ラオス初めての一歩

1998年3月にベトナムのフエからローカルバスを乗り継いでで国境を越えました。これがラオス初めての一歩である。

ムアンシンの好き嫌い

2005-05-30 19:23:29 | ジョニーのひとりごと
私はラオスの中で一番好きなところはムアンシンである。
ルアンパバンやワンビエンが大好きというのはよく聞くが
ムアンシンが一番というのは私とムアンシンGHのKさん位のものである。
最近は遠くまで行かなくなったが以前は色んな所へ行っていた。
歩いているとサバイディーとよく声を掛けられた。
こちらからもサバイディーというと必ず挨拶を返してくれる。
ムアンシンは小さい町なので食事もサウナなどもすぐに行ける。
怠け者の私にしてはとても都合のよい街である。

しかしすべてが好きなわけではない。
それはムアンシンのゴミ問題である。
ラオス人は何処にでもゴミを捨てるのでムアンシンの町の中はゴミだらけである。
ラオスの北部にポンサーリーという所があるが
ここは中国からリサイクルできそうなものを買い取りに来ている。
ポンサーリーの子供たちは小遣い稼ぎにせっせと色々と拾ってくる。
ムアンシンの直ぐ近くに中国があるのだからリサイクルをできないものだろうか。
このままだとムアンシンがゴミに埋もれてしまう。
夕方ゴミを回収して少し離れたところで燃やしてはいるが
旧マーケットの近くは本当にゴミだらけである。

情報ノート1

2005-05-28 21:16:12 | 情報ノート
皆さん情報ノートというのはご存知でしょうか。
情報ノートはバックパッカーが多い宿に時々置いてあり
そこに宿泊している旅行者が書き綴った物で
ガイドブックには載っていない最新の情報や全く役に立たない感想文などが書かれている。



デット島のVong'sレストラン



パクセのLienghuongレストラン


パクセのLienghuongレストラン


この情報ノートのことを書く前に悲しい報告をしておかなければなりません。
ラオスの情報ノートではおなじみで日本語計画の第一人者のSさんが
2005年の1月にバンコクで倒れ帰らぬ人となったからである。

私がSさんと初めて会ったのはチェンコン(タイ)で
その時は情報ノートのSさんとは知らず時間もなかったのであまり話も出来なかった。
その2年後ビエンチャンのRDゲストハウスで再会したのである。


ラオスには7~8箇所のゲストハウス、レストラン、ネット屋にある。
ムアンシンGHの情報ノートの箱を作ったのはSさん
上記のパクセのベトナムレストランのノートに表紙を付けたのもSさんであり
パクセの情報ノートあります!。は道を歩いている人でも分かるようにと
ネット屋で文字を打ちそしてラミネートをかけ道路側に向けて貼り付けてある。
これを作ったのもSさんである。
こういうお金はもちろんすべてSさんが出している訳で
大げさに言えば私財をなげうって情報ノートに尽くされた方である。

情報ノートは常に盗難や紛失のことを考えなければならない。
そこでSさんは情報ノートをスキャナーで取り込み
それをネットで公開することを思いついたのがこれである。

チェンマイ「GREEN HOUSE」の情報ノート

Sさんのご冥福を心からお祈りします。

もう少しだけ甘えさせてあげて

2005-05-27 19:53:02 | ジョニーのひとりごと
ムアンシンでお世話になっているセンさんには二人の子供がいる。
ひとりはポン12歳の女の子。
もうひとりはジョニー7歳の男の子である。
ポンはしっかりもので家の手伝いや店番など何でもする。
家は商売をしているので小さい頃から手伝っているうちに自然に覚えたのだろう。

それにひきかえジョニーは甘えっ子。夜になるとお母さんにべったり。
シャワーを浴びるとき本当はひとりで出来るのにお母さんに体を洗ってもらっている。
そしてわがままで自分の思うようにならないと人を蹴飛ばしたりする。
こういう子なので第3者から見るとただのくそがきであるが
私はこのくそがきジョニーが可愛くてしょうがないのである。
私がいかに冷静さを装っても家族はもとより近所の人にもバレバレなのだ。

ジョニーがおばあちゃんの家に泊まりに行った時
珍しくポンがセンさんに甘えていた。
ジョニーが生まれてからいつもジョニーが甘えていたから
ポンがセンさんに甘えているのをあまり見たことがない。

