Qちゃんな日々

日々のできごとをよしなに書き綴っていきます。

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親鸞聖人750回大遠忌法要 と 宗教と政治について

2011-10-11 14:30:26 | 旅日記

きのう親鸞さんの750回目の法事に参加してきた。

いや、こんな俗人的な表現で申し訳ない。

正しくは

昨日は、親鸞聖人750回大遠忌法要にお参りにいってまいりました。

本当の目的は、この大遠忌法要の記念で普段は公開されていない飛雲閣と白書院が公開されるので、それらを観に行くことでした。

 

私にとって西本願寺とは、京都の市バスでさらっと前を通るところであって、「こんな大きなお寺なのだからいつかお参りするかもしれないが、でもうちは浄土宗で、浄土真宗の門徒ではないから、近いからいつでも行けると思いながら一生いかない所かも」とバスの吊革を握りながらぼんやりと眺めて通り過ぎるのが常だった。

 

しかし、ツイッターのタイムラインとはほんと便利なもので、10月8日から14日までこの750回大遠忌法要を記念して普段は非公開の飛雲閣と白書院が公開されるとのことを誰かの呟きで知った私は、すぐさま拝観を決めた。

飛雲閣は以前、内田樹先生がブログで釈先生のご案内で飛雲閣の内部まで拝観された記事を読んだことがある。それで知ったのだ。一番上は摘星楼(てきせいろう)というそうで、星が摘めそうな眺めである展望室なので、そのように名付けられたらしい。

写真家のアラーキーも飛雲閣の写真集を出しているそうだが、とにかくそのことがずっと頭に残っていて、そうか本願寺関係者や選ばれた人しかいけないところなのだと諦めていた。

それが拝観できる機会がこんな風に巡ってくるなんて。

しかも短い期間のあいだだけ。

三連休の最後はこれに決定!

御影堂門から入る。

中に入ると御影堂の中に入るためのゲートが中央と南側と北側と1~4まで出入り口があり、大勢の門徒さん達が法要に参加されるためにこしらえられた仮設増設体制の御影堂は外から見るとまるで何かのパビリオンみたいだった。

敷地内全体が750大遠忌法要の記念祝祭ムードがいっぱいで、まるで寺のなかがテーマパーク的でさえあった。

 

大型観光バスの出入りも拝観シールや共通のリボンやバッグを持ったツアー客も、きっと普段の数倍だったに違いない。仮設増設トイレもまた高速道路のSAよろしく半端ない数だった。

門徒でもツアー観光客でもない私たち夫婦がマイカーで着いたのは4時前で、5時半閉館に対して時間的にはちょうど人がすく時間帯でよかった。

長蛇の列に入場を待たされることなく、飛雲閣も白書院もほとんどスムーズな流れのなかで観ることができた。

ふだん非公開なので設定された入場料もなく、芳名帳に署名をしたら「志」を小さなお賽銭箱のような所に入れるようになっている。

飛雲閣も白書院も残念ながら撮影禁止。

そして飛雲閣は外から見るだけ。

なんと外観さえも非公開だったのか、とびっくり。

(私はてっきり公開=飛雲閣の中に入れて頂ける と思っていたのだ。

あつかましい?)

 

飛雲閣は豊臣秀吉の聚楽第(じゅらくだい)の遺構とも、本願寺の御亭の発達したものともいわれているそう。

二階の辺りの木戸には絵が描かれており、あのような日本の歴史的建築物で外側に絵が描かれたもの、しかも遠目にそれが分かるものなど初めて見たので、それだけでも十分感動ものでした。

飛雲閣の全体像は私が個人的に思うに、金閣寺が銀閣寺のようにいぶされた感じ、にも見えなくはないなと思いました。

でも金閣寺とも銀閣寺ともまったく違う。

あの三階の展望室は本当に星を観るためだけのものなのか、

そういう芸術的な目的だけだっただろうか、

いや、やはり政治的展望室だったのでは?(敵がどこからやってくるのかとか)

そう思うとやはり豊臣秀吉の聚楽第の遺構説は正しいのかも?

