スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

母のいま ②

2019年06月24日 | 雑感
先日骨折を余儀なくされた母が、函館の病院から同市にあるリハビリに特化した某病院に転院となった。

病室は5階、車いすを手押し、廊下の片隅で穏やかなひとときを過ごした。

窓の左に見えるは臥牛の山(函館山)、函館の街を一望できる見事な眺めだ。
 

  

いい眺めだねぇ! 感慨深く街を見渡して 母が言った。  

” 95年も ここで生きて来た。 なんにも思い残すことはない。 ” ” 幸せだったよ ” とも。
(東京や札幌にも一時住んでいたようだが、やはりここふる里・函館がすべてのようだ)

戦争もあったでしょ、そう問うたら  ” 過去は過去 いまがすべて ”  

半時ほど、聞き役にまわった。 今の事は忘れるが、不思議と昔の事は結構しっかり記憶している。

” 母さん もう少しだ  お互い 頑張ろうぜ! ”  心の中で そうつぶやいた。

来週またケアマネ同行し医師との面談だ。 状況によっては次の受け入れ先(施設)探しに入らねば。

母のいま

2019年05月25日 | 雑感
夜、私の母が入所している施設から、母が転倒し函館の病院に搬送されたとの一報があった。 

翌朝すぐ車を走らせ札幌から函館の入院先へ向かうことになった。 
 
大腿骨骨折という。 聞くところによると、椅子に座っていてバランスを崩し転倒したようだ。 
えっまさか! こんなんで骨折? 母はもうすぐ95歳になる。 歳をとるとは大変なものであるを実感する。

手術は急遽午後一番でおこなうことになったが、検査検査で疲れたとみえ、母は昼寝を決め込んでいた。

看護師さんが ” そろそろ手術しますよ~ ” って身体を揺するも反応なし。 夢の中だ。
仕方ないから寝たまま手術室へ移送、” これじゃ麻酔必要ないですね ” って言ったら看護師さんが笑う。 

私も幾度も手術を経験したが、結構覚悟して手術室へ入ったものです。 母にはいろいろ教わることが多い。 


横津岳の麓に位置する七飯町の実家、いまは空き家だがここに数泊した。

何があっても朝は来る。  早朝、いや薄暗いうちから山麓にフラーっと分け入る。 

  

ピー ピピ  鳥のさえずり ホー ホケキョ  うぐいす も啼く。  川のせせらぎの音に癒される。

さぁ 来るなら 来い !    令和に入ってからは、すべてを受け入れると覚悟したはずだ。 

ゆめ まぼろし

2019年05月11日 | 雑感
≪ 阿弥陀堂だより ≫ という古い映画がBSで放映されていた。  (南木佳士原作の映画化)

宿った命を失い、パニック障害に苦しむ女医の妻(樋口可南子)を連れ、売れない小説家の夫(寺尾聰)
が夫婦して東京から山村に移住、その村での阿弥陀堂を守る老女(北林谷栄)との交流を描いた作品。

映像もそうですが、穏やかな流れのなかでの人と人とのふれあい、そして優しさ ・・・。

あぁこんな自然豊かな場所で、こんな風に生きられたらいいなぁ。 そんな思いにいたるドラマでした。

優しさってなんなのでしょうね。

最近思ったのですが、事がおこるとその現象に、人はどうしても自分目線で考えてしまう。
相手の思いを 深く深く しかも穏やかに考えてみると、その現象さえまったく違って見える。


確かに見えた究極の優しさだったり。 人を信じるってそんなところにあるのかも知れませんね。 

今日からまた忙しく身体を動かすことに専念する。 嫌いな言葉だったが今は違う 救いにもなる。 
忙しいとは心を亡くすると書くらしいが、こころを空にし自念を払いのけるのもひっきょう。

クラブ野球もしかり、曲づくりに向けてのオカリナ・ギター・DTMにも挑戦したい。
拙い料理ですが日常作っているので、面白い美味のがあったらブログにも載せてみたい。 
ホノルルマラソンとやらにも出てみたいし、ピースボートに乗船し世界を巡りたいとも思う。  これみな 幻夢 ?

