メメント・モリ

2006-01-09 16:52:08 | Weblog
 “メメント・モリ”という数年前から大事にしているラテン語がある。意味は『死を想え』。ちなみに上の写真は藤原新也のメメント・モリという写真集の中にある一枚である。私達は毎日飯を食べて仕事や趣味や勉強をし、そして眠りまた朝起きる。親戚や祖父母の死に接したりして何となくいつかは自分も死ぬという事を解っているつもりでも、やはり何処かで『まだ何十年も生きれる』という前提で毎日を過ごしている気がする。ルーティン化した生活がいつまでも続き、何となく“平均寿命”という曖昧な所まで生きれるのではないかという奇妙な認識が生活を覆ってるのだ。しかし、平均寿命というのはあくまで多数の他者達の平均であって自分がその程度に生きれる事を保障しているのではない。
 ルーティンは同じ時間が二度とは戻ってこないという単純な事実を人々から忘れさせ、そしてその結果“死”を何処か遠くに追いやってしまう。日常に自分を埋没させて生きる事。そこには、とある拍子に明日にでも死んでしまうという可能性が抜け落ちている。偶然性やら未規定性の認識が欠けているのだ。
 “今”が続くと考える事は時間の一回性の価値を濁らせてしまう。実はこの瞬間もゆっくりと、しかし確実に死に向かっている。同じ瞬間は絶対に戻ってこない。時間は直線的に進み、生まれた瞬間から死へのカウントダウンは始まっているのだ。日々私達は死んでいる。そう考えるとこの瞬間が生き生きと見えてくるのではないだろうか。同じ人といても、同じ場所にいてもそれは以前とは徹頭徹尾違う時間なのだ。
 死を想うという事は人間に“有限性”を再認識させる。“死”というモノがリアリティを与えないのならば、なんでも小さな区切りとして、物事の“終わり”を意識してみればいい。例えば卒業、恋人との別れ、20代の終わり、退職。何か自分にとってリアリティのある終わりを意識する事で今見えてる景色が切実なものとして自分に迫ってくるだろう。腐れ縁の昔から変わらぬ仲間と同じ飲み屋にいても、長年付き合った同じ恋人と以前と同じ公園で手を繋いでたとしても、それはきっと本当は物足りない事ではないのかもしれない。その目の前にいる他者と全く同じ時間を全く同じ気持ちや自分で共有する事はもう二度と不可能なのだ。そう考えると、彼等の表情、言葉、仕草、体温、周囲の景色、その全てが本当に本当に大切なモノであるとわかる。少なくとも自分はこの言葉を意識してからは、身体や精神がルーティン化されている時があっても、時々日常という地面から顔を出して“今”のありがたみを以前より感じる事ができるようになったと思う。

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12 コメント

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お邪魔します (矢島)
2006-01-09 04:08:37
最近レポートに追われ、不安な日々を過ごしていましたが、貴方のブログを見て勇気が湧きました。ありがとう。これからも色々なことを書いておくれ。そうしてくれたらとても嬉しいよ。
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わざわざありがとう (逸郎)
2006-01-09 04:37:29
 コメント本当ありがとう。そう言って貰えると凄い嬉しい。こちらこそ勇気を貰った気がします。こういう場でのコミュニケーションって何か特殊で非常に面白いよね。ネタがあったら気まぐれに投下するんで、暇な時間が有ったらまた遊びに来てコメントしてやってくださいね。レポ頑張って!
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刺激を受けます (正史)
2006-01-09 20:02:38
僕も明日テストでイライラしてます。中学、高校の時から、前からやっておけば、と思いつつ今も同じ状況に至るわけです。全く成長しない自分、行動にうつせない自分に腹が立ちます。頭の中で考えることは楽ですが、行動にする事が一番難しいように思えます。楽な方に、楽な方に向かおうとし、それを頭ではいけないと思っても行動にできない。今からでもそういう自分を変えていきたいと、逸郎のブログを読み思いました。これからも刺激を与えてくれるような内容楽しみにしてます。
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>>刺激を受けます (逸郎)
2006-01-10 00:02:44
 正史わざわざありがとう。貰った言葉で刺激を受けるのはこっちも同じです。こんなブログで良かったら今後とも宜しくお願いします。小さな事からでも“行動”できるかどうか。自分も最近そのことの重要性を痛感してます。
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ありがとう! (テツ)
2006-01-10 09:59:19
逸郎、ブログの案内ありがとうな。



すっげえいいじゃん!