 

そして西本願寺の大書院。

虎の間の玄関から入場させて頂きました。

もうこれは圧巻でした。

 

神社仏閣巡りは大好きで(といってもそんなにたくさんは行ったことはない)

でもあれほど凄い書院を観たのは初めてでした。

 

私が住む近江の里にもあちこち歴史的な古社寺はたくさんあるし、

福井の永平寺の天上画とか

香川の金比羅さんの書院とか、凄いところを知ってるつもりでした。

 

あぁだけどやはり寺は京都やなぁと思いました。

京都はやはり凄い。

凄いところが沢山在りすぎる。

 

よく神戸大阪の方が「地の京都の人って、大阪や神戸とは違いますっていう態度する」と言いますが、やはりこういう地域、こういう歴史を背負った地域に生まれ育つとそういうふうになるんやなと、やはり京都出身の我が母親をみていても思います。

京都の女は扱いづらいとか性格がわるいとかプライドが高いとかよう聞きましたが...。

(若い頃は特に関東の人から京おんなのわるくち聞かされたものです。)

まぁああいう地で、しかも特に伝統家業で育った家の人は仕方ないんでしょう。

 

 

話を書院に戻して。

本願寺の書院は白書院と黒書院と対面所があり黒書院は非公開。

けれど白書院と対面所を拝観できただけでじゅうぶん幸せです。

日本のどんなお城にもこんな荘厳な書院はなかっただろうと思います。

203畳の大広間からなる鴻の間と呼ばれる大きく広い対面所はいったい、誰と誰らが、どのような方達が対面する場を想定して作られたのだろうと、遠い歴史に想いを馳せるほど、すばらしく密度の高い空間でした。

撮影禁止なので本願寺公式HPで書院のご覧下さい。

http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/05.html

 

おおよそ人間が作るものの、どこまで緻密で高貴な場所であろうかと。

対面所上段正面床の張良引四コウ図は「逆遠近法」で描かれてある。

それはそこに座る人を際だたせるためだったという。

はぁ~すごい...。

 

金比羅宮に比べて金箔はかなり年月にさらされていぶされてはいますが、そして中にはライトもなにもないので暗いままでの拝観ですが、その襖絵の重厚さはかえって増し、空間の濃度をさらに濃くしていました。

 

本当に「緻密」「密度」「重」「厚」「貴」そういう漢字がぴたりとくる空間でした。

 

あの空気感は文字表現ではとうてい追いつきません。

やはり身体をあの建築物の中に投げ込まない限り、伝えられっこないのです。

 

とにかく襖絵や天井画だけでなく、建具に取り付けられている房の大きさや(帳台構というの?)、欄間の彫刻も、その大きさも何もかもが濃厚な書院を観て、廊下に出てくると「庭の能舞台って東西南北に四つあったわねぇ」とどこかのミセスの声が聞こえてきて「え?」と耳を疑った。

 

私が見た限り、外の能舞台は二つだったが。。。。。

 

ぞろぞろ行列の中をそぞろ歩いて中の作りや外の景色をきょろきょろながめているうちに錯覚を起こすのだろうか。

夫までが「能舞台は三つか四つはあった。二つってことはない。」と断言するので「えぇ~!?」となった。

 

あとで購入した本願寺グラフで確認するとやはり北能舞台と南能舞台の二つだった。

あちらの方向、こちらの方向と巡回して観ていると同じものなのか違うものなのかさえ分からなくなってくる、ここの建築はそのように、そういう錯覚を起こすことをも計算されて造られているように私には思えた。

 

とにかく飛雲閣と書院は神社仏閣や日本の伝統建築や日本画が好きな方には必見ものです。14日までの公開なので、ゼヒともこの機会をお勧めします!

 

こちらは唐門。国宝です。極彩色の門と彫刻がまた素晴らしいです。

 

 

こういう色彩を観ていると、やはり仏教はインドで発祥したのだなと素直に思います。

日本には中国を経て来ているから、やはり日本の仏教美術は独特の日本の美を醸し出していると思いますが、こういう色に触れると、インドのヨガの聖地といわれるリシケシで観たヒンズー寺院独特の極彩色を彷彿させられます。

 

もちろん私は日本の仏教美術の方がずっと格式と格調と品位が高く、そのお高くとまりすぎている“ほど”が、好きです。

 

唐門を観て、インドのこわぁいカーリー女神の色彩に似ているというのは、わたしだけやろか。

カーリー女神画像参照

http://chaichai.campur.com/indozatugaku/black.html

 

唐門(カラモン)とカーリー、どこか語呂が似ている気がしないでもなく。。。(笑)

【追記】

上記のHPより
「カーリーの語源はカーラからきている。カーラは黒、そして時間を意味する。そういえば、シヴァもまたマハーカーラという別名を持つ。マハーは「偉大なる」の意味だ。日本では大黒天の名前で知られる(「日本にもいるインドの神様」を参照)。いずれにしろ、カーラというのは最高の尊称であることは間違いない。」という記述を見つけました。

 

本願寺の唐門(カラモン)が、色彩からしてヒンズー教のカーリー女神に由来するのでは?という私の妄想的推測は案外、的がはずれていない気もしました。

 

 

