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アメリカが支援した統一協会

2006-03-19 19:20:57 | 政治
 ソ連の共産主義は第二次大戦後、東欧、中国、アフリカへと急速に拡大した。米国財界は、その勢いに恐れおののき、何とか共産勢力の力を削ごうと、反共活動を支援した。その第一は、フランク・ブックマン博士のMRA運動(道徳再武装運動)である。MRAについては別の機会に解説することとしたいが、もう一つの反共組織、統一協会について触れたい。

 言わずとしれた事であるが、統一協会は、文鮮明教祖が、1954年に韓国で設立した宗教団体である。その日本支部が設立されたのは、1959年のこととされている。最初に伝道のために日本に渡ってきたのは、在日韓国人の西川勝氏である。別冊宝島掲載の西川氏のインタビュー記事(「統一協会よなぜ変わってしまったのか」)によると、数名のキーマンが日本への布教に重要な役割を果たしたことが分かる。

 以下、同記事から統一協会の「支援者」のエピソードを紹介する。

(1)笹川良一氏

 当初、西川氏は密航で日本に入国し、海上保安部に逮捕されるも逃走し、様々な職を転々としながら伝道する日々を送っていた。これに助けの手を差し伸べたのが、日本船舶振興会の笹川良一氏であった。

 笹川氏は、「戸田のボート練習用合宿所や施設を無料で貸してくれたり、色々と世話をして」くれたそうだ。さらに、密入国の西川氏が警察に捕まったときも、警察に「手を回してくれた」。警察に出頭した際に警察署長から開口一番に「笹川良一さんがそちらに来ておられるんですか?」と聞かれて、「手を回した」ことが分かったそうだ。

 さらに、笹川氏は当時の法務大臣・賀屋興宣氏等に対して「一生懸命に働きかけ」て西川氏の処分に手心を加えてもらう事に成功し、西川氏がいったん帰国した後に再入国すれば日本への永住権を与えるという約束を勝ち取ったそうである。

 笹川氏は、一密入国者の処分に対して、国務大臣に圧力を掛けるほどの協力を惜しまなかったのである。いかに笹川氏が統一協会を支援していたかが分かるエピソードだろう。

 なお、西川氏の説明によると、笹川氏と面識が出来た経緯は、笹川氏が「伝道していた統一教会の婦人」と偶然に知り合いになり、「その婦人を介して笹川氏と会」ったということになっているが、偶然を装うことは難しくない。 


(2)岸信介氏

 統一協会の日本支部は、西川氏が勤めていた時計屋の間借りからスタートしたが、その後、渋谷の高級住宅地・南平台に本部を構えることとなった。

 この本部は、「岸元首相が首相私邸として借りていた」もので、統一協会研究者の荒井荒雄氏によると、「当時、僕が見に行ったときにも首相私邸警備用のポリス・ボックスがまだ残っていた」という。

 岸信介は、笹川良一の盟友であるので、笹川氏から岸首相を紹介されたと考えることもできるが、西川氏の片腕で、後に統一協会会長ともなる久保木修巳氏に岸首相とパイプがあり、その縁で岸首相の私邸を借りることができた、と西川氏は考えているようである。


(3)立正佼成会

 上記の久保木修巳は、元々、立正佼成会の幹部であり、教祖・庭野日敬氏の秘書室長だった。久保木が統一協会に移ったのは、同じく立正佼成会の青年部長であった小宮山嘉一から誘われたからだという。

 このほかにも、立正佼成会から約40名が統一協会に移り、この精鋭のエリート達が、統一協会の勢力拡大に大きな役割を果たしたのだった。


(4)「安保」で繋がる岸・庭野・久保木

 (3)で「久保木氏と岸首相のパイプ」に触れたが、これについて西川氏は次のように説明している。

 「久保木は立正佼成会時代、日米安保闘争の際の体制側の学生代表で、岸首相とはパイプがあった」

 岸信介は、1960年の日米安全保障条約の改定の時の首相だった。

 安保騒動については説明するまでもない。5月20日に強行採決した後に混乱は加速し、6月19日に予定されたアイゼンハワー訪日の先遣隊として来日した、報道秘書官ジェームズ・ハガティーがデモ隊に囲まれて身動きが取れなくなり、ヘリで脱出を余儀なくされる騒ぎが起きた(6月10日)。さらに、6月15日には全学連主流派が国会に突入し、死者も出る惨劇が起き、6月18日には33万人のデモ隊が国会を囲んだ。

 この間、岸首相は何とか騒動を納めようと、笹川氏などを通じて、右翼、暴力団や宗教団体等を動員してデモを鎮圧しようとしたと言われている。これが、「久保木は立正佼成会時代、日米安保闘争の際の体制側の学生代表」だったということの意味である。

 推測ではあるが、おそらく、岸首相が庭野教祖に反デモ要員の動員を依頼し、その担当者として任命されたのが、久保木氏だった、ということなのだろう。

 これでわかるように、統一協会の初期の支援者は、「安保」で繋がっているのである。

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 日本での激しい反対にもかかわらず、「安保」を強行成立させ、日本とアジアを共産主義の浸食から守ろうとしたのは、米国の政財界である。岸・笹川の両氏は、日本の政界における米国の協力者であった。 

 そして、米国財界が世に広めようとした反共主義は、そのまま統一協会の教義となったのであり、そのため、米国は岸・笹川等の協力者を通じて、日本での統一協会の活動を支援したと考えられるのである。

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