Mido's Home

たべること
つくること
あそぶこと

子どもと一緒に
ごはんとおやつとパンの話。

ダイコパンツで登園

2011年10月27日 | 子育て親育て
3歳をあさってに控え、ダイコは最近ラストスパートダッシュを始めた。

昨日は夜中にせき込んで吐きもどしたり、眠れなかったこともあり、

調子が悪そうだったので、幼稚園を休ませた。

なんと、昨日一日、一度もおもらしをせず、トイレ成功


今日は朝起きると、オムツにおしっこサインがない

「おしっこー!」と言ってトイレに行くと、

いつもどおり、「こうやってねぇ、こうやってねぇ…」と言いながら、

便器に座る。


なんと、朝もおしっこ成功


みんなで大喜びしていると、ダイコはかたくなにオムツを履きたがらない。


時間もないし、本人がオムツ卒業と思ったときが、一番のタイミング!と、


今日は初めて普通のパンツで幼稚園に送りだした。


もうすぐ帰ってくるけど、おもらししてなかったらすごいなぁ。



初めから成功するとは思ってないけど、お腹にいるときから

教科書どおりにはいかないけど自分のペースを守るダイコ。

きっと来月の3歳児検診には、トイレとおしゃべり、問題ありませんって顔で

ニコニコしてそうだわ







大好きな志津川のために、何もできないけど、前を向いて。

2011年06月08日 | 子育て親育て
大震災から3カ月。

私の身近な人はみな無事でした。


でも、大好きな、思い出いっぱいのおばあちゃんの家はなくなりました。


せめて、私の記憶の中の志津川を残したくて、書きました。




テレビのニュースには、私が生まれた志津川病院が映っていた。

ぽつんと建物だけが残り、屋上まで海草があった。

うそだと信じたい私の心に、目に入ったもうひとつの建物。

サンポートのマークが、心に突き刺さった。



震災の後、2回仙台に帰ったけど、怖くて海の方には行けなかった。


自分は何も被害にあってなくて、離れた地で普通の生活ができてるのに、

大好きな東北のために、何もできない、情けない。




子どもの頃、車酔いのひどかった私は、志津川の海が見えた瞬間、必ず車の窓を全開にして、

海の匂いを胸いっぱい吸い込んだ。


そのとき見えるのは、海産物の養殖場。船の周りを飛ぶカモメ。キラキラ光る波。


海岸のホテル観洋は、窓辺までカモメが飛んでくる。



町に入ると、一番大きいお店のサンポートと、志津川病院がある。

志津川に来ると、おじいちゃんとおばあちゃんはおもちゃを買ってくれた。

お兄ちゃんと、サンポートでよくおもちゃ選びをした。


公園の向かいの松原食堂では、私はラーメンをよく食べた。

お兄ちゃんはどこでもかつ丼かな。


食料品を買うのはウジエスーパー。


かねきゅうのあわびの粕漬けは冷凍庫にいつも常備してあって、

ご飯と食べたり、酒のつまみに、お客様の手土産に、重宝した。


帰りには必ず海すぐそばのヤマウチで、魚介類を買って帰る。

でっかいタコやカニやカキや、たくさん見るだけでも楽しかった。


何年か前に海岸沿いがとても整備され、荒戸に向かう道路も整備された。

海水浴場も公園も駐車場もできて、去年は子どもたちを連れて泳ぎに行った。


民宿の間の道を上っていく。お寺があったり、老人施設ができたり、

くにゃくにゃ細い道を走っていく。


荒戸小学校は母が通った小さな学校。


海からは10メートルくらい高い所にある。

まさか、そこまで波が来るなんて、想像もできない。


前田商店を過ぎると、おばあちゃんちに着く。

ずっと店名は「めだ」だと思ってた。

正式名称を知ったのは、かなり大きくなってからだった。

「めぃだ(まえだ)」とみんなが言ってたのが、名前だと思っていた。


海からほんの数百メートルしか離れていない家。

朝はカモメの声と、船の音で目が覚めた。

新聞は「めだ」に取りに行く。

昔はガチャガチャも安くて小さくて、お兄ちゃんとよく「めだ」のガチャガチャをした。

ちょっとした足りないものを買うのに、「めだ」をよく利用した。

今思えば、当時私たちにとって「めだ」はコンビニだった。



海で泳いだ後は、そのまま家に走って帰り、おばあちゃんが沸かしてくれたお風呂に飛び込む。

体の塩っぽさがなくなり、ちょっと冷えた体が温まり、すごく気持ちいい。




ボロボロの家には、山ほどの釣りざおが天井にしばりつけてあった。


死んだおじいちゃんは、元気な頃漁師で、小さな船を持っていた。

何度か乗せてもらったが、船酔いで魚釣りどころじゃなかった。