御影堂は750回大遠忌法要の為に仮設増設されておりましたので、そのせいで外観は半分白いゲート口に覆われて、そのせいでテーマパークのパビリオンに見えなくもなかったのでした。

中はそれこそその法要の参拝客の為の大きなホールのようになっており、美しく整然と並べられた折りたたみ椅子やライトは、まるでコンサート会場さながら。いえ、しかしその場にある敬虔な空気は、ヨーロッパでみた古い伝統的な教会の礼拝堂さえ彷彿させました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都タワーが西本願寺の屋根越しに見えました。

「なるほどここから見ると、確かに京都タワーってロウソクに見えるね」と夫にいうと

「え?あれってロウソクだったの!?」と驚くので

「知らなかったの?」と逆に驚いたのでした。

(建てるときに景観とか問題になって蝋燭を模したとかどうとか)

子ども向け顔出し看板もありました。

ブトリ、ブトラってどういう意味なんだろう?

 

帰り道では東寺の五重塔が夕陽をバックにしていました。

 

うちに帰ってから、ふと宗教について考えてみた。

友人もちょうどmixiに宗教のことについて書いていた。

宗教に関するとても素直な心で書かれた内容で私も共感した。

反して私は「宗教」というものに対して精神的にも社会的にも存在意義を認めつつ、

もうひとつ宗教のもつ別の面も考えていた。

 

あの素晴らしい絢爛たる書院をみて、あの時代の庶民や農民達がどんな暮らしをしていたのかを思う時、あの時代にあれだけのものを造り、そこで生きた少数の選ばれし方々は、その時代の富をどれだけあそこに集中注入させたかということを。

 

人の思惑だけでできるものではない、

見えない力が働いたとはいえ、

現代のうすっぺらなスピリチュアルでは説明できない

やはりそこは一部の人々の思惑の力が多くの人を巻き込むように、

かなり強く働いたことには間違いない。

 

 

 

ふとヨーロッパの大教会を思い出した。

こちらはドイツのフライブルクの大教会。

 

 

 

こちらはフランスのストラスブールにある大教会。

 

どちらも素晴らしかった。

あの時も同じ事を考えた。

これらを建造するときに、どれだけの富と労働力をここに集中させたことか。

(多くの民からだれだけ搾取したか)

 

「政教分離」とはいうけれど

わざわざ「分離」と言挙げしなくてはならないほどに

政治と宗教は結託している。

 

宗教に政治的力(権力)がなければ

免税システムもお布施集めも信者集めもあったものではない。

 

権力(政治力)を持たずして神仏の名のもとにこれほど、その時代を代表する富と文化を結集、結晶化させることはできるはずがない。

 

おかげでその時代の技術と文化と精神性を反映させた

歴史の証拠として残る建築物が建てられるのだ

それもまた天地を想像した神や人を導く存在である仏のお計らいなのだと解釈や講釈することもできるだろうけれど....。

 

私も全面否定しない。

 

自分がその時代に生きて奴隷のように労働力として搾取されまくった人間なら、これらの富の結集に怒り出すかもしれないけれど

結局、私は今、この時代に生きて、歴史の遺産をこのように拝観させていただくことで言葉にできない感動や何かを享受しているのだから。。。。

 

 

宗教の果たす役割や機能って計り知れないな

神聖なる部分も、闇の部分も含めて....だ。

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明け方の夢

2011-09-29 15:59:36 | 旅日記

夢をみてもたいてい憶えていない。

夢をみたことだけ憶えていて、内容が思い出せない。

けれど明け方(目覚める前の1時間くらいの間)に見た夢は、

たいていなんとか憶えていられる。

よほど印象深いものなら。

今朝の明け方に見た夢も鮮烈な印象を放っていた。

 

夫と私が山登りをしている。

独特の山で何か霊的な存在。

 

なぜなら道の途中で何度か岩場が顕れる。

その岩は今までに見たことのないような色をしている。

茶褐色、

限りなく赤に近い茶褐色。

こんな紅い岩を自分は見たことがない。

 

その色がこれから先に出会う「何か」を示唆していることは間違いなかった。

その赤はあまりにも禍々しいので先を進むには、とてつもない危険をはらんでいることも予測できた。

 

山のある程度の高さまでくると、いよいよ山の緑はなくなり異様な色をした岩場だけになった。

この先は岩だけで出来ている山頂への入り口  のような処に到達していた。

この岩がまた恐ろしくさらに鮮烈な「どす黒い赤と黒」のコントラストで出来ていた。

こんな光景は今まで生きてきて見たことがない。

なぜ岩がこのようなグロテスクな色しているのか。

あきらかに此所が「異界への入り口」であることだけは確かだった。

 

