叶饯我谱jの件において、上総介は上総介で、やかましい重臣たちを黙らせるために、牛太郎を更に自由な隠居の身にさせる考えなのである。
ただ、重臣たちは、そうした上総介の思惑に乗っかって、新しい当主の太郎を手なずけようと企んでいる。佐々内蔵助が「年寄りどもになびくな」と言ったのは、そうした動きを察知しているためでなかろうかと思われる。
だが、それがなぜ今なのか。牛太郎が自由に動き回っていたのは今に始まったことでもなく、重臣たちがうるさかったのも昔からである。そうしたことに気にするような上総介ではない。
なのに、なぜ、突然、家督の移譲を申し付けられたのか。太郎がそれなりの齢になった。それもある。しかし――、
「何者かがおやかた様をけしかけたのかもしれませぬ。重臣たちが若様の家督相続に賛同するものと予測し、やがて譜代重臣たちと旦那様や藤吉郎殿の権力争いを引き起こさせようとし、旦那様を失脚させるため、簗田羽州を隠居させようとおやかた様に進言した者がいるのかもしれませぬ」
太郎はかぶりを振りながら失笑した。
「それは考えすぎではないのか。壮大すぎる妄想ではないのか」
「妄想と言えば妄想ですが」
と、新七郎も視線を伏せながらだった。
だが、妄想では済ませられない何かがあるのを太郎も感じてはいた。なぜ、上総介は突然言い出したのか。その疑問が拭い切れない一事なのである。
「新七。妄想でも構わんが、お主は、おやかた様をけしかけたという者は誰だと思う」
太郎の問いに、新七郎は顔を上げると、眼光を鈍く光らせた。
「奉行衆の誰かです」
太郎は戦慄した。http://www.watchsrapidly.com
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「まさか、堀殿が――」
寵愛された小姓上がりの堀久太郎なら、上総介の首を縦に振らせることも有り得た。いくさ場においては権限をまったく持ち合わせていないが、家中の政務諸事を差配しているのは事実上彼であるし、領内奉行の人事ぐらいになら指図もできる。
だが、久太郎は牛太郎と仲がいい。たとえ、牛太郎が織田家中で権勢を握ったとしても、疎ましくないはずである。
「わかりませぬ」
と、新七郎は言った。
「これは妄想の可能性が大きいのですから。疑ったらきりがありませぬ」
血河行
朝倉氏の滅亡以降、民衆は翻弄されている。
二年間、まるで、死骸に群がる禿鷹のように、亡者どもが越前の地をついばんできた。
織田から越前守護代を任じられた桂田播磨守、それを打ち破りさらなる圧政を敷いた富田弥六郎、これに怒り狂って決起したのが一揆衆であり、彼らは共闘のため加賀の一向宗を招き入れた。
だが、本願寺石山総本山から派遣されてきた僧兵、下間筑後守頼照、通称筑後法橋は、対織田軍の戦費調達という名目で、これまで以上の重税、これまで以上の労役を越前民衆に強要したのだった。
さらに、一向宗の内部でも分裂が起こっていた。越前一向一揆衆は総本山派の筑後法橋を総大将としているが、しかし、加賀一向衆から迎えられた坊主もいるし、元来からの越前の一向門徒もいた。
石山総本山とは違い、越前には絶対的な法主である顕如がいなかった。そのため、彼らはいちようにして己らの軍閥の利益を優先し、自然、軋轢は生まれた。
こうした統制の混乱と圧政は、越前民衆、国人衆、さらには天台宗、真言宗などの寺社からも反感をかい、この機に乗じて藤吉郎は調略を仕掛け、奪還を狙う織田軍は混沌に呼び寄せられるかのごとく、来るべくして来たのだ。
小谷を出た織田軍は、坂本の明智勢、勝竜寺の細川勢、摂津の荒木勢と敦賀で合流し、さらには若狭勢、丹後勢など織田従属の勢力なども敦賀湾に水軍を並び立てた。
