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吉永小百合さんも ≪ しむらの色≫ を愛しているようです。
先日『語りかける花』という本を読み、どっぷり志村ふくみっていう人に魅入ってしまった。
片っぱしからその著書を読んでみた。
『語りかける花』 『 伝書ーしむらのいろ ー』 『 晩禱(ばんとう)ーリルケを読むー 』 『 一色一生 』
『 一色一生 』は(第十回大佛次郎賞受賞作)でもある。
『 晩禱(ばんとう)』でドイツの詩人・リルケについてこんなことを記している。
「リルケは旅の時、常に聖書とヤコブセン(デンマーク詩人・小説家・植物学者でもある)の書物を持ち歩き、
片時も離さなかったという。
( ヤコブセンは≪無神論者の聖書≫と呼ばれている『 ニイルネ・リイネ(死と愛) 』という代表作をもつ )
ヤコブセンのいう無神論の主旨は、「神の肯定・否定を超え彼岸に期待することなしに、この世の地上に於いて
生ある中にすべてを見るべきであるということ」リルケが何度も繰り返し唱えていることと一である」。
聖書と無神論。 一見相反するものの中に大切なものが隠されているような、そんな気がした。
リルケの≪時禱集≫という詩集を論じながら、聖書・仏教・ロシアのイコン・ドストエフスキーなども引き合いにしながら、
生きるということへの深い思いを語る。 それは染色・染織の背後にある植物、生命への鎮魂書でもある。
話はドストエフスキーにまで及ぶ。 『語りかける花』より。
「貧しさは魂まで崩壊するとドストエフスキーは言っている。諸悪の根源とさえ思われるが、そんなに単純
に割り切れるものではない。同じように富も諸悪の根源になり得る。
どちらも人間の本質を抉り出す魔物である。
・・・・・・・・・・
人間は神の意志に叛き、富者はその特権を利用して人類愛をふりまわし、貧者を餌にしてますます
世間の称賛をうけ、世に蔓延ってゆく。
富者は救われようのない勘違いをして、途方もなく傲慢になり他者をも自分をも泥沼に落とし込む。」
ひとりの女性として、ましてや80の老坂を超えて90歳にもならんとする方が、≪人の生き・死に≫を
こうも深く思い、日々の命に向き合う姿勢には驚愕する。 それに加えエッセイ・文章も実に上手く感心しきりだ。
志村ふくみさんの創る ≪詩≫ も素晴らしく、かつ世界各地に旅をする ≪旅人≫ でもある。
まだまだ多くの著作もあるときく。
しばらくはこの90歳の美しい染織作家と≪素浪人・読書の旅≫を続けることとする。
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