さっきから小雨が降っている。

その雨の色がやはり岩と同様におかしい。

ありえない色をしている。

錆びた色というよりも限りなく赤に近い褐色をしている。

岩と同じように。

 

私は白いヤッケを着ている。

雨の跡が白のヤッケの上に付く。

まるで血を薄めた色の雨の跡。

 

岩場と同じように雨の色も標高が高くなるにつれいよいよ血の色に近づいてきた。

 

怖い。

こわいけれど、それ以上に私はワクワクしていた。

こわいというのは今の自分の段階の常識であって

ほんとうはもっとこの先に自分が想像もしなかった世界が

それも祝福すべき世界が待っているのを感じだからだ。

 

こわいけれど先に進みたい、という気持ちの方が強かった。

 

いよいよ異界に入ろうとしたときに夫は言った。

 

仕事があるよ。

(なぜか私たち夫婦のポジションは山裾にある大きな有名料理屋の跡継ぎ夫婦だった)

 

今日は政界グループのお偉方さんや○○○の方々もお見えになる。

すごく忙しい日だから。

もう山を下りなくちゃ、と。

 

そんなことは知っていて山登りをしていたはずなのに

せっかく(たぶん)異界の入り口まできたというのに

夫は帰ろうという。

 

夫の常識と良識がうらめしかった。

そして夫に言われてすぐ従順にそれに従ってしまう自分もまたうらめしかった。

 

私たちは現場に戻らないといけない。

そうしないとお店の人やお客さんに多大な迷惑をかける。

普通の常識。

 

けれどこんど此所に来れるのは次にいつになるか、分からない。

もう二度とこの機会が巡ってこないのかもしれない。

 

なのにこの山を下りている自分がさびしかった。

 

あの先に行きたかったのに。

 

4時頃に目が覚めて、夫に怖い夢をみた、と言うと

背中をさすってくれた。

 

朝ご飯がおわってぼうっとしてると

夫が「きょうはしんどいのか?」と尋ねてくれるので

 

あなたと山登りして

赤と黒の怖い岩場まで来たときに

あなたがもう帰ろうと言ったから

その先に行けなかったと説明すると

「よかったね」と言った。

 

そうか

 

よかったのか?

 

私の説明不十分なのだろう

違和感が残った。

 

そのあとトイレの中でもう一度、

今朝がたみた夢と夫のコメントについて考えてみた。

 

そうか私はあのとき

 

「ちがう、危険を承知で、でも、その先になにがあるのか知りたかった、直感的に行きたかったのだ」

 

そう思ったし、

ただ先に進みたかっただけでない

「あなたとあの先に行きたかった」のだ

けれどあなたはその先に行く気がないみたいだから

わたしはそれにあわせた。

 

そのことを夫に伝え損ねているのだと気がついた。

だから夫の「行かなくてよかったね」(僕が止めてよかったね)の言葉に

納得承伏できないのだ。

 

 

いままで夢日記なんてつけたことないのに

なぜかきょうは書き出してみたくなった。

 

書き出すと

今まで見えてなかった

見ようとしてこなかった何かが見えそうな気がして。

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眞名井神社

2011-09-21 15:00:02 | 旅日記

正直、眞名井(まない)神社のことを書かせて頂くのは大変敷居が高いです。

なんともいえない、あの場でしか体験できない、えもいわれぬ身体感覚は、言葉にしたとたん形骸化していくようにも思えます。

それに眞名井神社のことは、現代のこの便利なインターネットという情報の海では、ちょっとググれば、固い文章から、ご自身のパワスポ巡りを紹介したちょっぴりアヤシイ系の記事まで、実に多くの方が参り綴られたものがたくさんヒットします。

 

それらを読んでいると、わざわざあえて自分が書かなくてもいいような気さえしてきますが、やはり自分自身の体験や感想を書きたいと思います。

まずは眞名井神社の公式HP(元伊勢籠神社のHPの一部)

http://www.motoise.jp/main/saishin/manai/index.html

 

では境内で撮らせて頂いた真名井神社の写真を慎んでアップさせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

二礼二拍手一礼をして手を合わせているときに身体がきゅっとなった気がしました。

背中全体で威圧を感じたというか

何かがきゅっと入ったというかやはり磁場的な圧を感じました。

正直に自分の見聞と体験でいうと

知人の霊能者のことを思い出しました。

彼女は大日如来様が降りてきて依頼者にお告げをするとき

いつも身を一瞬きゅっと縮めます。

背後でそれを見ていて

あ、今、降りてこられたんだな、と分かります。

あの感じに(味わったこともないのに)

似ている「きゅっ(ぐっ)」でした。

 

↓の写真は、本殿の裏にある2500年前からそのままの形で祀られているという古代の祀事場、磐座(いわくら)で、豊受大神、天照大神を始めとする神々が祀られています。

 

 

↓他の参拝者の方達は「石」や本殿のほうはよくしみじみと見られているのですが、このご神木にはあまり注目されていなかったような気がします。

写真に撮ると非常に存在感のあるご神木なのに、境内にある他のものがあまりにも存在感が強いせいでしょう。

これは三柱鳥居に似ている気がしますが....五柱?

