとても大事です。よくテストに出ます。
いいですか、右上から左下にかけて、
燕、斉、趙、魏、韓、秦、楚です。
「えんせいちょうぎかんしんそ」ですね。もう無理やり覚えろ!←
これとセットで覚えてほしいのが、それぞれの国々が使っていた貨幣です。
なんでそんなん覚えんなんのや!
という声が聞こえてきそうですが、これがなかなかおもしろいんですよ。
まず、貨幣の種類には3種類あります。
刀銭、布銭、円銭です。
それぞれの見た目は資料集なんかで確認してほしいんですが、とてもお金には見えませんよね(笑)
戦国時代の人々はこんな持ち運びしにくい貨幣で日常、買い物してたわけです。
刀銭は、燕と斉で使われました。両方とも中国東北部の国です。なんていうか、東北の寒い気候が刀をイメージさせません?←
布銭は、趙、魏、韓。布銭は農耕具を模して造られた貨幣でして、おそらくこのあたりでは農耕が盛んだったんでしょうなぁ(適当)
最後の円銭は、秦と楚。今の人々からみればいちばん「貨幣っぽい」ですね。
大事なのは、この貨幣が何でできていたかということです。
青銅だったんですね。
中国の人々はいつのまにか青銅を手に入れていたんです。
青銅のように形がはっきりとしていて、ある程度硬くて、そう簡単に壊れないものなら、お金としてもまあ信用できます(それまで使われていた貝殻のお金なんかに比べたら……)。
さらに、武器としても使えますよねー。
[農耕の発展による経済の活発化]
しかし、春秋・戦国時代で中国史にとって本当に大事だったのは、春秋の五覇やら戦国の七雄やらによる武力抗争のことではありません。
え? なに? ここまで説明しといてなんだよ!
まあまあ、落ち着いて。ご説明いたしましょう。
この時代、荒くれ者どもがお互い争っている一方で、農耕がものすごく発達しました。
その要因は何か。
牛耕、つまり、牛に犂(すき:わかるかな?)やらなんやらを引かせて畑を耕すという方法の普及が、まずあります。
人力でクワを使って耕すのと比べたら、確かに全然ちがいますよね。
都会にお住まいのみなさんにはわからないかもしれませんが、たとえれば、畑にコンバインがやってきたようなもんです←
さらに鉄製農具の出現。農耕面積が爆発的に広がりました。
今までは木製農具を使ってたんだから、ちょっと使いこむとすぐ折れちゃってたりしてたんですね。鉄ならその心配もない。
中国に対する西洋世界で初めて鉄器を使用したのはどこだったか覚えてますか?
ヒッタイトですよね。
彼らが小アジアに成立したのは紀元前17世紀ごろでしたから、それに遅れること1000年といったところか。
しかし、中国における鉄製農具の出現は、前述のように、農耕の発達につながりました。
農耕が発達すれば、今まで自分たちの食べるぶんにも困っていた農民の手元に、余剰作物が余ることになります。
農民たちは、それを売ろうとするわけです。余剰作物を売ったお金で、来年の穀物の種が買える。すると、町の中でお金が循環することになる。
こうして、「風が吹けば桶屋がもうかる」の理論で、鉄製農具の出現は経済の発達に行き着くのです。
経済が発達すればお金の取引きのために貨幣が必要になりますよね。そういったわけで、刀銭や布銭のような青銅貨幣も出現したのです。
農耕技術の発達⇒⇒⇒経済の発展という図式は、世界史の法則のひとつ。
覚えておいてください。
↑ここから各項目に入れます。
さて、前回は周の成立までをお話したと思います。
周は400年ほどがんばりました。
紀元前700年ぐらいから、周を脅かす勢力が発達してきます。
その代表が、西北部にいた犬戎(けんじゅう)です。
この「犬戎」という名前、実は蔑称です。
蔑称ってわかりますかね、太ってる人のことを「デブ!」って言ったりやせてる人を「ガリ!」って言うのと同じです。
まあつまり、ちゃんとした名前ではないんですね。
彼らはこれまでもたびたび中国王朝に侵入していて、中国の人たちの恨みを買っていたのでこんな呼ばれ方してるわけです。
ちなみに彼らは中国の西のほうにいました。名前が示すとおりですね。
で、東には東夷(とうい)がいましたし、北には北狄(ほくてき)、南には南蛮(なんばん)がいました。
これをすべて含めて四夷(四つの野蛮人ども)と呼びます。
もちろん、すべて蔑称ですね。笑
それで、今回は西の異民族が周を攻撃したわけです。
なんでも、周の12人めの王様の政治がひどくて、それに反発した家臣が犬戎を手招きしたらしいっすよ!
