「受験生のための『世界史B』」 もくじ
↑ここから各項目に入れます。
はい、どうもこんにちは。
よっしゃ、ローマだ!
がんばるげん!!
特におれ、がんばるげん!!←
まず、ローマって何でしょう?
もともとは、イタリア(長靴みたいな形のアレです)の都市国家です。
それがだんだんと大きくなって、やがては「ローマ世界」なるものをつくり、世界の非常に多くの部分を支配する巨大な国家となったわけです。
でも、話の舞台としてはギリシアで学んだ地中海から動いてませんからまずはご安心を。
[ローマの誕生]
ローマを建てたのは、ラテン人という民族です。
もともとは羊飼いであったロムルスという青年が、弟のレムスを殺して、自らの名を冠した都市国家を作りました。
それがローマ。
ロムルスとレムスは狼に育てられたとする伝説もあります。
ローマははじめ、王政でした。
ひとりの王様が支配する国だったのです。
不思議なことに、その王はラテン人ではなく、エトルリア人というイタリアで勢力の強かった民族でした。
そこに至るには様々な事情があったのですが、それまではたとえ統治している王がいわゆる「よそもの」であってもローマはうまくやっていました。
しかし、タルクィニウスという傲慢なエトルリア人の王が現れ、ほかの多くの愚かな権力者と同じように自らの王位のことしか考えない彼にローマはついにしびれを切らし、彼を追放したのです。
ここをもって王政ローマは終わり、共和政ローマがスタートしました。
ただ、ココがローマ人のおもしろいところなのですが、エトルリア人の王を追い出したからといって、エトルリア人すべてを国内から追放したわけではありませんでした。
土木工事が得意だった彼らを、ローマはこの後ずっとずっと重用し続けました。
このローマ人の寛容な姿勢が発展のキーワードになっていきます。
[共和政ローマのはじまり]
共和政といっても、難しいことは何もありません。
ギリシアの政治も共和政でしたし、要するに王様がおらず、(表向きは)みんなで政治をやるんだと考えてくだされ。
さて。
さてさて。
国が発展し、社会が整ってくると、自然と階級というものができてきます。
スパルタならペリオイコイやヘイロータイ、
中世フランスなら貴族、僧侶、市民。
現代日本でも最近取り沙汰されてますよね。
で、ローマにも例にもれず階級ができていました。
貴族(パトリキ)と平民(プレブス)です。
( )内はラテン語なのですが、テストではどちらを書いてもOKのはずです。
おれみたいにカッコつけたいならラテン語で書いてください。
そして「ブレブス」などと書いてミスるがよい。←
ローマの政治の最高官職は、執政官(コンスル)といいます。
任期は1年で、2人でした。
そうなんです、2人いるのです。
当時は、まだ貴族から選ばれていました。
……しかし、コンスル(←カッコつけてみた)が最高官職とはいえ、彼らを指導していたのは300人の貴族で構成された元老院でした。
元老院は立法機関(法律をつくる機関)でしたので、まあ実際は元老院がローマを支配してたってことですね。
法律をつくれるってスゴい権力なのです。
まあ、ここまで見てくるとさ、
「なんだ、ローマも結局フツーの国じゃん、要するにお金持ちが政治やってんだろ」
ってなるじゃん。
でも、ここからがローマのおもしろいところなのです。
でわでわ、次回お楽しみに。
↑ここから各項目に入れます。
はい、どうもこんにちは。
よっしゃ、ローマだ!
がんばるげん!!
特におれ、がんばるげん!!←
まず、ローマって何でしょう?
もともとは、イタリア(長靴みたいな形のアレです)の都市国家です。
それがだんだんと大きくなって、やがては「ローマ世界」なるものをつくり、世界の非常に多くの部分を支配する巨大な国家となったわけです。
でも、話の舞台としてはギリシアで学んだ地中海から動いてませんからまずはご安心を。
[ローマの誕生]
ローマを建てたのは、ラテン人という民族です。
もともとは羊飼いであったロムルスという青年が、弟のレムスを殺して、自らの名を冠した都市国家を作りました。
それがローマ。
ロムルスとレムスは狼に育てられたとする伝説もあります。
ローマははじめ、王政でした。
ひとりの王様が支配する国だったのです。
不思議なことに、その王はラテン人ではなく、エトルリア人というイタリアで勢力の強かった民族でした。
そこに至るには様々な事情があったのですが、それまではたとえ統治している王がいわゆる「よそもの」であってもローマはうまくやっていました。
しかし、タルクィニウスという傲慢なエトルリア人の王が現れ、ほかの多くの愚かな権力者と同じように自らの王位のことしか考えない彼にローマはついにしびれを切らし、彼を追放したのです。
ここをもって王政ローマは終わり、共和政ローマがスタートしました。
ただ、ココがローマ人のおもしろいところなのですが、エトルリア人の王を追い出したからといって、エトルリア人すべてを国内から追放したわけではありませんでした。
土木工事が得意だった彼らを、ローマはこの後ずっとずっと重用し続けました。
このローマ人の寛容な姿勢が発展のキーワードになっていきます。
[共和政ローマのはじまり]
共和政といっても、難しいことは何もありません。
ギリシアの政治も共和政でしたし、要するに王様がおらず、(表向きは)みんなで政治をやるんだと考えてくだされ。
さて。
さてさて。
国が発展し、社会が整ってくると、自然と階級というものができてきます。
スパルタならペリオイコイやヘイロータイ、
中世フランスなら貴族、僧侶、市民。
現代日本でも最近取り沙汰されてますよね。
で、ローマにも例にもれず階級ができていました。
貴族(パトリキ)と平民(プレブス)です。
( )内はラテン語なのですが、テストではどちらを書いてもOKのはずです。
おれみたいにカッコつけたいならラテン語で書いてください。
そして「ブレブス」などと書いてミスるがよい。←
ローマの政治の最高官職は、執政官(コンスル)といいます。
任期は1年で、2人でした。
そうなんです、2人いるのです。
当時は、まだ貴族から選ばれていました。
……しかし、コンスル(←カッコつけてみた)が最高官職とはいえ、彼らを指導していたのは300人の貴族で構成された元老院でした。
元老院は立法機関(法律をつくる機関)でしたので、まあ実際は元老院がローマを支配してたってことですね。
法律をつくれるってスゴい権力なのです。
まあ、ここまで見てくるとさ、
「なんだ、ローマも結局フツーの国じゃん、要するにお金持ちが政治やってんだろ」
ってなるじゃん。
でも、ここからがローマのおもしろいところなのです。
でわでわ、次回お楽しみに。
お世話になります、感謝です