詩の自画像

昨日を書き、今日を書く。明日も書くことだろう。

プレゼント ――失ったままのあなたへ

2016-02-28 08:14:01 | 

人は五年目の区切りと言うが

復興には区切りはありません

 

この荒れ野に立ったとき

私は私の心に問いかけました

 

そして一つの答えを見つけ出しました

 

いつまでも

あなたに寄り添えます

 

短すぎる言葉ですが真実がいっぱいで

そして真で二重に包んだ言葉です

 

あの日は

海が泣きました 山が泣きました

川が泣きました 自然の全てが泣きました

 

家が震えながら泣きました

今までの生活も泣きました

 

激しく あなたも泣きました

私も泣きました

 

失ったものばかりで

呆然と 苦味のある時間ばかりを

いつまでも食べていました 

 

友人の肩に

言葉を置くことが出来ないのです

友人も私の肩に

言葉を置くことが出来ないのです

 

あの日から五年になります

失ったものの代用品はありません

 

それでも 人は人に寄り添えば

笑顔がこぼれてくると思うのです

 

だから短い言葉ですが

いつまでもあなたに寄り添えます

 

あなたへの五年目のプレゼントです

 

 *ツィッターで連詩をと声をかけていただき

 一気に書いた詩です。


五分で書いた詩

2016-02-27 07:28:12 | 

十七

 

住民に寄り添って

と いう言葉が沢山落ちている

仮設住宅地を歩くと

ときどき躓いて転びそうになる

紙の紙幣をばらまくような

言葉のばらまき

そこに実効性がないと

寄り添ってと言う言葉だけが

一人歩きをしてしまう

孤独な後姿に避難者には見える

 

十八

 

未着手となっている復旧復興事業

復興庁の人事異動が頻繁にある

今まで時間をかけて作成した計画が

新しい担当者によっては却下されたり

見直しを迫られたりする

霞が関の物差しとはどういうものなのか

天に届くほど長い

と いう人もいるのだが

 


二月の底

2016-02-26 18:12:25 | 

二月の底辺は

どこにあるのだろうか

季節の三角形を

作りたいと思うのだが

 

長くつを履いた春がやってきて

三角形の角を

すべり落ちていく

 

風が下から

ときどき強く吹きあげてくると

すべり落ちる角度が

少しずれたりもする

 

そんな季節の三角形を

私は今までみたことがない

 

震災後からは

長くつを履いても

近くの池の氷は

春の口に運ぶことはできない

 

まだ放射能が

眠っているかも知れないのだ

 

震災前は

春を池の氷で何回も探った

 

その手の感触はまだ残っている

日陰に張った氷の厚さを

春の陽が

斜めに横切っていく感触だ

 

震災後から

二月の底辺は曖昧になってきている

三月十一日が

その後ろにはある

 

だから季節の三角形は

二月の底辺を探りあぐねている

 

それでも

ときおりすべり落ちるものがあるから

三角形は

ほぼ出来上がっているのだろう

 

二月の底は三月になれば

ここが底辺だよと

誰かが教えてくれるのかも知れない

 

今は分からないだけなのだ

この月を跨ぐと

また切ない日が規則正しく訪れる


六年目に入る

2016-02-26 07:52:31 | 

仮設住宅に住む人の

孤独死が増えている

それも高齢者の一人暮らしだ

 

空きが増え

孤立者支援や集約が課題だと

言われてきたが

 

この支援策が曖昧だ

仮設住宅の集約も選択肢の一つ

それだけで解決できない

 

三つ四つと

複合的な対策を打ち出しながら

仮設住宅に住む

一人暮らしの高齢者に寄り添う

 

災害公営住宅は

遅れに遅れているから

仮設住宅の生活が長くなる

 

古里に戻ろうと

除染の広がりを期待しながら

待つということに

疲れ始めてきたのだ

 

前に進むことを諦めたのか

と 怒りの声もある

行政の力にも限りがあるのだ

 

それでも五年目を過ぎ

六年目に入ると

怒りは爆発するかも知れない

 

被災者に寄り添って

と 誰が言ったのか

本当に寄り添っているのかと

 

一万八千人の仮設住宅暮らし

住民帰還や住宅の住み替えなどから

取り残された人々だ

 

帰還宣言しても

インフラの整備が遅れている

とても住めるものではない

と いう声も聴く

 

仮設住宅に住む人の

孤独死が増えている

それも高齢者の一人暮らしだ

 

現代の姥捨て山だ

と いう人もいる

その生活環境で頑張っているのだ

愚痴の一つや二つ

 

国の方針がくるくる変わるから

帰還時期を見定められない

中間貯蔵施設など

いつできるのか誰も分からない

 

福島県は

いま日本から切り離されている

少しずつ戻りつつあるが

 


桜の開花

2016-02-25 07:26:56 | 

耳は幾つもの春の開花を聞き分ける賢さを

兼ね備えている

 

野原で 川べりで 山々で 海の波音の間で

それぞれ春の仕様があるから

それを上手に聴き分ける知恵を身に着けた

 

五年前に東日本大震災で被害を被った場所だ

少しの揺れでも耳の中の蝸牛は眩暈を起こす

 

今も肌身離さず危険信号を一つや二つではなく

飾り物のように多く身に着けている

 

アラームが鳴っても鳴らなくてもまず逃げる

どこに逃げるかはその時の判断だ

 

春を待ちながら庭の小鳥の行動を観察している

どのように危険を察知して瞬間に身を翻すのか

 

コツだけ身に着けても駄目だと分かってはいるが

この五年間の中で学んだものは知恵の一つになる

 

その地域の人々に寄り添って納得いく対策をと

国の言葉を何回も私の耳は聴いた

 

国の言葉の中はがらんどうで風が良く吹き抜ける

と 誰かが言っていた

その意味がこの頃になって分かりかけてきた

 

この五年間の中で桜が咲いた春はそう多くはない

咲いたのではない桜が泣いていたのだ

 

桜の花は小鳥を誘うのではなく 

できれば静かに泣きたいと電柱の柱に寄りかかり

風に揺れていたのだ

 

知恵が膨らめば膨らむほど言葉の偽善が大きく見える

そのたびに耳の中の蝸牛は眩暈する

 

学んだ知恵はまた賢くなったが心の不安が残っている

今年の桜の開花時期を天気予報で探っている

 

賢さがあるが故に人は悩む 春になればそれでいい

そこで開花する花びらは隠れて古里に向かう