まじめなプロケーブル信者だったころ、「音の焦点合わせ」にこのアルバムを使っていました。
4曲目の『織田一枝』が歌と語りの組み合わせですので、「焦点合わせ」に最適でした。
語りの部分での抑えた説得力のある声と、歌の部分での盛り上がりの対比や、絶妙のタイミングで入るピアノの響きなど、きくべきポイントは数多くあります。
ただ、クミコの声はJRX115のホーンとは相性が悪いのか、OSのアップデート程度の些細な変化でも、すぐにキンキンの音に変わってしまいます。
で、「焦点合わせ」をして「生音」に戻すわけですが、次第に品のない歌声になってゆくように思え、伴奏のピアノやバイオリンの音色も、とてもそれらの楽器とは思えないおかしなバランスの音でしか鳴らないようになってしまいました。
結局、プロケーブル的「生音」とは音像のリアリティのことであって、声質はキンキンさえしなければそれでいいというレベルなのではなかろうか、と考えるようになりました。
というのも、9曲目の『わが麗しき恋物語』の悲しみが10曲目の『わたしは青空』の祈りで癒される場面、ここで感動できなければこのアルバムをきいたとは云えない、そう言いたくなるくらい大切な所が、「焦点合わせ」で得られた「生音」では十分に表現できないからです。
こんなアーティストの想いを伝えることが出来ない「生音」や「焦点合わせ」などと言う欺瞞性に満ちた方法より、オーディオ的な帯域バランスを重視したセッティングのほうが、情感豊かな音で鳴らすことが出来る可能性が高いことにも気が付きました。
そういった意味でも思い出深いアルバムです。
4曲目の『織田一枝』が歌と語りの組み合わせですので、「焦点合わせ」に最適でした。
語りの部分での抑えた説得力のある声と、歌の部分での盛り上がりの対比や、絶妙のタイミングで入るピアノの響きなど、きくべきポイントは数多くあります。
ただ、クミコの声はJRX115のホーンとは相性が悪いのか、OSのアップデート程度の些細な変化でも、すぐにキンキンの音に変わってしまいます。
で、「焦点合わせ」をして「生音」に戻すわけですが、次第に品のない歌声になってゆくように思え、伴奏のピアノやバイオリンの音色も、とてもそれらの楽器とは思えないおかしなバランスの音でしか鳴らないようになってしまいました。
結局、プロケーブル的「生音」とは音像のリアリティのことであって、声質はキンキンさえしなければそれでいいというレベルなのではなかろうか、と考えるようになりました。
というのも、9曲目の『わが麗しき恋物語』の悲しみが10曲目の『わたしは青空』の祈りで癒される場面、ここで感動できなければこのアルバムをきいたとは云えない、そう言いたくなるくらい大切な所が、「焦点合わせ」で得られた「生音」では十分に表現できないからです。
こんなアーティストの想いを伝えることが出来ない「生音」や「焦点合わせ」などと言う欺瞞性に満ちた方法より、オーディオ的な帯域バランスを重視したセッティングのほうが、情感豊かな音で鳴らすことが出来る可能性が高いことにも気が付きました。
そういった意味でも思い出深いアルバムです。
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