上総介が敦賀に本陣を置いたとき、冷たい雨が風になびきなが
ただ、重臣たちは、そうした上総介の思惑に乗っかって、新しい当主の太郎を手なずけようと企んでいる。佐々内蔵助が「年寄りどもになびくな」と言ったのは、そうした動きを察知しているためでなかろうかと思われる。
だが、それがなぜ今なのか。牛太郎が自由に動き回っていたのは今に始まったことでもなく、重臣たちがうるさかったのも昔からである。そうしたことに気にするような上総介ではない。
なのに、なぜ、突然、家督の移譲を申し付けられたのか。太郎がそれなりの齢になった。それもある。しかし――、
「何者かがおやかた様をけしかけたのかもしれませぬ。重臣たちが若様の家督相続に賛同するものと予測し、やがて譜代重臣たちと旦那様や藤吉郎殿の権力争いを引き起こさせようとし、旦那様を失脚させるため、簗田羽州を隠居させようとおやかた様に進言した者がいるのかもしれませぬ」
太郎はかぶりを振りながら失笑した。
「それは考えすぎではないのか。壮大すぎる妄想ではないのか」
「妄想と言えば妄想ですが」
と、新七郎も視線を伏せながらだった。
だが、妄想では済ませられない何かがあるのを太郎も感じてはいた。なぜ、上総介は突然言い出したのか。その疑問が拭い切れない一事なのである。
「新七。妄想でも構わんが、お主は、おやかた様をけしかけたという者は誰だと思う」
太郎の問いに、新七郎は顔を上げると、眼光を鈍く光らせた。
「奉行衆の誰かです」
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寵愛された小姓上がりの堀久太郎なら、上総介の首を縦に振らせることも有り得た。いくさ場においては権限をまったく持ち合わせていないが、家中の政務諸事を差配しているのは事実上彼であるし、領内奉行の人事ぐらいになら指図もできる。
だが、久太郎は牛太郎と仲がいい。たとえ、牛太郎が織田家中で権勢を握ったとしても、疎ましくないはずである。
「わかりませぬ」
と、新七郎は言った。
「これは妄想の可能性が大きいのですから。疑ったらきりがありませぬ」
血河行
朝倉氏の滅亡以降、民衆は翻弄されている。
二年間、まるで、死骸に群がる禿鷹のように、亡者どもが越前の地をついばんできた。
織田から越前守護代を任じられた桂田播磨守、それを打ち破りさらなる圧政を敷いた富田弥六郎、これに怒り狂って決起したのが一揆衆であり、彼らは共闘のため加賀の一向宗を招き入れた。
だが、本願寺石山総本山から派遣されてきた僧兵、下間筑後守頼照、通称筑後法橋は、対織田軍の戦費調達という名目で、これまで以上の重税、これまで以上の労役を越前民衆に強要したのだった。
さらに、一向宗の内部でも分裂が起こっていた。越前一向一揆衆は総本山派の筑後法橋を総大将としているが、しかし、加賀一向衆から迎えられた坊主もいるし、元来からの越前の一向門徒もいた。
石山総本山とは違い、越前には絶対的な法主である顕如がいなかった。そのため、彼らはいちようにして己らの軍閥の利益を優先し、自然、軋轢は生まれた。
こうした統制の混乱と圧政は、越前民衆、国人衆、さらには天台宗、真言宗などの寺社からも反感をかい、この機に乗じて藤吉郎は調略を仕掛け、奪還を狙う織田軍は混沌に呼び寄せられるかのごとく、来るべくして来たのだ。
小谷を出た織田軍は、坂本の明智勢、勝竜寺の細川勢、摂津の荒木勢と敦賀で合流し、さらには若狭勢、丹後勢など織田従属の勢力なども敦賀湾に水軍を並び立てた。
上総介が敦賀に本陣を置いたとき、冷たい雨が風になびきなが