言葉の選び方、視点、俺は大好きです。



「成長」を意識してる逸郎に安心しました。

あの時のお前の目の強さ、オープンな姿勢を

思い出して朝からほんっとに心地いいです。



ひとりの「人間」として負けないように

俺も成長しまくりますぜ。



周りの人たちを

「プラス」方向に導いていくパーソナリティーが逸郎にはあると俺は思ってます。



逸郎らしい「楽しく・真っ直ぐ」な

ブログ・リアルな日常を楽しみにしてます!



本当にありがとう~。
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お邪魔します2 (貴也)
2006-01-10 14:15:49
今朝、ここに訪れました。

しかし、慌しく大学へ

でも学校は明日からでしたw

全部閉まってました。



いま、ゆっくりと読ませてもらったよ。



こういうことを言うと上辺だけの女の友情にみられる会話のように、安易に同調しているだけのように思うかもしれないが、俺も同じような哲学を持っていたよ。



俺の場合、ニヒリズムを通してそう考えられるようになった。ニヒリズムというか終わりの見えないルーティンというか倦怠感、閉塞感を感じたことがあって



まぁ、実際、実践することは難しいけどね。



ただそういう哲学を胸にしているだけでも、世界はだいぶかわって見えるね。



とにかく日々思ってたことをうまく言語化してる本に出会ったときの爽快感を得たよ。ありがとう。





また来てもいいかな?

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テツさんへ (逸郎)
2006-01-10 20:07:51
 身に余る誉め言葉ありがとうございます。でもこういう場で文章を書いていこうと決意したのはテツさんのブログをずっと見てきて、感じるものがあったからなんです。『テツの「PuraVida!」日記』が無かったら、この場も無かったんだと思います。これもテツさんのおかげで始まった一つの“繋がり”ではないでしょうか。だからこそ、ここを見て欲しかったんです。これからは自分も享受する側に甘んじるのでは無く、テツさんのように周囲に何かしらの可能性を与えられる存在に少しでも近付けたらいいなという思いです。さらなる飛躍をお祈りしてます。
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>>お邪魔します2 (逸郎)
2006-01-10 20:23:08
学校閉まってたのか!?校門の前で一人佇む姿を想像したら面白かったですww それはいいとして、前にも2人で話したけど確かに本当の意味でのニヒリズムを通る事によってしか見えない景色というのがあると思います。そういう人が口にする“希望”というのはいつも中身がある気がする。そういえば地元で新年会やってないな。それと是非この場へとU村卓Y君を召還したいものですなw個人的には科学者の発想も大好きです。
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やっぱ難しいかも。 (ゆきお)
2006-01-11 00:44:12
おつむ弱すぎの自分にはかなり勉強になりました。 長いこと地元から離れて暮らしてるけど、これだけの哲学をもった輩に会ったことないよ。くだらないやつばっか。

しかし、あんま会う機会がなかったから、ブログ見さしてもらっていつのまにかで~っかく成長してんだなって思わされたわ。こりゃまけてられません!

かなり気合いはいったよ!

これから本読むかわりに逸郎の哲学書で勉強さしていただくよ。
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>>やっぱ難しいかも。 (逸郎)
2006-01-11 05:33:13
 いや~本当嬉しい。でもまだまだ未熟。その人の生き方の大まかな方向性は大体25前後で決まると言われてるようにこれから4、5年くらいでどれだけ伸びるかが一つのネックになってくるような気がしてます。

 てかやっぱり自分で本読まなきゃ。そしてこれは哲学書でも何でもありませんw  またいつでも気が向いたら、ここに遊びに来てくれよ~
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