「うにのかいこう」の日には、ボートのような小さな船に乗り、

ウニを採ってきて、隣の大きな家の前で秤にかける。

うちで殻むきをしながら、殻についたおこぼれをもらった。

まだウニの足は動いている。

一番新鮮なウニの味を、物心ついた頃には知っていた。


朝から外がワカメの匂いの日には、海岸に見に行くと、

大量の茶色のワカメが、湯気のあがった大きな容器に入ると、緑色に変わるのが見えた。


夏の夜は、ちょっと山の方に歩くと、ホタルがいた。


すぐそばの高台にあるお寺には、ものすごい大きな蜂の巣があった。




津波が来たら、お寺に逃げれば大丈夫。


チリ地震津波にあっているおじいちゃんとおばあちゃんは、よく言っていた。


津波のときの話も、何度も聞いていた。




だから那須にいても、地震が起きてすぐに、津波を心配した。

宮城県沖地震が来ることは、何年も言われ続けていた。

33年前の宮城県沖地震は、私は母のお腹の中だった。

怖い目に遭った、という記憶はあるのか、

子どもの頃から地震にはびくびくしていた。


でも、まさかここまで大きいとは、思っていなかった。



お父さんとおじいちゃんは、天国で心を痛めているだろう。


父はおばあちゃんと志津川の役場で同じ職場だったときに母と出会い、結婚した。

海から離れたその役場さえも、今はない。



志津川の町のおかげで、今の私は生きてる。




何もできない自分が情けないけど、

いつまでも立ち直れないでいるのは、実際被害にあって大変な方々に申し訳ない。



いつか大好きな志津川の町に、また子どもたちを連れていきたいな。


ダイコバスに乗る

2011年03月11日 | 子育て親育て
4月から、ダイコはきびちゃんと同じ幼稚園に通うことにしました。


それをうけて、今週2回、慣らし保育にでかけました。


1日目は私も一緒に遊んできましたが、


本人は人見知り場所見知り、観察だけで終わり、

私は園児たちに囲まれ、電車や工事現場のトラクターの名前を

ひたすら読まされるなど、慣れない男の子との遊びに

新鮮さを覚え、楽しんで帰ってきました。


2日目はきびちゃんとバス登園!


前日からきびちゃんは楽しみで楽しみでしかたない様子。


当日朝、突然リュックを背負わされ、

見送りだけのつもりが、バスに乗せられ、

あっけにとられているうちに、ダイコはバスに乗って行ってしまいました。


きびちゃんの初登園の日は涙ぐんだ私も、ダイコのときは

ひとり爆笑して見送っていました。


一人の時間は2時間。

急いで洗濯掃除後片付け。

あっという間にお迎えに行く時間。


幼稚園に行ってみると、前日とは別人のダイコの姿が。


ニコニコ笑顔でグチャグチャおしゃべり。


慣らし保育も2日で終了。

4月からも余裕で通えそうです。



お料理教室ブログはこちら

料理教室はじめました。

2011年02月28日 | 子育て親育て
お料理苦手ママのための

簡単ランチ作りをお手伝い。


小さい子どもがいてなかなかランチができないママたちが、

ゆったり過ごせる空間を作りたい。


料理が苦手な人ほど、料理教室には行きにくかったりします。


だから私の料理教室は、料理苦手なママ限定です。



料理教室の詳細は、こちらへどうぞ↓

http://home.fc2.com/810556044/

コッペパン復活

2011年02月07日 | おべんとうのもの
きびちゃんの幼稚園は毎日がお弁当です。



多くのお母さんは、無理無理!!…と言いますが、

こんなんでいいの?ってくらいのお弁当を毎日持たせています。


そんなんで良いみたいです。


手抜き弁当の毎日でも、ときには「ほんとに無理!」な日があります。


そんなときには、130円持たせれば、近所のパン屋さんのコッペパンを買える

制度があります。


きびちゃんは、2年間お弁当を食べた末に、「いちばん好きなお弁当は、

コッペパン!!」

と言っています。


そんなもんです。




ところが、先週、そのパン屋さんが体調不良のため、コッペパン休止という

衝撃なお知らせを持って帰ってきました。


子どもたち以上にショックを受けたのはうちだけではないと思います。



コッペパンという逃げ道がないプレッシャー…



きつい1週間でした。





ところが今日、「コッペパン復活」という嬉しいお知らせ!!



パン屋さんの体調が良くなったのでしょうか。




とにかく万歳!

コッペパン万歳!!