何なのでしょう?(ガイドさんがほしいです。贅沢いうならここの海部宮司に案内をして頂きたいほど....)

真上からみたら六芒星を表しているようなカタチだった....?

きっと台風の影響かなにかで一柱が倒れたままになっているのだと思われます。

 

これがなんの石であるのか説明はまったくありません。

けれど独特の存在感があります。

その場では気づかず、今、これをアップしているときにふと気づいたのですが

何かの形状に似ていると思いますね。

あえては書きませんけど(苦笑)。

 

それについて説明すると俗的な道祖神信仰と繋がっていくような気もしますが、もっと格上な存在だと思います。

要するにエネルギーの源ですね。

何かが生み出される(出され続けている)....場.....

 

そうすると奧の宮の眞名井神社の下に位置する元伊勢籠神社にある「霊産石(むすひいわ)」や

この奧の宮の境内にある「産盥(うぶたらい)」などとこの石の辻褄があってゆくような気がします。

 

 

他にも不思議な石はいくつかあります。

磐座主座(上宮)である大きな石の前にはたくさんの方がお参りしたことが分かる自然な土のくぼみがありました。

とても美しく芸術的に窪んでおりました。

たぶん今まで生きてきて、あのような作為的でない人の祈りという営みの積み重ねよって自然に出来た美しい土の窪みは生まれて初めて見ました。(結界内だったのであえて写真には撮りませんでした)

 

奧の宮の二つ目の鳥居の傍には狛犬ならぬ狛竜がおわします。

しかしもっと目を惹きつけられたのは、その斜め後ろにある石でした。

あれは、あれも...写真に撮らせて頂けばよかったです。

下に記したよその方のHPに掲載されていますので、興味のある方はそちらをご覧下さい。

その石は

奈良の飛鳥で見た「猿石」「亀石」級にすごく惹きつけられるものです。

そしてあれよりも人造的でない、もっと原初的(この神社のように)なのがすごいです。

気がつく人だけ気づく(気づけば?)、というくらい放置状態で在られました。

持って帰ろうとすれば物理的にできなくもない感じでもありましたが

仮に持って帰ったらとんでもない神罰がくだりそうなオーラが出てました。

だから気づく人はそっと気づく、気づかない人はそのまま上の本殿めがけてさっさと歩いて上がるという感じで...。

http://kammuri.com/s1/motoise2/manai/index.htm

このHPにはその狛龍の背後にある石が掲載されています。

あと以前は六芒星が象られていた説明の石碑が鳥居の前にあるのですが

今は神紋が三つ巴に変えられていることに関する推察と比較写真も興味深いです。

 

眞名井神社は元伊勢籠神社から500Mほど山に向かって上がったところにあります。

優しい我が夫は私の両親だけ神社のふもとまで車で運んでくれました。

私と子ども達は例によって徒歩でゆっくりと参道を上がってゆきました。

その途中、真名井神社を参拝して降りてきたたくさんの外人(欧米系)に出会いました。

何か共通のツアーの名札をつけておられるので、スピリチュアル系か霊能者の霊場巡り(あちら風にいうとエネルギーズポットとかパワースポットとかの)海外ツアーかなんかだったのかな?とか勝手に想像したりして。

奈良や京都や伊勢の神社仏閣でもあれほどダマになったわらわらとたくさんの外人に出会ったことありませんでした。

特筆すべきは、真名井神社の参拝が終わって降りてくるその方達はみなフレンドリーで、すれ違うときにニホン語で「コニチワ!」と笑顔で挨拶してくださいました。

 

スピ系の方はオープンマインドで心がバリアフリーな方が多いので、これはもう間違いなく海外のスピ系の方の巡礼ツアーだと勝手に決めていた私でした。

年齢は30代~60前後くらいまでの老若男女たちでした。

(案外、宗教学者のツアーだったかもしれませんが)

とにかく神社そのものは小さな面積です。

けれど手垢のついた言葉で言ってしまうと

小さな場とはいえ、もの凄いエネルギースポットです。

パワースポットです。

手垢のついてない原初的な場所。

これが私の感想であり、今後もこのままであり続けて欲しいです。

できるだけ2500年前のままでおいておいて欲しい場です。

 

