四方八方から聞こえる カーッ!ペッ! という唾やら痰やらを吐く音ともやっとお別れ。
あぁ、これから静かな生活になる。
期間限定、中国番外編はこれまで。「長渕剛の乾杯」と「キロロの未来へ」が街角に流れる中国に別れを告げてマレーシア、KLに移動。
本ブログへ戻りまする。
http://sites.google.com/site/julienne32601/home
四方八方から聞こえる カーッ!ペッ! という唾やら痰やらを吐く音ともやっとお別れ。
あぁ、これから静かな生活になる。
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天津に来て 見所はあっさり回ってしまったので二日続けて走ってみた。
街の中央を流れる川、今は凍っていて氷上釣り場になっているのだが、を見ながら行って帰って。
北京に比べると空気はずっと良く 気分よい走りが出来た。
元旦のハッシュランから始まり 4日、5日と真面目に走っているぞ、よしよし この調子で行きたいものだ。
とうとう 中国に来て30日経過。 長いようで短いようで、、、やっぱり長かった。
きっちり北京ダックも食べ、1月3日に北京から高速特急で天津へ来た。
高速特急列車が出る北京南駅は まるで空港か? と思う程、それは綺麗で機能的で便利でびっくりこいた。西安駅と比べたら天と地だ。
天津から飛ぶエアアジア便に乗る為だが、三泊すると言ったら北京在住の皆々様から口々に「三泊も何するの!? な~~~んにもないのに」と異口同音 同じ意見を頂いた。
『へ~、そんなに 何もないのか。。。』 だが待てよ、今までの我々の経験からして「何もない」とか「1日あれば十分」とか言われた場所に限って惚れ込んで、もっとゆっくりすれば良かったと後悔したではないか。
来てみたら、 ほうらやっぱり。 悪くない街だ。歩きやすいサイズ、観光名所は少ないが散策は面白い。
問屋街があり、ガラクタ街あり、古文化通りや鐘楼周りの古美術とも屑とも言いがたい店があり、かと思うと フランスかはたまた英国かと思うような建築物が堂々と建っていて、過去フランス租界イギリス租界ドイツ租界など 色々な国々が共存していた面影がありで 不思議な景色だ。凍った川に穴をあけて釣りをしている人達、木の椅子に座ってソリのように滑っている人達、なんだがのんびりして 悪くない雰囲気。
初めて訪れる町がここ天津だったら、中国ってそれほど**(好きな言葉を入れてください)**じゃないか? と思うかもしれない。
昼間の景色もいいがライトアップされた夜はとても綺麗だ。これで寒くなかったらそぞろ歩きも悪くないところだが、到着初日の夜は今迄で一番寒くとても日が沈んでから散歩などという気になれなかった。
2012年の予定をたてているのだが、すんなりと決まらず難航中。今年は今迄のように軽い気持ちであっちこっちで走ってという気になれずにいる。昨年の震災以来色々変化があった。ぎっしり綿密なプラン立てをして身動きが取れない立場にしたくない。都度変化に対応出来る余裕を残しておきたい、と思うと予約も入れられず、そうこうしているうちに格安チケットは売り切れてしまった。中途半端というのが一番困るのだが、我々は今、まさに宙ぶらりん状態である。
北極圏のマラソンであるノルウェーのトロムソーという北の地でのマラソンに申込んだはいいが、超がつくほど高い物価のスカンジナビアで長期滞在することは、我々の経済状態を切迫するのではないか、とか、昨今の世界経済の動きを見るに しばらくマレーシア近辺で様子見をする時期ではなかろうか、とか、色々考えてしまう。
先日ニュースで陸上自衛隊元司令官の方のインタビューを読み、あの日の気持ちがよみがえってきた。まさに同じ気持ちだった。
「日本は終わりかと考えた」インタビューはこちらから ↓
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111231k0000e040091000c.html
震災以来 定期的にチェックしているサイトに東京都のホームページがある。
「都知事の部屋」が面白い。今回はこれまたまさに常日頃思っている事をさらりと言ってのけてくれた。こういう発言は影響力のある人がそれなりの場で言って始めて意味があるわけで、一市民がブログに書いても何の役にもたたない訳であるから、ここで堂々とリンクさせていただくことにする。
好き嫌いは抜きにしていつもまともな事を言っていると思う。都知事に再選して良かったと思っている。
以下、慎太郎氏の年頭の言葉。↓
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/tomin.htm
2012年、身の振り方を熟考すべき時ではないかと思っている。
中国で思う
元を辿れば、我々は同じ祖先を持つのであろう。
世界中で当たり前のように使われている物、食べられている食材、その殆どは中国から発したものである。