以前ポンが横になりテレビを見ているうちにウトウトしているとお父さんに
部屋で寝るように言われ、私もう寝るねとひとりで部屋に行ったポン。

ルアンパバンのコールドリバーGHにヌヌという女の子がいる。
この子は二人姉妹の下の子でポンと同い年である。
この子もテレビを見ているうちに寝てしまいお母さんに起こされ
トイレに連れて行かれその後部屋に連れて行かれたことがあった。
同じ年でも上の子と下の子ではこうも違うのかと思った。
この子はよくお母さんに甘えている。いつも横に優しいお母さんがいる。
私から見るとヌヌが羨ましい。
センさんもう少し、もう少しだけポンにも甘えさせてあげてと思った。

ヘボ3号の写真日記帳の2004.8.29をご覧下さい。
写真左からセンさんの弟、我が愛しのくそがきジョニー、一番右は隣のモット。2~3年前の写真です。
ポン6~7歳位の頃の写真(左)


ムアンシン7

2005-05-26 20:21:30 | ラオス2005
2005年3月16日(水)
 
朝、ポンがセンさんの実家の近くの川で洗濯をしていた。
洗濯機がないのだから家で洗っても川で洗っても手で洗うことには変わりはない。
でもかえってすすぎが楽だから川の方が便利なのかも知れない。
洗濯をしているポンを見ていると日本も昔はこうだったんだろうなっとふと思った。

家に戻ると誰もいないのムアンシンGHのKさんに会いに行った。
昨日泊まっていた人は自転車でアディマの方へ行っている。
アディマというのはムアンシンから中国国境の方へ約8Km離れた所にあるGHで
アディマの近くには少数民族のアカ族やヤオ族が暮らしていている。

昼を過ぎた頃彼は帰ってきた。
彼は船でフェイサイからメコン川を下り
そしてパクタからナムタ川を上ってルアンナムタまで来たと言っていた。
今はまだ雨季に入っていないので川の水位は低く
彼の乗った船も四苦八苦してパクタからルアンナムタまでようやく来たらしい。
こういう話を聞いているととても興味深く時間が経つのを忘れてしまうのである。

若いお母さん

明日はムアンシンをたつので今日はいつもは歩かない所に行ってみた。
ちょうど学校が終わる時間で子供たちが帰ってきた。
その時赤ちゃんを抱いていた若いお母さんがいた。年齢を聞いたら19歳だった。
ムアンシンに限らずラオスには若いお母さんがたくさんいる。
私のお世話になっているセンさんもその一人である。


☆小遣い帳

朝食3000K
パン2000K
スイカ4000K
昼食7000K

合計16000K

ムアンシン6 ラオス語って難しい

2005-05-25 19:55:08 | ラオス2005
2005年3月15日(火)

昨日までムアンシンGHに泊まっていた日本人がチェックアウトして
Kさんも用事でGHにいないので今日は話し相手がいない。

ジョニーが学校から戻ってくるとテレビゲームをやっていた。
いい機会なのでラオス語を少し教えてもらった。
これから行くGHの人の名前なのだがどうしてもできない発音があった。
それはカタカナで書くとロンニットという言葉である。
何十回も繰り返してもらっているうちにジョニーが怒り出した。
それは私が何度やってもできないからである。
でもそばにいた子供にやってもらうと難なくできるのだ。
このロンニットというのは英語のRの発音なのだろう。
日本人はRとLが苦手であり私もできないがラオス人には難しくはない。

そういえばポンの友達でリーという女の子がいる。
ジーンズのLeeというメーカーがあるがこの発音ではなくRの発音になるようで
この時も発音が違うと言われたこともあった。

夕食の時、ロンニットのことが話題になりセンさんに大笑いされた。
ラオス人だったら子供でもできるのよと言われても返す言葉がない。

でもラオス人が苦手な言葉もある。
それは日本語のサ行とタ行で特にタ行ができない。
私の知人にち○つさんという人がいるがこの発音ができないのだ。
4月に入りラオス人がホーン、ホーンと連発するが
ホーン(暑い)って日本語で何て言うのか聞かれた。
暑いって言うんだ。でもこの言葉はとても難しいらしく
ラオス人の大人が言うとあちゅいとなる。
何度言ってもあちゅいになり私のロンニットと同じ結果になる。
でも子供に言わせると正確にあついと発音できるのである。