 

 

ほかにも眞名井神社に関する興味深いHP

http://powerspot.at.webry.info/201003/article_1.html

 

 

「か~ごめ、かごめ♪」は幼稚園の頃、とてもよく歌って遊びました。

今ではそういう風景は一切みられませんね。

うちの子どもの保育園幼稚園時代でも見たことありません。

 

かごめかごめの歌に関しては本当に幼児の頃から不思議でした。

歌詞の意味はわからないけど

きっと大人になったら意味がわかるのだろうと思ってましたが

大人になっても謎のままでした。

そして今回、元伊勢さんにお参りする前に

ここに来る前にふっとインスピレーションが湧きました。

かごめとは籠の目のことで

あの籠の目とは

それは六芒星を顕しているではないか?

 

ということは

「かごめかごめ

かごの中のとりは

いついつでやる」

のあの歌詞の中の「とり」とは

私はずっと「鳥」だと思ってたのだが

「鳥居」だったのではないか?と。

 

「か~ごめ かごめ

かぁごのなぁかのとぉりいは~」

と子どもの頃、歌った

あれは鳥ではなく「鳥居」で

六芒星の中に閉じ込められた鳥居

=元伊勢さんの籠神社のこと???

 

なんてふと思ったのでした。

 

するとふと思い出したのですが、確か三砂ちずる先生が「オニババ化する女性たち」のご著書の中でだったと思うのですが(出典元が違っていたらすみません)、神社の鳥居とは実は女性の象徴であると書かれていたことをふと思い出しました。

籠(六芒星)の中に閉じ込められた女性エネルギー?

エネルギーは封じ込めると一層強大になりますよね。

そういう意味でも籠神社(の特にたぶん本当の本殿にあたる眞名井神社)は命名からして強いエネルギーを持つことを表している。

実際、その場に行けば、毛穴からかっぴらいて心をオープンにしていると感じられる「此所にある何か」があります。

そんなわたしの妄想?と繋がるように

Wiki でも「かごめかごめ」の歌に関しては詳しく掲載されてます。

http://bit.ly/rsnj9E 

かごめかごめにまつわる諸説の中でも個性的で気になったものには

かごめは籠目ではなく籠女だという説で

  • 籠女の中にいるもの、つまり胎児のことを指す。
  • 「かごめ」は籠女と書いてお腹に籠を抱いているような女=妊婦を示し、「かごの中の鳥」とはお腹の中にいる子供を示す。その妊婦の家は相続 争いで争っている最中で、1人でも相続人の候補が増えることに快く思わないものもいた。出産予定日もそろそろというある夜明けの晩、階段を降りようとした 妊婦は誰かに背中を押されて落ちて流産してしまった。自分を落とし子供を殺したのは誰だという母親の恨みの歌という説である。(Wiki より転載)
  •  

    他に籠神社にまつわる「日ユ同祖論」説もあり....

    検索して見つけたこちらの方のHP

    http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/other/jjjj.htm

    ちょっとアヤシイ感じもしますけど、私は割とこういう想像(妄想?)を働かせている世界が好きなほうです。

    楽しいしワクワクするし(うちの息子1はこういうのきらいますけど 苦笑)わたしは好き。

    よく調べておられるし、これだけ写真やデータを集めてくるだけでも大変だったと思います。

     

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    独特の磁場、または氣場というべきか。

    2011-09-19 18:09:45 | 旅日記

    天橋立の入り口にある船が通る度に90度旋回する珍しい橋であります。

    さて、天橋立は対岸側まで約3.6キロほどあり、入り口から徒歩15分ほどで天橋立神社までは両親も一緒に来たのだが、天橋立を徒歩で渡るには健常者で40分くらいはかかる。子どもと私の4人は天橋立を歩いて渡りたかったので、夫が両親を車に乗せて阿蘇海岸側を通って移動してくれた。夫に感謝。

    驚いたのは、対岸側に行くには徒歩よりも車の移動の方が時間がかかったことだ。

    ぐねぐねと湾曲した湾岸沿いを走るというのはそれほどに時間を要する、対岸側に行くには、天橋立という地形が、どれほどショートカット機能を持っているかよくわかった。

    子ども達は歩くのが速いので私よりも15分くらい早くに対岸側に到着した。

    私は写真を撮りながらのんびりと松林並木道を歩いた。

    天橋立は車両禁止で(かなりの速度でバイクで走り抜ける不謹慎な輩が一名あり(-_-#)レンタサイクルもあり、颯爽と漕いで行かれるのは気持ちよさげではあるが、

    ここに「パワースポット巡り」と称して来てらっしゃる方には

    ゼヒ、ここはしみじみと海風を感じながら松林の奇妙な枝ぶりにも気づきながら歩くことをお勧めしたいです。

     