日本人である我々祖先も遠い遠い昔、大陸を渡って来たモンゴル系か中国系であるに違いない。取り分け自然を愛し草原を駆け回るのが好きな自分に限っては、どこかモンゴルの騎馬民族の血を引いているのではないかと思う。その昔、大陸はつながっていたのだ、好むと好まざるにかかわらず。。。
万里の長城で思う。外敵を防ぐと同時に自国民を外に出さない為の壁だったのではないだろうか? 紫禁城は入ったら二度と出る事は叶わなかったではないか、そこまでして人の出入りを制限した中国という国。広大な領土をまとめるのはさぞや大変なことであったろう。最近になってやっと海外旅行がやや自由になった中国である。
街の様子は日本の昭和前期の様でもある。遠い昔に見覚えがある景色、だが懐かしいとは思えなかった。何故かは分からない。
自分が幼かった頃、家にまだ風呂がなかった時のことをふと思い出したり、当時の東京のごった返す様を思い出した。遠い昔と思っていたあの頃の面影が今、目の前にある。ラビリンスに迷い込んだまま出れなくなる様な恐怖感もある。
リクショー(人力車)、もちろん何の事か知っているよ、子供の頃何度も耳にしたからね。でも乗らずに歩いて回ることにするよ、丈夫な足があるからね。笑いがかえってくる。断わったからといって怒る人などいない。とりあえず今回の旅では騙される事もぼられる事もなかった。有名な観光地を除いたら人を騙そうという意識がないのかもしれない。5元で売っているものは誰にでも5元で売る、そういう気持なんじゃないかな。。
私達はとても近い存在、すこ~し違う進化を遂げたけどね。
世界にはまだまだスキンシップが足りない気がする。
三日も一緒に暮らせば家族同然。互いを思いやる気持ちは生活を共にして始めて生まれる。我々は同じ人間なんだよね。
でも、KLに戻れる日がとても嬉しいのは隠しきれない事実でもある。
まだまだ修行が足りない…
本年もよろしくお願いいたします。
皆様も どうぞ平穏無事、楽しく嬉しいことが多い年でありますように。
昨年 共に走った皆様、今年もどこかで一緒に走る機会がありますように、お互い満足の走りができますように、昨年の御礼と共に、御多幸と健康をお祈りいたします。
旅を続ける皆様、今年も無事で良い出会いがありますように、どこかの空の下で再会する日を楽しみに。
海外を拠点にご活躍の皆様、お邪魔するたびお世話になりっぱなしでお返しするものがなくてすみませぬ。いつか定住した暁にはゲストルームを備えて愛犬とお待ちしておりまする。今年もまたお世話になります!
旧職場の皆々様、いつも応援ありがとうございます。お陰で今日も元気で旅が続けられます。心からの感謝を。
今頃どこでなにアホなことをしているんだ?とたま~にチェックしに来て下さる方々、これからも末永くよろしくお願いいたします。
たまたまこのブログを見かけた方々、しょうもない絵日記ですが気に入って下さったらありがとうございます。
80歳をとうに過ぎてなお元気でいてくれる我が両親へ、このブログは一生目にしないだろうけど、ありがとう。
これからも ジプシー旅はまだ続きます!
さて、1年の計は元旦にあり。
さっそくハッシュラン参加。今年はきっちり走って行きたい!
お決まりのハッシュサインの説明からはじまる。
左から順に 道違い戻れ、ビールチェック、四つ角進路チェック、そのまま直進、右端は二方向チェックの意味。
これらサインを探しながら走って行く。
初参加者は前へ。
今回のビジターは三名。
スウェーデン、オーストラリア、香港の面々。
今回は くねくねと胡同(フートン)細道を駆け抜ける庶民的なコース。
三輪車やリヤカーをよけながら縫うように走る走る。
ビールストップ二回をはさみ 二時間コース。なかなか充実だった。
そして、瓦礫の中に陣取って サークルをかこみ会合開始。寒い寒い。
前夜のニューイヤーイブパーティーで朝まで飲んだメンバーは不参加で、今回は参加者やや少なめ。
スウェーデンからゲスト参加の青年は北京の寒さなんて気にならないようだった。
会合あとの中華レストランでの夕食会。人数多いと中華は楽しい。
さらに飲む飲む。
新年早々 なかなかいい走りが出来 いい年明けを迎えることが出来た。
北京ともそろそろお別れ。
くる日もくる日も、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしていると、行った場所の報告だけで日記が終わってしまうのもつまらない。
ちなみにトップ3とは? 万里の長城、故宮博物館、天安門広場 ではないかと思う。
《紫禁城》が《故宮》に改名し、正式名称が《Palace Museum》になっても、いまだにforbidden Cityと呼ばれる。Forbidden といわれると行ってみたくなるのが人間の性(サガ)であろう。禁断の場所、ミステリアスな響きであるが、入ってみると、9999.5部屋あった中で公開されているのは限られており、土産物屋になっている部屋もある。
故宮でなんと言ってもインパクトがあるのが大広場。映画ラストエンペラーで見たなぁ、とその場面をなぞる。幼い溥儀が階段をヨチヨチ降りてくるシーンだった。主演のジョン・ローンの美しさにため息がでたなぁ。。。しばし中国史の復習。
