九州大学ワンダーフォーゲル部

2016年冬に作りました。九州大学ワンダーフォーゲル部公式のブログです。部活動の内容を紹介していきます。

インド、ネパール旅 2017/2/16-3/10

2017-04-17 23:40:33 | 個人活動(海外)

2017/2/16-3/10

隊員:馬渡、奥田、吉良

記録:馬渡

 

春休みを利用して、インド・ネパールに行ってきました。簡単にまとめさせていただきます。

 

2/16 福岡→上海観光→デリー

 福岡空港での見送りに大島先輩が来てくださった。餞別としてチロルチョコの詰め合わせをいただいた。山で美味しくいただきました。

 浦東国際空港に着き、リニアで中心部へと向かった。そして地下鉄を乗り継いで上海動物園へ。入園してから歩いて15分の間はさびれた動物の置物しかないが、そこからはまあまあの人と動物がいた。中でもパンダは活発にしていたのでおすすめ。

 動物園にしっかり3時間くらい滞在して空港に戻った。最後の日本食として日本の牛丼チェーン店にて晩餐。余裕をもってデリー行きの飛行機に搭乗。機内にはターバン頭のおじさんがかなりいてインドに向かっている実感が湧いてきた。

上海動物園のパンダ

 

2/17-19 デリー、アグラ

 深夜にデリーに着いたため、朝まで空港でビバークした。早朝になり、エアポートメトロでニューデリー駅に向かう。このメトロの車輌はインドの乗り物の中で最も清潔だと思う。ニューデリー駅を出ると暗がりの中にリキシャドライバーが見えたが、目的の宿を目指して素通りした。しかし、その先の鉄道駅は選挙があっているらしく越えられなかった。通行するには政府の許可証が必要で、それを取得するためにリキシャに乗せられた。残念ながらそのままよく分からない旅行代理店に連れて行かれ、そこで騙されていたことに気づいた。金銭的被害は無かったものの、インドの洗礼を受けることになってしまった。その後声をかけてきたインド人も同じように旅行代理店に連れて行こうとした。デリーで声をかけてくるインド人の99.9%は詐欺師、という説を誰かに検証してもらいたい。

 初めてのインドは臭くてうるさかった。その匂いは野良犬、野良牛、人のし尿と道の脇に積み上げられた生ごみからきているのだと思う。また、観光客に向けられる呼び込みの声や車やバイク、リキシャのクラクションが絶え間なく響いているため、慣れるまでは頭がおかしくなりそうだった。車やバイクの運転も荒く通りを歩くだけでも轢かれそうになるのでここでもストレスがたまった。

 インドといえばタージマハルを思い浮かべる人も少なくないと思う。そのタージマハルのあるアグラへはデリーから片道2時間弱で行くことができる。アグラの見所としてはタージマハルとアグラ城くらいしかないため日帰りで十分観光可能である。アグラの駅を出ると数十人のリキシャドライバーがいて圧倒された。タージマハルは駅から5km、リキシャで20分ほどかかる。タージマハルに入場するときはお馴染みの荷物検査があり、基準はよく分からないが食べ物や本は預けるか捨てなければならない。吉良は袋入りパイン飴とトランプを捨てるはめになった。目的のタージマハルは左右対称が美しいのだが、訪れたときには一つの尖塔が作業中のため左右非対称で残念だった。アグラ城から見えるタージマハルは一見の価値あり。

 アグラに行った次の日に22時発の夜行列車でヒンドゥー教の聖地、バラナシへ向かった。

 書き忘れていたが、奥田はデリーに着いたその日にメインバザールを歩いている途中、スマホをすられてしまった。念のためにクレジットカードも停止することになったが、以前のアメリカでも同じ手続きを経験していたため、慣れた手つきで進めていた。インドでもスリには気をつけたい。

 

 

2/20-24 バラナシ

 定刻通り11時ころにバラナシに着いた。初めての寝台列車は3Aというクラスでなかなか快適だった。ただ、荷物を取られることが多いらしいので荷物の管理には注意が必要。その日泊まる宿にピックアップを頼んでおいたので何のトラブルもなく、宿に着いた。昼食を済ませて散歩に出た。バラナシはガンジス川に沿った場所にあり、沐浴や洗濯、火葬などをするためのガート(川に向かって階段が下りている場所)が数十箇所もある。その日は火葬場を見学しに行った。そのガートは24時間体制でインド中から集まる遺体を燃やしており、数mくらいまで近づくことができる。写真を撮ろうとすると怒られるらしいので注意。遺体は薄い布に包まれてはいるものの、風や焼けていく過程でその役割を捨て、直接遺体が黒こげになっていくのを目にすることができた。遺体は3、4時間かけて灰に近くなり、ガンジス川に流されていくらしい。

 バラナシには、デリー以上にたくさんの野良牛がいる印象を受けた。また、大通りから離れるとかなり狭い通路が入り組んでいるため、そこで牛と出会うと、すれ違うのに命を賭けることになる。

 バラナシでは体調を崩す旅行者が多いらしく、自分も例に漏れず、嘔吐、微熱、下痢に襲われ、2日ほど寝込んだ。他の二人も下痢期に入った。奥田君は果敢にも観光用ボートからガンジス川にダイブしてくれた。その直後に水を口に含んでしまったらしいが、インドでは下痢の症状だけに留まったようだった。後日談として、彼は帰国してから1ヶ月経った今でも体調不良が続いているらしい。

 とあるガートにて

※下痢期

 インドでは多くの旅行者が下痢の症状に見舞われる。食欲のない状態だと水のような下痢になるが(下痢期)、ある程度回復して物を食べられるようになると土砂のような下痢になる(土砂期)。それを乗り越えてノン下痢期に入る。普通、このサイクルには1週間くらいかかる。ただし、この説に医学的根拠はありません。

