受験生のための『世界史B』

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受験生のための『世界史B』―ローマ[⑤ハンニバル戦記(下)]

2010-10-29 11:22:55 | 受験生のための『世界史B』(未分類)
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 ローマが過去2回に渡って激闘を繰り広げた、カルタゴ。

 彼らは、領土の大半を2度のポエニ戦争によって失いながらも、50年後、得意の海洋貿易によって再び繁栄を取り戻しつつありました。

 ローマは、おもしろくありません。
 
 だって、第2回ポエニ戦争では、(最終的に勝利したとはいえ)本土をハンニバルにめちゃくちゃにされ、自慢の重装歩兵軍団を皆殺しにされたのです。

 そんなカルタゴが?
 
 また勢力を盛り返している?
 
 ふざけんな! 
 
 
 そんな、ローマの怒りと復讐の思いが、次の戦争へとつながります。

 
 [第3回ポエニ戦争]

 主戦派と非戦派
 戦争に臨むにあたっては、必ずそのふたつの間で対立が起こります。
 
 意味は、字を見ればわかりますよね。
 「戦争するぞ!」というグループと、「戦争やめよう!」というグループです。
 
 第3回ポエニ戦争では、カトーという人物が主戦派、そしてあのスキピオが非戦派でした。
 
 どちらが正しいか、ということは一概には言えませんが……。
 
 ともあれ、カトーが勝ち、スキピオは失脚。
 カトーは、どんな演説の最後にも「カルタゴ・デレンダ・エスト(ところで、カルタゴは滅ぼさなければならない」、と付け加えたというほどの強硬派でした。 

 ローマはカルタゴを3年間、包囲しました。
 これが第3回ポエニ戦争になります。
 
 その陣頭に立っていたのは、皮肉なことに、スキピオの養子(小スキピオ:世界史では同じ姓の親と子を区別する際には「大」「小」で区別します)でした。

 ローマ軍は何重もの防壁を突破、カルタゴの町を略奪しました。
 建物には火をかけ、住民は虐殺し、生き残った者たちは奴隷として売り飛ばしました。
 
 今まで「外国人には寛容」と解説してきたローマらしからぬ、「蛮行」ですよね。
 
 焼け落ちていくカルタゴを見て、小スキピオは「ローマもいつかは滅びるのだろうか」とひとりごちたとされています。
 
 
 こうしてカルタゴは完全に滅亡し、100年の歳月をかけ3度に渡ったポエニ戦争はようやく終結したのです。


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