階段の中央にある 石の彫刻
右は 故宮博物館で出会ったチベットの面々
天安門広場の夕暮れ 中国はどこへいっても 赤色
故宮の全景を裏山から 天気がよくても見渡せるのはせいぜいこの程度
寒いので 紹興酒を温めて飲むのが夕げの楽しみ。
600ml入り三年ものが150円て安くない? 日本の中華料理店で普通に出されるクラス。これをレンジでチンしている。
ビールはレストランで頼んで大瓶50円。スーパーで買うと半分の25円程度でミネラルウォーターより安い。
ここ二日連続 水餃子。種類は50以上あり、通っても制覇出来ないだろう。
写真左) 滝も凍る寒さです。。。
北京の宿はAirB&B(ベッド&ブレックファスト)で街の中心、細くクネクネしたフートンと呼ばれる路地が交差する昔ながらの面影を残す 庶民的なエリアにある。どこへ行くのも便利。
北京生まれの女性とギリシャ人のパートナーが営んでいて、北京散策のツボを教えてくれる。簡単な朝食も付いており、今朝は早朝、万里の長城へ行く我々の為にサンドイッチと温かいお茶を持たせてくれた。
でもって万里の長城。
長い長い城壁はいくつかのセクションに分けられており、それぞれに入場ゲートがあり入場料を払う。
すべてのセクションで払うわけではないが、アクセスがし易いセクションはほとんど有料。北京からもっとも簡単に行けるセクションは他に選択がない場合以外、避けた方が良いと聞いていたので、宿で一緒になったカナダからのカップルとハイヤーをシェアしてちょっと遠方のムーティアンユ城壁まで行った。
(城壁のセクションには夫々名前がついている。)ハイヤーは宿の主人の知り合いで一日付き合ってもらって700元。(約8600円)これを四人で割った。中国ではなかなかいい稼ぎだと思う。
お陰でドアーtoドアー、バスに長時間揺られることも、迷うこともなく、客引きに騙される事もなく、ストレスなく、土産物屋へ連れていかれる事もなく、時間を有効活用出来、帰りにミン王朝墓へも寄ってもらって、余裕で帰宅だった。
何時もは公共交通機関でなるたけ安く動き回る我々も、臨機応変、賢く利用出来るものはしようと思い始めている。
でもって万里の長城。
早朝、だーーーれもいない城壁を白い息を吐きながら登って降りて、また登ってまた降りて、スモッグで霞んで視界は悪いのだが、朝霧だと思えば風情が増す。
シャキーンと冷えた朝の冷気の中で、静かな静かな城壁を歩くのは至福の時間だった。
普段運動していない人にはかなりの運動量である。
階段、階段、階段、階段、登って降りて階段階段。足腰の鍛錬には抜群。
焦る事はない、ゆっくり楽しめば良い。北京に来た一番の目的、万里の長城。
テレビで見るより、写真で見るより、汗をかきながら自らの足でお確かめあれ。
中国が苦手でも、ここに来れて良かったと思うはず。きっと。
明王朝墓
西安から北京まで夜行寝台13時間。
中国での必需品。
西安の宿はアイビスホテル。
今朝のニュースを読んでいて 香港で鳥インフルエンザが検出されたそな。中国本土の鶏肉輸入をしばし止めるという。
鳥類肉の比重がそうとう重いこの国としては大打撃だろう。
食あたり以来 胃が肉を受け入れなくなったので ワタクシ にわかベジタリアン、ご心配なく。
今は柑橘類が旬。特にこの小さい親指サイズの蜜柑が甘くて美味しい。
1キロ 100円。
昨夜から喉がイガイガする。風邪の初期か? ビタミンCをせっせと摂取中。
こちらは (写真右)先日飲んだビール。
青島かこれ、あとはバドワイザーを見かける。
味は とても薄い白ビール的。
西安と長安とは、同じ町の事だったのか。。。
歴史の勉強をさぼったので今更ながら、古都にておさらい中。
兵馬俑を見学に行き、秦の始皇帝が13歳で即位し、戦乱の中国を武力で統一し、22歳から陵墓の建設に着手したと知る。
その皇帝を支えた武士達ひとりひとりの等身大の俑は、
生え抜きのエリートばかりで平均身長180cm、
仕草も表情も衣服も髪型も一体一体が違うのだと言う。
日本でもいく度か紹介されたので、実物を見た方も多いだろう。
髪の一本一本までがきちんと作られていて、その職人気質に感心する。
じーっと見ていると、遠い過去が語りかけてくるようだ。素晴らしい。来て良かった。
京都が西安をモデルに作られた町だったとは知らなかった。
地図を重ねるとほぼぴったりと合わさる程によく似ている。
そして今では姉妹都市なんだそうな。
楊貴妃が美を磨いた温泉を覗いたり、蒋介石が人質に囚われた西安事変の銃弾跡を見たり、歴史博物館や寺や史跡めぐりと 歴史を訪ねてまわる日々。
唐、隋の都でもあった西安。
遣唐使として長安へ来た阿倍仲麻呂は故郷日本を偲びながらも帰国出来ずにこの地で亡くなったそうな。帰りたかったろうなぁ。。
シルクロードの始まり(終りの)地であった西安。
ぐるりと町を取り囲む城壁前には、ラクダの隊列が並んでいたそうな。なんとエキゾチックでドラマチックな古都だろう。
何処となくまだ田舎くさくて古い家が多く残っている西安は見所満載の町。なんだが、、、寒さが骨にしみ入るわー。