いわゆるIR法による大規模カジノをみなとみらいに建設しようという構想騒ぎが横浜でも起きている。
当方は1982年-1983年に米国東海岸に滞在していたので、古い資料を探していたら、アトランティック・シティツァーの手書きの文章が見つかった。巨大カジノの底知れぬ怖さを、1982年10月のアトランティック・シティ訪問で感じたので、時事問題として記録します。
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アトランティック・シティを訪問して
ある上院議員(!)達が米国東海岸にもラスベガスの如き大カジノ都市を作るべきだと主張して70年代前半に、海岸沿いに建設開始されて、この10年間にアトランティック・シティは目覚ましく発展してきた。男性雑誌で有名なプレイボーイ社が強力に後押しをしており、1982年現在20ヶ所の巨大なカジノビルディングが立ち並んでいる、
このアトランティック・シティは車でNYから2時間、DCから3時間の好位置にある。当方は、米国滞在中に多分ラスベガスへ寄ることはないので、私のアパートがあるグリーンベルト市の広報誌にアトランティック・シティ無料日帰りバスツアーの案内があったので申込んで、カジノ見学に行ったわけである。
バスに乗り込むと10ドル分のスロットマシン用のコイン束100枚分が渡された。その時バスに乗っていた中年の女性陣の歓声とともに、彼女らの目がキラキラと輝いたのを覚えている。
3時間足らずのバス旅行で、美しい海岸沿いのアトランティック・シティに到着した。多くのカジノビルが立ち並ぶ中で、特にプレイボーイカジノは大きく、有名である。大方のバス同乗者とともに当方も最初にこのプレイボーイ・カジノを「見」にいった。例のバニーガールがギャンブルを取り仕切っており、満員に近い状態であった。
週末の土曜日だったが、ごく普通の庶民が押し寄せていた。特に中年のおばさま方が多いことに驚いた。釣り餌の10ドル分を使い切ると、すぐに100ドル札が飛び交う状況になるのに30分とはかからなかった。日本のようなパチンコ屋は東海岸にはないので、ギャンブルとなればカジノが魅力的なのであろうか。
持ってきた百ドル札が無くなりカラっ欠になったオバサマ方は大銀行のVIPカウンター並の洒落た場所で豪華なグラスの無料ドリンクをお替わりしながら、クレジットカードをせわしく出し入れしていた。
バスに戻ってから飛び交ったお話からは何百ドルすったでは済まず、千ドル以上すってしまった人も多かった。たった5時間足らずの滞在で皆さん大金を失っていた。10ドルの釣り餌コインで胴元は大儲けをしていたのであろう。
多少は自己責任の大人はまだいい。
一番気になったのはこのカジノ都市の周辺から集まってきているおびたたしい子供たちである。この都市の持つ毒々しい雰囲気の中で、うろついている子供たちの目は、必死の形相であった。大人のやり残したコインでスロットマシンを器用にこなして、何十ドルかを稼ごうとしている子供がいた。また落ちているコインを拾い集める子供の動きは素早い。落とした大人が拾う寸前でコインをゲットしようとしている。
日本には膨大な数のパチンコ屋があるが、カジノビルに比べれば、はるかに小規模だと思われた。もし日本でカジノが公認されれば、一番巻き込まれるのは女性と子供ではないかとつくづく思われた。
広い広いフロアを埋め尽くすスロットマシンが出すあの独特の音が耳について離れなかった。
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横浜の海岸沿いに公認カジノができた時、アトランティック・シティの二の舞にならない保証はないと思う。横浜という街の高品位のブランド価値が地に落ちることになりかねない。
すでにアトランティック・シティは、ひどくさびれており、プレイボーイ社など莫大な儲けをした胴元・主役たちの姿は無いということです。