☆小遣い帳

朝食3000K
パン2000K
昼食11000K
コーヒー2000K
ナムワーン1000K

合計19000K

ムアンシン5

2005-05-24 19:10:52 | ラオス2005
2005年3月14日(月)

ムアンシンのマーケット調査

きゅうり1Kg2000K
とうふ3個で2000K
竹の子1Kg4500K
とまと一山1000K
米1Kg2500K
黒砂糖1Kg5000K
さかな1Kg10000


本日の銀行レート

 1~20ドル10280K
50~100ドル10285K
1バーツ263K
1元1220K
旧マーケットの金行(闇)で両替すると
1バーツ270K 高額(1万バーツ位)は271K  
1元1250K


☆小遣い帳

朝食3000K
パン1500K
コーヒー4000K
昼食10000K

合計18500K

ムアンシン4

2005-05-23 20:15:10 | ラオス2005
2005年3月13日(日)

今日は曇っているので朝の冷え込みは弱いが陽が出ていないので寒い。
いつものマーケットには欧米人が通訳2人を連れてアカ族などの取材をしていた。
通訳が2人いる理由は英語→ラオ語→アカ語ということだ。

いつもならマーケートから戻ってアイスコーヒーを飲むのだが
今日は寒くてそれどころではない。
宿に戻るとポンが自転車に籠をつけてくれというが工具がない。
それで車のパンク修理屋まで行って工具を借りて付けた。


マーケットの前を歩いていると一台の車が止まった。
その車はスイカを積んでいた。今年もそんな時期になったのだ。
今シーズンの初出荷だ。一年ぶりでみんなが待ちに待ったスイカだ。
出始めなので一つ2000K~4000Kもする。
来月の中頃には一つ1000Kくらいになるはずだ。
ムアンシンの郊外(シェンコック)にはスイカの大農場がある。
最盛期にはムアンシンでは食べきれず中国にも大量に運んでいる。
スイカの前の人垣は暗くなるまで品定めをしていた。

夕方、今日もサウナに行って来た。今日はSingcharean Hotelの横の方だ。
ラオス式サウナは日本のように高温ではなく
部屋の中が水蒸気で薬草を燻していい匂いがする。
入ってしばらくすると体中から汗が拭きだしてくる。
耐えられなくなると部屋から出てお茶を飲む。
これを1時間位繰り返して帰ってくる。

サウナから戻ると隣の家で宴会をしていてみんなそっちのほうへ行っている。
夕食は私一人のために作ってもらった。
夜ベランダに出ると雷がなり遠くで光っていた。
部屋の明かりを消して布団に入っていると雨が降りだした。
ラオスはもうじき雨季に入るのだろうか。

☆小遣い帳

朝食3000K
パン2000K
修理代500K
昼食11000K
コーヒー2000K
サウナ10000K

合計29500K

ムアンシン3

2005-05-22 17:04:52 | ラオス2005
2005年3月12日(土)

ここムアンシンではいつも早寝、早起きで子供たちよりも早く寝ている。
電気はついているが日本に比べると少し暗いので本を読むには辛い。
それよりも私は朝が大好き。朝のマーケットの雰囲気が大好きなのだ。
マーケットはいつも6:30頃には人で賑わっている。ただ写真を撮るにはまた暗い。
その辺をぶらぶら歩いているとセンさんのお母さん(ジンエーン)と
お父さん(タオチャーイ)の店を見つけ近寄ると声を掛けられた。
今は惣菜とチキンのスープで炊いたカオニャオ、チキンの煮物を売っている。


午後から少し気になっていた宿に行って来た。
その宿はムアンシンからルアンナムタ寄りに5.5Km離れた所にある
stupa Mountain Lodge という宿である。

行きは歩きで1時間半かかった。宿の周りには何もない。
あるのは山と田んぼだけだ。
ムアンシンは24時間電気が使えるようになりGHのあるあたりは星を観づらくなったが
ここは電気が消されると満天の星空が見られるに違いない。
帰りはルアンナムタからのバスに乗って戻った。
宿に戻り少し横になるつもりだったが眠ってしまった。