いいじゃないですか  この世のすべて しょせん ゆめまぼろしさ。 

阿弥陀堂だよりから ゆめまぼろしへと わけのわからないまま 屈折してしまいました。

  


青空の下で

2019年04月30日 | 雑感
今朝の札幌、雲ひとつない青空でした。 その青空の下、何もかもを忘れて 無心になれる瞬間。  

わが野球クラブ、今季の野外練習が始まった。 初野外でもあり30名ものメンバーが集った。

今日は4月30日 平成が終わる日でもある。  力いっぱい 本当に力の限り 白球を追いかけました。

守備練習時、初めて転倒をしてしまった。 若かりし時のように球を捕ろうとして故意にレシーブしたのではなく、
つまずいて そう 間違いなくつまずいて バランスをくずし 一回転してしまったのです。 

一生分の悔しさを この一瞬で味わった感じでした。 

4年ほど前 半月板損傷し手術した右ひざでもあり心配したが、幸いにもそれほどの影響はなく無事終えた。 

老いも 病も 令和に入りすぐにやってくると思われるどうにもならない運命さえも 覚悟 覚悟。

そう なにもかも全てを受け入れよう。  そんな思いで < 令 和 > を迎えることとした。

            


≪ 追 伸 ≫ 
西行の和歌に ≪ 願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃 ≫ とある。
今日は5月3日、午後から歩いた円山公園の桜、和歌の頃とは少し遅いが 凛と咲いておりました。



百 花 春

2019年04月16日 | 雑感
夜中眠れずに読んでいた立松和平の本に、
               道元「 正法眼蔵 」< 梅花 >の巻のこんな詩が紹介されていた。


   ≪ 百 花 春 ≫
      老梅樹は棘立ち枝乱れてはびこる
     今、一つ、二つと花開き
     清らかさを誇らず
     香りを誇らず
     春の姿を満面につくり
     春の息を草木にかけ
     禅僧の禿頭に春風を吹かせる
     突然変じ強風暴風となって荒れ騒ぎ
     また変じて大地を襲っては雪は漫々
     老梅樹のはたらきは限りがない
     寒さが身に泌みて息もとまる


無理でしょうけど、こんな変幻自在の老梅樹になってみたいものですね。

話は変わる。  
睡眠不足で不安だったが練習用ボールも預かっていたし休むわけにもいかない。

今日はクラブ野球の今季5回目の屋内練習日、屋内といえど下は土、前面にネットが張っている屋内グラウンドだ。
柔軟体操から始まり、ランニング・ダッシュ走・ティーバッティング・守備ノック・ハーフバッティングと2時間半、結構ハードな練習だ。

3年目にして初めてバッティング投手をかってでた。  結果は?  撃沈!  意気消沈! 
自分のイメージが高すぎるのか知らないが、情けなさと悔しさで涙が溢るる、そんな気持ちだ。

今年になって結構身体を痛めつけてきたつもりだったが、痛めつけ方がまだ足りないということなのだろう。

身の程を知りなさいと君は言う。    いやだ 身の程は知りたくないのである。


  



まもなく令和

2019年04月10日 | 雑感
歳のせいなのか、令和が真近というより自分が生きた昭和・平成が終わる感の方が強い。

世は令和・万葉集ブームに沸いている。  この二首が好きだ。

≪ 新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)≫  大伴家持
  末尾の一首。 新年を迎え、降る雪のようにあなたに良いことが重なりますようにと祈る。

≪ 世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり ≫  大伴旅人
  新年号・令和の典拠とされる梅の一首は、この大伴旅人邸での宴で詠まれたとされる

当ブログに こんなのも書いていた。 読んでみて下さい。

   万葉の酒呑み  万葉の秘密  万葉の歌パートⅢ  

私ごと、今年で3年目に入る草野球クラブの今季練習(4月いっぱいは屋内)が始まった。
野球は今年で最後にしようと思っている。 とにかく自念を空にし怪我も覚悟で力いっぱいプレーしたい。

4年前のこと、楽器を習っていたが、急遽の入院で8ヶ月目で断念を余儀なくされたことがあった。
その習っていたのはオカリナという小さな楽器で、ようやく あの物悲しい童謡 『 雨がふる 』 を覚えた頃であった。
今度は独学で再挑戦、野球を終えたら曲づくり(オカリナ?・ギター?・DTM?)もしてみたいと思っている。      

        

2度の大病では かの神さまに祈って命を救っていただいた。 この世で1曲くらい捧げてもバチは当たるまい。

とにかく 令和で何があっても どんな苦しいことがあっても 凛としなきゃ と そう思う。


新元号 ≪ 令 和 ≫

2019年04月01日 | 雑感
昔、そう かなり昔だが、ある音響メーカーの研究施設に無響室というのがあって、体験する機会があった。

説明によると、部屋を外界から遮断され、音の反響を無視できるほど極小に設計されたもので、
部屋は真っ暗闇、手を叩いてみたがパチンと じゃなく ” ボスッ ” と そんな感じだったのを思い出す。


我々の日常で体験する静寂なる世界とは 外界からの寄せ集めの音が混じり合っての静寂。
この部屋に長くいると精神が不安定となり、中には数分いると ここから出たいと嘆願するという。