 

 バラナシに滞在中、一日だけ車をチャーターして200kmほど離れたブッダガヤを訪れた。ブッダガヤは仏陀が悟りを開いた地ということで世界遺産などを含めて複数個所巡った。それよりも凄かったのがインド人ドライバーの運転だった。激しい車線変更とクラクション、車内に爆音で流れるインドミュージックはとても快適なドライブとは言えなかった。

 ブッダガヤにて

2/25 移動(バラナシ→カトマンズ)

 バラナシを22時のバスで出発し、かなりの悪路を進む。深夜の2時ころ起きると嘔吐物の匂いが鼻についた。通路を挟んだ隣の席のおそらく現地人が床に向かって盛大に吐いていた。もらいげろしそうになるのをこらえ、眠りについた。朝の5時ころ国境の町スノウリに到着し、2時間くらいで入国と出国を終えた。バスは再び走り出し2時間ほどのところで突然停車した。バス自体にトラブルが起きたらしく、スタッフが数人がかりで対処していたが、良くなる兆しは見られなかった。結局、再び走り出すまでに5時間待つことになった。カトマンズに着いたのは21時過ぎだった。武田鉄也みたいなネパール人にホテルを進められたが、もう決まっていたので断った。

 

2/26 カトマンズ

 アンナプルナに入山するためには許可証が二種類必要であり、ポカラに向かう前に揃えておく必要があった。申請には料金と証明写真が必要とのことだったが、申請した場所で無料撮影できるので安心。実際、奥田はネタ用で撮影してもらっていた。

 カトマンズは聞いていたとおり、砂埃が多かった。野良牛はいないものの、砂埃で視界が悪く、大気汚染のためか空もどんよりしていた。

 

2/27-3/5 ポカラ

 2/27朝にカトマンズを出たバスはそれほど遅れることなく15時ころにポカラに着いた。進めるだけ進もうということで、タクシーを使って登山口へ向かった。フェディという集落から単調かつ急な斜面を登ること1時間、ダンプスに着いた。マイナーなルートのためか人が少なく、宿には自分たちの他に1組しかいなかった。通された部屋は広々としていたが、トイレの水が流せなかった。(16:15 フェディ→17:15 ダンプス)

 

 2/28翌日は持っていたクッキー類で朝食を済ませ、出発した。登山道自体は日本に比べても整っており、歩きやすかった。ニューブリッジからチョムロンにかけての登りと下りがかなりきついが、時折見える8000m級の山々には感動した。(7:15ダンプス→10:20トルカ→11:30ランドルン 1時間昼食休憩→13:25ニューブリッジ→16:30チョムロン)

 

 3/1チョムロンを朝に出て急な坂を下り、そこからまた急な坂を登るとシヌワに着く。ここで下痢のため食欲を失っていた奥田の動きが止まった。かなり苦しそうだったため吉良を最後に歩かせてゆっくり進んだ。そこから激しい坂はなく、標高2800mのヒマラヤに着く。夕食時には雪と雹が降った。(8:30チョムロン→10:15シヌワ→12:05バンブー 1時間昼食休憩→14:00ドヴァン→15:20ヒマラヤ)

 

 3/2朝起きると、かなり冷え込んでいて雪が積もっていた。MBCの手前まで来ると腰の位置まで積もっている所もあった。MBCにかけての急登を進んだ。3200mまで標高を上げてきたため、頭痛が始まり、雪も降ってきた。ABCに向かうときには雪が強くなり、視界も悪くなっていた。ABCに着いたときには、期待されていた景色はまったく見えず、頭痛も激しさを増してきたため写真を撮って逃げ帰った。(6:30ヒマラヤ→7:30デオラリ1時間半朝食休憩→11:00MBC(マチャプチャレベースキャンプ)→12:25ABC(アンナプルナベースキャンプ)→15:10デオラリ→16:20ヒマラヤ)

 

 3/3最後の日はひたすら下った。途中激しい登りのせいで下痢期の奥田君がダウンしたがなんとかその日のうちにポカラまで戻ることができた。(6:45ヒマラヤ→7:30ドヴァン→8:10バンブー 1時間朝食休憩→10:00シヌワ→12:20チョムロン→13:35ジヌー→14:40ニューブリッジ→16:35シワイ)

登山道に馬

 

 トレッキングのまとめとして、登山道が整備されているため、歩いていて道に迷うことはなかった。また、ABCまでに集落がいくつもあり、食事休憩や宿泊に困ることはなかった。食事に関しては集落にあるレストランで摂ることができ、メニューはどの小屋も似たようなものがある。安く済ませるならフライドライスかチョーメン(やきそばもどき)になる。ただし、標高が上がるにつれて物価が上がるため、3000mくらいになると1食500円はかかってしまう。宿にはベッドと布団が用意されていて、ホットシャワーやwifiもあった。(ただし、標高が上がると有料のところがほとんど)よって、防寒着の用意さえ十分であれば、シュラフ無しで寝ることもできた。

 ABCにて

 

3/6-7 カトマンズ

 登山の疲れを、日本食を食べることで癒した。

 

 

3/8-10 デリー

 メインバザールに戻り、通りを歩いていると建物の上から水風船を投げつけられた。2017年初めて怒りという感情が湧いた。帰国までの時間がかなりあったため、インド映画に挑戦してみた。上映中に広告のあと国歌斉唱があることや作品の途中で休憩の時間があることなど面白かった。

 

 

 以上、旅の記録になります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。インド・ネパールに行く際の参考にしてみてください。


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