     

    前々から感じ気づいていたことではあったが、今回、天橋立の松林並木を歩いて確信を持ったことがある。

    それは神々が祀られるところは、たいてい“独特の”磁場というか氣場が強く働いているということだ。

    神を祀るからその場所に独特の磁場氣場が働くのか

    人々が聖地を訪れるその敬虔な気持ちがそこに落ちてゆくと思えば、

    後天的にももちろんその作用が働くと思うのだが、

    でも違う、やはりその土地の人々は、

    いや、どこの土地の人々であっても

    必ず地形や風水的なものを動物的に直感的に感じ取って

    「ここは聖なる場所で、だから神様を祀るならここに祀るべき」

    としたように私には思えてならない。

    まず場所ありきだったのだと。

    そういう順番で聖地は聖地になっていっているのではないかと。

    そしてその独特の氣場磁場は、たいていそこに在る樹や湧き水やそこにある石によって顕れている。

     

    神社にはたいてい立派なご神木がある。

    そこがその神社の大黒柱であるように、

    そこがもっともクリアーなエネルギーを発している中心点的な役割を果たしている(と思う。)

    その場所に本殿や拝殿が人の手を介して建てられ「そこに神がおわします」と感じやすいように形式がとられた。その敷地内になんちゃらの大神とか日本神話由来のそれぞれの神様の名前がついた祠を建てられたりして祀られている。それが日本各地で大なり小なり散見される、というのが神社(現神道)のありように思う。(人を祀っている神社は別として)

     

    私が今回、一番行きたかったのはお伊勢さんの神々がもとはここにおられて、この地から移られたという伊勢神宮ふるさとである元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)である。(私が住む県内には、お伊勢さんの実家にあたる、イザナギ、イザナミがご神体である多賀大社があるのだが、どうもまたそれとは別次元の存在であるようです)

    ここ最近?江原啓之氏や船井幸雄氏がここは本物のパワースポットと言ったとか言わなかったとかで有名になったそうだが、私は15年くらい前から友人や知人になぜか霊能のある人がちらほらとおられ(私が望んで出会ったのではなく、自然な巡り合わせでご縁のあった方々)その方達が非常に個人的に強く信心し足繁く参拝されているのがこの元伊勢籠神社だったのだ。

     

    けれどネットで行く前に調べてみるとどうやら私が一番行きたい、行くべきはその奧の院じゃなかった奧の宮である「眞名井神社」であると気づいた。(たぶんかの霊能者達も本当はそちらがメインだったのでは?と想像する)

     

    地図で見ると面白いことに天橋立にある天橋立神社と元伊勢籠神社と眞名井神社はほとんど一直線上にある。

    天橋立は天にかけられた梯子、橋といわれている。

    またはイザナギ大神がイザナミ大神に会いに行くためにかけた橋という言われもあるそうだ。

    そうすると宮津から見て府中にあるこの元伊勢籠神社の奧の宮である眞名井神社こそが天であり、籠宮(このみや)はその正門、天橋立という奇跡の地形は眞名井に到達するための参道そのもののような役割を果たしているように私には感じられた。(人の目からみたら、人工的に立派に整備されているのは元伊勢籠神社なのであるが、その本体、ご神体は2500年からそこに祀られてある原初的な祀りの姿をとどめたままの貴重な眞名井神社と見るのが正しいと感じる)

     

    そういう理屈抜きに天橋立の松林は天に続く道、天に向かってかけられた橋、参道ゆえに、独特の磁場を発している場であると思う。(もちろんその頂点に立つ眞名井神社が一番独特の強烈な磁場を発しているのだが。)

    求めていない人を受け入れないほどに(?)

     

    話は戻ってだから天橋立はこのように変わった松の枝振りがあちこちに散見されるのではないか。

    なのにほとんど誰一人として私と同じように徒歩で渡っている方々が「天橋立の松林の枝振りが変わっている」と気づまずに歩いているように見えた。他の観光客はカップルやお連れの人たちとのお喋りに忙しく、私だけが一人きょろきょろしながら歩いていたせいもあるのだろうけど...。

     

    では私が気になった松の奇妙な枝ぶり写真をご披露しましょう。

    これは変わった枝ぶりというレベルでなく、松の樹がもう根元の最初から日本海側に向かって倒れながら伸びています。(樹の下をくぐり抜けて府中側から宮津側に向かって撮った写真)

