神々の黄昏 ―Gotterdammerung―

日常の出来事や、ちょっとした物事の考察を書いていくブログ

聖火リレー 長野市民の言葉にはあきれた

2008-04-27 | 読み物
昨日、長野で行われたオリンピック聖火リレーのライブ中継を見ていたら、こんな街頭インタビューが聞こえてきた。

長野市民(中年男)「こんな騒ぎはいい迷惑だよ」
レポーター「チベット側、中国側、どちらに対して?」
長野市民「どちらに対してもだよ。聖火が見たくて来たのにこれはないよ…」

俺は寂しくなった。同時にこの長野市民の男に対して憤りを感じた。これだけ大勢の日本人がチベットの解放を願って声援を送ってるというのに、この男は自分が聖火を楽しめさえすればそれでいいのか? 今、まさに弾圧されているチベットの人々への同情心はこれっぽっちも無いのか?

たしかに純粋にオリンピックを楽しみたいだけの長野市民には迷惑な騒ぎに映るんだろう。しかし、ロンドン、パリであれだけのリレー妨害があり、その後も厳重警戒下の異常なリレーばかりがニュースで取り上げられている現状を見れば、長野でも同じ事態が起こることは予測できただろうに。その上で、なぜ世界中の人々が「フリーチベット」と叫んでいるのか少しは気に留めるのが、民主国家で自由を享受している人間の自然な心理ではないのか。「迷惑だ」の一言で片付けてしまえる人間が日本にいることにあきれてしまう。

まぁ、これも一言で言ってしまえば“平和ボケ”なんだろうな。63年間も戦火を交えず、外国で大きな戦争があろうと過酷な民族弾圧があろうと、我関せずで平和にのほほんと暮らしてきた日本人にしてみたら、現在進行中の中共によるチベット弾圧なんて全く身近な出来事に感じられないわけだ。むしろオリンピックを楽しむにあたってはどうでもいい出来事。悲しいかな、これが多くの日本人の考え方なのであろう。

こう書いてる俺自身も反省はある。チベットが中共に侵略された史実は以前から知っていたものの、とくに何も行動してこなかった。中共に対する憤りやチベットへの同情心くらいしか持たずにきた。3月にラサでの暴動があるまで傍観者でいてしまったことが情けない…。

しかし、今後は声を上げていきたい。生憎長野へは行けなかったが、東京で行われる5/6のTSNJ(チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン)の集会・デモには参加するつもりだ。集会にはあのリチャード・ギアの出席の可能性があるというし、東京で開催されることを考えればかなり盛り上がることが予想される。「フリーチベット」と声高に叫んで、街頭の無関心な日本人にチベットの惨状を気づかせるきっかけに微力ながらなれればよいと思う。多くの日本人がチベットについて知ることが、やがてチベット解放を後押しする世論になるのだから。

冒頭の長野市民の男の言葉が象徴するように、今、日本人の考え方が内向きになりすぎてしまっている。「自分さえ楽しめればいい」…そんな利己主義丸出しの人間は、中国が日本の安全と経済繁栄を脅かしている現実を軽く見ているのであろう。物価の高騰を始め、中国の台頭が関係している問題はたくさんあるというのに。

とにかく、今の日本のままじゃやばい。中国に対してもっと危機感を覚えないといとまずい。能天気な長野市民の声を聞いて、そして長野の街にはためく異常な数の五星紅旗を見ながら、心底そう思った。