何にも反応がない、声も 音もしない、そんな真っ暗闇 暗黒の世界に 人は耐えられるだろうか。

いずれ、いや 近々 誰もが旅立つ銀河宇宙を思い 暗黒に耐えうる精神力をつけなければ。
死に立ち向かうとは 意外とそんなことなのかも知れない ・・・ なんて最近ふと思ったりする。 

話は変わるが、先ほど5月からの新元号が 『 令 和 』(れいわ)と決定、菅幹事長からの発表があった。
凛としていて なかなかいい。  しかも典拠が初めての国書 < 万葉集 > からとは驚いた。

暗黒の話をしている時ではないのだ。 

≪ 時に初春の月、気淑く風ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす ≫

       

これで昭和・平成・令和 三世を生きることとなる。 たとえ真っ暗闇でも 懸命に生きなければ、そうも思った。 
 







イチローさん

2019年03月23日 | 雑感
世界のイチローが引退した。  

東京ドームでの2戦、そして1時間25分の引退会見、一言一句逃すまいと私もテレビにかじりついて観ていた。 
確か会見が終わったのは夜中1時30分頃だった。
  

私も手を合わせてヒットを願ったが願い空しく、イチローのプロ野球人生は最後30打席連続無安打で終わった。 
ブランクが長く試合感もしかり、打撃の衰えも ・・・ イチローにしかわからない苦しみだったに違いない。  

” フラフラだが懸命に生きている姿、それを見ると頑張らねば ” 老いた愛犬(一弓)にそう思ったという。

これでいいのだ、そうも思った。  どうにもならない、人生とはそんなものなのかも知れませんね。

窓のそとを見れば また 雪 雪 雪 。  東京は桜が開花とか、札幌の今 銀花 が舞っております。

自分も ” フラフラだが懸命に生きなければ ”  一弓さんには負けられません(笑)  

ランの花

2019年03月15日 | 雑感
近くで開かれていた花展で撮ったものですが、ランが咲き誇っておりました。 

ランは野生種だけでも約1~3万種もあるといわれており、改良された園芸種をいれるとその数なんと
地球上で確認された植物(維管束植物)の約1割近くがランということになるらしいのです。
  


 

 

 

 


それにしても花々の美しさ、いつかんがえても どうかんがえてみても 不思議。

そろそろ桜の咲く季節となりました。  九州や東京では3月末頃が満開の予想だそうですよ。

                                    (札幌は5月初旬らしい)                                 

小棚にあった一冊

2019年02月26日 | 雑感
< メトロ文庫 > という近所の地下鉄改札口にある小棚で見つけた本一冊。
ふらっと出かけたある日、札幌駅北口付近で コーヒー飲みながら読んでみた。 

多喜二の母・セキさんの目と口を通してその家族への思いを綴った三浦綾子の 『 母 』 という文庫本であった。
多喜二というは、あの 『 蟹工船 』 を書いたプロレタリアート作家小林多喜二のことである。

見事な筆力。 何年振りだろう 三浦さんの小説は 『 塩狩峠 』 『 氷点 』 以来読んでいなかった。 

多喜二とその母の生きざまも凄いが、彼を愛しても結ばれなかった女性・タキさんに心を奪われる。 

ここ数年のことだが、歳のせいか、無性に涙もろくなってきている自分がいる。
どうもいけない。  本を読んでも ドラマを観ても すぐ涙がにじむ。 

人間って どうにもならないことってあるのですね。 私も晩年になりようやく解ってきた気がする。
遅きに失す か。   三浦綾子はいいですよ、良書なので上の二冊と共に是非一読をお薦めします。

今朝の札幌は 君にはまだ春は来ないよ と言わんばかりに ゆきが舞っていた。 

 

スノーマン 雑記

2019年01月13日 | 雑感
新年から ( 正確に言えば2日から ) とにかく毎日身体を動かしジョギングをかかさない。 

残された余生の短さを愁う、それとも漂う不安や自念を振り払う為なのか 俺にとっての 行 。

吹雪でもジョギングと称して雪中に飛びだすものだから、 ” 何かにとりつかれたよう ” なんて言われる始末だ。

10月には古希とやら。 でも 気持ちも 身体も アラフィフあたりか、自らを勘違いをするように仕向けている。

” そう無茶しなさんな! ” 声も聴こえてくるが ・・・ そんな優しい声は 抹殺!