    ここは仇討ちがあったと言われる場所ですが(写真左注目)、向かって右側の松の枝ぶりと左側の違いに注目してください。

    しかし、現地でもっとも目が引きつけられたのは、この写真中央の一番下にある真横に伸びた枝でした。

    現場でみないと臨場感が湧かないと思うのですが、かなり不思議な枝の伸び方でした。

    本当に真横直角に伸びている!という感じで。

    左側の松がおおまかに縦横方向に成長しているのに対して、右側の松の枝ぶりは、やたらくねくねくねくね育っていて対照的な感じがしました。

    そして仇討ちがあったとされるこの奇妙な枝ぶりの松の樹たちのすぐそばに天橋立神社はありました。

    天橋立神社にある「磯清水」。

    四方を海に囲まれた地形の上にあるにも関わらず、全く塩味を含まない不思議な湧き水を頂きました。

    ここからさらに30分ほど歩く中で目をひいた変わった天橋立の松林の枝振りたち。

     

     

    紐でくくられたようにくるっと急旋回している枝や幹の一部。

    ただの海風のせいとは思いにくい、なぜこのような不思議な無理な枝の巻き方、育ち方をしているのか、本当に不思議です。

    人が神々に到達する道はカオス、混沌そのものだからでしょうか。

     

    よく神社とかで撮影すると写るような光が、赤と青色の光りが写っています。

    もちろん太陽やただの光線の具合のせいかもしれません。

    ただまっすぐ一直線に走った青い光は不思議な走り方ですが。

     

    他にもいろいろ

     

     

    これも特筆すべき奇妙な枝ぶりのひとつ。

    ある場所では、松林の道を挟んで日本海側の松の木は日本海側だけに

    反対の阿蘇海側の松の木は阿蘇海側だけに松の葉がたくさん生い茂っていました。

    まるで天橋立を両側の風雨から守るように。

    そして後でこの先にある元伊勢籠神社で驚いたのは

    ここのこのご神木も同じように海側、社側の一方にだけ向かって葉が生い茂ってたことです。

    元伊勢籠神社内の写真

    立て札には「産霊岩(むすひいわ)」

    一名神生み岩

    天然記念物さざれ石と書かれていました。

    こちらが元伊勢籠神社です。

    http://www.motoise.jp/main/top/

    私の友人が15年前に私にこの神社のことを教えてくれたときは「籠宮(このみや)神社」とか「元伊勢さん」とか呼んでましたが。

    お会いした海部宮司や国宝とされているここの家系図のことなど、とても熱心に教えてくれたのを覚えています。

     

    初めて来ましたが、本殿を前にして思ったのは

    伊勢神宮よりも初めて出雲大社に参拝した時のことを思い出しました。

    ここの高欄には伊勢神宮と籠神社にしか許されない五色の座玉(すえたま)があるそうです。

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    家族旅行で天橋立へ

    2011-09-19 13:05:00 | 旅日記

    「連休中は雨」という予報だったが、翌朝は晴れた。

    海のさざ波で目が覚めるというのはよいものだな。

     

    泊まったのは由良浜、この辺りに大きなホテルはなく、旅館や民宿が静かに佇んでいる。

    昨晩は料理の分量もちょうどよく(大きなホテルにありがちな「これでもか攻撃」ではない)両親もずいぶん喜んでくれていて誘ってよかった。

    昨日は思いがけず「父のよいところ」に気がついた。

    たぶん今までにも父の中に普通にある要素だったのだろうけど、

    私には見せなかった出されなかった要素である。

    それだけ私は結婚を機に父親との距離が精神的にも物理的にも離れていったのだろう、今やっと、いい具合にちょうどいい距離間になったのだと思う。

    結婚の効用なのだな、と。

    気持ちが澄んでくると今まで見えていなかったものが自然と見えてくる。

    いいことだと思う。

     

    さぁ、今日はいよいよ元伊勢籠神社にお参りにいくのだ。

    15年ほど前に友人からすごく霊験のあるところだと勧められていたのだが、この頃やっと行く気になった。

    天橋立というのは私にとってあまりよい印象のないところだった。

    それは天橋立に問題があるのではない。

    子どもの頃、やはり父と母と姉と私と弟と5人でここに家族旅行に連れてこられた。

    そのときの家族旅行の印象があまりよくなかったのだ。

    だから天橋立というとあのときのモヤモヤとした気分が思い出されて

    あえてそこを訪ねたいという気にはならなかった。

    けれど、ここにきて「元伊勢」とよばれ

    友人知人に随分前から勧められ

    今やっと行って見たいという気になったのだ。

    あのときと同じように家族旅行で、

    私が連れられたように

    こんどは私が

    自分の親を連れて。

    とにかく晴れてよかった。

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