昼間は家に人がいないことが多くよくムアンシンGHに遊びに行っている。
ムアンシンGHには情報ノートありこれを読んだり書いたりしている。
今日もムアンシンGHに遊びに行った。
日本人はKさんを含めると5人が泊まっていて
そのうち女性が4人(ということはKさん以外はすべて女性)泊まっている。
それも美女ばかりなのでついつい長居をしてしまい夕方まで話をしていた。

夕食後は店の売上金を数える。売上金は多いときでダンボール一つある。
しかしこの時テレビを見ながらやっていると女性陣の手が一斉に止まることがある。
ドラマを観ていていいシーンになるといつも止まってしまうのである。

☆小遣い帳

朝食3000K
コーヒー11000K(5)
昼食15000K
カキ氷1000K
車5000K
 
合計35000K

ムアンシン2

2005-05-21 19:54:45 | ラオス2005
2005年3月11日(金)

ムアンシンでお世話になっているセンさん一家を紹介します。
センさん(奥さん)
ご主人
ポン(女の子12歳)
ジョニー(男の子7歳)
住み込みの女の子17~18歳位
住み込みの男性20歳位

私はこのご家族にお世話になっている。
さらに夕食も一緒に頂いている。
まさに1食昼寝つきである。
朝は毎日カオソイを食べているので
食事のことは昼食だけを考えるだけでいいのである。
ムアンシンのはずれにインドレストランがあった。
美味しいレストランだったが遠くて分かり難くいのと
すこし高かかったせいか客は少なかった。
今は店を閉じてしまったのでこれでムアンシンで楽しみがひとつ減った。

ムアンシンには2つラオスサウナがある。
一つはSingcharean Hotelの横にあり
もう一つはPouiu2の横にある。
今日はPouiu2の方に行ってみた。ここは5PMからやっていて10000Kだった。
私はどこのラオスサウナに入っても数時間経つと必ず目がかすむのである。
サウナのなかで目を開けていても閉じていても結果はいつも同じ。
なぜなのだろう?体のどこかが悪いのだろうか。



☆小遣い帳

朝食3000K
コーヒー6000(3)
昼食10000K
サウナ10000K

合計29000K

ムアンシン1

2005-05-20 21:48:08 | ラオス2005
2005年3月10日(木)

センさんたちの車は夜中の2:30に戻ってきた。
荷物下ろしはしないでご飯を食べて寝たようだ。
荷物は6:30頃から下ろし始めたようだったが
手伝わずに昨日の埃だらけの服などを洗濯していた。

まずはマーケットに行ってみた。今泊まっている家はマーケットのすく前にある。
あれ変だぞ!いつもカオソイ屋がない。店の数も減っている。
生鮮食品がない。以前あった野菜売り場にも誰もいない。
この辺は雨が降ると泥だらけになっていたがコンクリートに変わっていた。
街を歩きバス乗り場へ行く途中ムアンシンGHの前でKさんに会った。
Kさんとは1年ぶりの再会だ。
彼によるとマーケットはバス乗り場の近くに移転したらしい。
バス乗り場へ歩いて行くと人がぞろぞろ歩いていた。
仮の新しいマーケットの売り場は広く店の数も多い。
本当の新しいマーケットはバス乗り場のさらに奥に建設中だ
建設中のマーケットが出来れば生鮮食品はもとよりすべての物が移転する。
ムアンシンでもカオソイを食べ蒸しパンを買い宿まで戻る。
荷物下ろしはすでに終わっていた。
仮のマーケットほうはコーヒーは売っていない。
元の方でコーヒーを買い宿で蒸しパンを食べた。

ムアンシンで初めて気がついたことだがこの1年でラオスでの携帯電話が
爆発的に普及したことだ。
センさん一家も商売で使うためもちろん持っている。
夜、みんなでテレビを見ていると電話番号を聞かれた。
よく旅先で昔は住所の交換、今はメールアドレスの交換をすることがあるが
私たちも電話番号の交換をした。
でも私はラオス語を話せないのにどうするのだろうか?


☆小遣い帳

朝食3000K
蒸しパン2000K
とこや7000K
コーヒー4000K(2)

合計16000K