美しく降る雪は 銀花といい、大片の雪は 花びら雪 というのだそうだ。

そんな ゆき ゆき ゆき が舞っている中を ひたすら 走る 。  いまは これしかない。 

       

病床のメモ紙

2019年01月11日 | 雑感
断捨離をしていたら8年前入院した時の手のひらサイズのメモ帳が出て来た。
新年早々からこんな話でごめんなさい。

3ヶ月の入院だったのですが、入院日から手術日迄(約2ヶ月)の日記断片メモでした。
当時の事は鮮明に記憶しているが、書いたのは忘れており、見つけた時はなんとも不思議な思い。  

メモはたとえばこんなふうです。 
12月2日 入院1日目
   ペット(全身)検査・レントゲン・MRI検査・細胞診検査。
   前日の新患で、翌日の即入院を推され10時に急ぎ入院した。

12月5日 入院4日目
   心臓超音波・クレアチニンクリアランス尿検査・磁気共鳴画像検査・甲状腺細胞診検査。
   午前中○○医師から状況と今後の治療方法説明受ける。
   ステージ3の舌ガン・左首リンパに転移・甲状腺にも腫瘍あり(検査中)。

12月24日 入院23日目
   放射線治療11回目 予定通りにいけば折り返し点である。
   気合いでここまできた。 あとは神のみぞ知る!  味覚が無くなった。 口中も痛む。

都合22回の放射線治療をしたようだが、微熱・口中や胃の痛み・けだるさ・味覚喪失の症状、
手術に備えての歯の抜歯(4本)、体重減の様子、見舞客への感謝の意、不安な思い等が記されていた。


入院61日目(手術日)の朝でメモは終わっている。 

その数年後今度は原発性ガン・腎臓を患ったり、どうもガンに気に入られているようで笑うしかないようです。

私の身内も長年の難病・膠原病の一種である全身性エリトマトーデスに加え、昨年脳動脈りゅう
とやらで手術を余儀なくされて、かろうじて頑張っている状況。 

とにかく前を向かなきゃならない、この断片メモ帳は捨てることとしました。 


2019 ゆきの降る日の誓い

2019年01月02日 | 雑感
10年前心に誓ったことがあるのですが、何も果たせず月日がたってしまいました。

病気とかなにやらで ・・・ 言い訳無用ですね。  自業自得。

年末年始、自分のいたらなさを、その月日の残酷さを、いま一度考えてみました。

 
先のことは言うまい、今年一年しか生きられないんだ、との思いを強く抱き
一日一日を 精いっぱい生き切ってみせる。   そう考えるに至りました。


朝起きて、冷たい水で顔を洗い、歯を磨き、 ・・ 日常を真剣に。  無論身体も鍛えて。
切れた糸は結ぶ !  瞬きみたいな人の一生  老いよ 病よ 死よ さぁ 来るなら来い !    
 

誓ったことはやり抜かねば。   窓のそとは ゆき ゆき ゆき。  


老いにはアイゼン

2018年12月28日 | 雑感
札幌は雪また雪の今日この頃です。 老いると雪道(特に氷)歩くのが億劫になってくる。

先日、何をばかなことを とは思いつつ、アイゼンを引っ張り出して登山靴(ショート)に装着、
歩いてみたらこれがまた実にいい。 ザックザックとさすがアイゼン、ほとんど滑らないのである。
  

調子に乗って、札幌栄町からすすきのまで片道だが歩いてみた。(物好きにも程がある?)

信号渡るところと、さすが大通りが近くになると歩道はヒーティングになっており、
余計なことをしなくとも(笑)と思いながらも残る雪道を探しながら、すすきの迄辿り着く。

奮闘約2時間、目的の「札幌スポーツ館」に到着。 

以外でした。下手な滑り止めシューズよりお薦め、アイゼンは老いにはもってこいの代物です。

≪ 老いること すなわち また 生きることなり ≫ 
時代小説 「三屋清左衛門残日録」の一節なのですが、老いるって本当に大変なことですね。

さてさて、心して2019年を迎えることと致します。 

        

冬ごもり

2018年12月06日 | 雑感
札幌もめっきり冷え込んできました。  そろそろ冬ごもりです。

12月、思えば8年前と3年前大病で入院したのもこの月、悪いイメージしかない月なのですが、
今般の定期検査では異常も無く、ホッとしているところ。 これでも以外に気持ち弱いのです(笑)。

それにしても早い。 もう2018年も終わりだ。
勿論大したことはないのですが、今年は自分なりに精一杯生きたような気がします。

来年のことを言えば鬼が笑うと言いますが(今は言う人もいないか!)、
残り少ない生を今一度しっかり考えて、年末年始を過ごしてみようなんて思ったりしています。


北原白秋の詩に ≪ バラノキニ バラノ花サク ナニゴトノ 不思議ナケレド ≫ というのがあります。   

世の不思議を素直に受け止めて日々を過ごしたい、そんな師走入りした今日この頃です。