けんじゅう(変換するのがめんどい←)の攻撃に屈した周は、首都を移します。遷都ですね。
移した先は、洛邑。現在の洛陽ですね。このあともたびたびいろんな王朝の首都に選ばれることになります。
かろうじて遷都を行った周ですが、もちろんその勢力は衰えていきます。
周の統治方針の目玉であった封建制は崩壊し、諸侯(覚えてますか?)はそれぞれ「周王室を尊び、異民族を追い払う」というスローガン「尊王攘夷」を唱えつつ、諸侯の間の結束を強めようとしました。
(ここから、春秋時代(しゅんじゅうじだい)が始まります)
その中でも有力だった諸侯を覇者といいます。
カッコいい!
現代でも「~の覇者」とか言うのは、ここに由来してますね。
特に有名なのが、「春秋の五覇」と呼ばれる人たち。
斉の桓公、晋の文公なんかですね。これは覚えなくてOKです。
しかしやがて、諸侯それぞれの国々の対立が激化し、だんだんと諸侯たちは自分たちの勢力拡大に躍起になってしまいます。
あらあら、「尊王攘夷」のスローガンはどこへやら。
諸国間の統一はすっかり崩れてしまい、以降は戦国時代に。
春秋時代の「春秋の五覇」(やっぱカッコいいぜ!)がいたように、戦国時代にも有力な諸侯(すでに国を作っています)がいました。
その名も、
「戦国の七雄」
超カッコいいですね。
おれが選ぶ「『世界史B』カッコいい用語トップ100」には確実に入ってます。
さあさあ!
春秋の五覇は覚えなくてよかったけど、戦国の七雄は覚えてもらいますよ。
地図を出してください!
7つの国の位置がとても大事です。よくテストに出ます。
いいですか、右上から左下にかけて、
燕、斉、趙、魏、韓、秦、楚です。
「えんせいちょうぎかんしんそ」ですね。もう無理やり覚えろ!←
これとセットで覚えてほしいのが、それぞれの国々が使っていた貨幣です。
なんでそんなん覚えんなんのや!
という声が聞こえてきそうですが、これがなかなかおもしろいんですよ。
まず、貨幣の種類には3種類あります。
刀銭、布銭、円銭です。
それぞれの見た目は資料集なんかで確認してほしいんですが、とてもお金には見えませんよね(笑)
戦国時代の人々はこんな持ち運びしにくい貨幣で日常、買い物してたわけです。
刀銭は、燕と斉で使われました。両方とも中国東北部の国です。なんていうか、東北の寒い気候が刀をイメージさせません?←
布銭は、趙、魏、韓。布銭は農耕具を模して造られた貨幣でして、おそらくこのあたりでは農耕が盛んだったんでしょうなぁ(適当)
最後の円銭は、秦と楚。今の人々からみればいちばん「貨幣っぽい」ですね。
大事なのは、この貨幣が何でできていたかということです。
青銅だったんですね。
中国の人々はいつのまにか青銅を手に入れていたんです。
青銅のように形がはっきりとしていて、ある程度硬くて、そう簡単に壊れないものなら、お金としてもまあ信用できます(それまで使われていた貝殻のお金なんかに比べたら……)。
さらに、武器としても使えますよねー。
[農耕の発展による経済の活発化]
しかし、春秋・戦国時代で中国史にとって本当に大事だったのは、春秋の五覇やら戦国の七雄やらによる武力抗争のことではありません。
え? なに? ここまで説明しといてなんだよ!
まあまあ、落ち着いて。ご説明いたしましょう。
この時代、荒くれ者どもがお互い争っている一方で、農耕がものすごく発達しました。
その要因は何か。
牛耕、つまり、牛に犂(すき:わかるかな?)やらなんやらを引かせて畑を耕すという方法の普及が、まずあります。
人力でクワを使って耕すのと比べたら、確かに全然ちがいますよね。
都会にお住まいのみなさんにはわからないかもしれませんが、たとえれば、畑にコンバインがやってきたようなもんです←
さらに鉄製農具の出現。農耕面積が爆発的に広がりました。
今までは木製農具を使ってたんだから、ちょっと使いこむとすぐ折れちゃってたりしてたんですね。鉄ならその心配もない。
中国に対する西洋世界で初めて鉄器を使用したのはどこだったか覚えてますか?
ヒッタイトですよね。
彼らが小アジアに成立したのは紀元前17世紀ごろでしたから、それに遅れること1000年といったところか。
しかし、中国における鉄製農具の出現は、前述のように、農耕の発達につながりました。
農耕が発達すれば、今まで自分たちの食べるぶんにも困っていた農民の手元に、余剰作物が余ることになります。
農民たちは、それを売ろうとするわけです。余剰作物を売ったお金で、来年の穀物の種が買える。すると、町の中でお金が循環することになる。
こうして、「風が吹けば桶屋がもうかる」の理論で、鉄製農具の出現は経済の発達に行き着くのです。
経済が発達すればお金の取引きのために貨幣が必要になりますよね。そういったわけで、刀銭や布銭のような青銅貨幣も出現したのです。
農耕技術の発達⇒⇒⇒経済の発展という図式は、世界史の法則のひとつ。
覚えておいてください。
結果はどうあれ、それが自分の進むべき道なんだとしっかり自信をもってがんばってくださいね。