新・カメの菊五郎の独り言

多摩市在住のカメ育てに苦労中の普通の会社員。×1です。

小田急永山駅のAED

2008-06-07 19:52:15 | AED
2008/06/05の「小田急多摩センター駅のAED」の記事の最後に、
永山駅も設置されてないと思うが、明日の朝確認しようと思う。
と書きましたので、6月6日(金)の出勤時に改札の外側から見える範囲でAED設置の有無を確認しました。

小田急永山駅に設置するとしたら、駅事務所の横だと思ったのでそこを重点的に見ましたがAEDを確認する事は出来ませんでした。
あと念のために駅事務所の反対側(箱根そば側)も見てみましたが、見付かりませんでした。

まぁ永山駅に関しては、
 ・京王永山駅
 ・グリナード永山
 ・ベルブ永山
と既に3つのAEDが設置されているのでAEDの貸し借りさえ出来れば小田急永山駅の改札内になくても問題ない気もしますけどね。
あと駅前交番にAEDが設置されていれば完璧ですね。

それと、駅の目の前には日本医科大学多摩永山病院があり、ちょっと離れますが消防署や南多摩保健所もありますので、永山駅周辺は恵まれた環境なんですね、カメの菊五郎でした。


「草枕」を読みました

2008-06-07 16:09:15 | 本と雑誌
2008/01/12の「品格が育つかも?」の記事で書いた5月の本である、夏目 漱石著の「草枕を読んだので感想などを書きます。読み終わるのが先月に続いて、翌月(6月)に食い込んでしまった事には目をつぶって下さい(笑)、m(__)m。
6月の本は6月中に読みたいと思います。

夏目漱石作品を読むのは、久しぶりです。前に読んだのは”こころ”です。

さて、
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
の始まりで有名な草枕ですが今回初めて読みました(^^ゞ。

主人公の青年画家が春の山路を登りつめてそこで、とある温泉場で才気あふれる女、那美と出会う。
夏目漱石が博学をあるところ嫌味なく披露しながら、芸術とはなんぞやという事をあれやこれや論じながら、温泉場での暮らしを書いてある話。

この小説は、絢爛豊富な語彙と多彩な文章を駆使して絵画的感覚美の世界を描いており流石は文豪という文章であるが、小説としては”こころ”のほうが好きです。

さてこの小説の中で一番気に入ったセンテンスは、
しかし人間を離れないで人間以上の永久という感じをだすのは容易な事ではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝っては凡てを打ち壊してしまう。といってむやみに気楽ではなお困る。一層ほかの顔にしては、どうだろう。あれか、こらかと指を折って見るが、どうも思わしくない。やはり緒那美さんの顔が一番似合うようだ。しかし何だか物足らない。物足らないとまでは気が付くが、どこが物足らないかが、われながら不明である。従って自己の想像でいい加減に作り易える訳に行かない。あれに嫉妬を加えたら、どうだろう。嫉妬では不安の感が多過ぎる。憎悪はどうだろう。憎悪は烈げし過ぎる。怒?怒では全然調和を破る。恨?恨でも春恨とかいう、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。色々に考えた末、しまいに漸くこれだと気が付いた。多くある情緒のうちで、憐れという字を忘れていた。憐れは神の知らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。
です。

このセンテンス内で、
 ・嫉妬
 ・憎悪
 ・怒
 ・恨
 ・憐
という言葉を巧く使い分けているところは流石である。
私もいつか、漱石のように日本語を使えるようになりたいものである。それにはまだまだ勉強が必要ですね。

さて6月の本は、夏目漱石の弟子の中 勘助著の「銀の匙」です。