ぴろ姐の「日々是反省」

菊地裕子がお送りする、人生泣き笑いブログ

ただ今、帰省中

2009年09月23日 | 業務連絡

月曜日から熊本の実家に来ている。
実は25日にmy母の3回目(?)のリサイタルがあって、
それに出演しなければならぬのだ。

リサイタルといってもフラメンコではなく、 
(日本語の)シャンソンである。
以前、エッセイにも書いたけど、母は50代後半からシャンソンを歌い始め、
シャンソニエやライブハウス、ホールなど、さまざまな舞台に立ってきた。
76歳で迎える今回のリサイタルは、母にとって最後の大きな舞台となるらしい。
どうせならファミリーで温かい舞台にしたいと、
数年前から娘の私にも「出てよ」と要請があったのだ。

「で、ぴろ姐はシャンソンのコンサートで何やるの?」

もっ、もちろん、シャンソンを歌うんですよっ。
それも2曲も。
うーぅ。

あと、朗読もひとつやらかすんですよ。
がーっ。


ピアノとウッドベースの方との音合わせは昨日、無事に(?)終了し、
用意されていた衣装も、ここ数ヶ月の涙ぐましいダイエットの甲斐あって、
どうにかこうにか入ったのだけど、
問題は、久しぶりの舞台で、どんだけ緊張するかだ。

あー。うー。
なんで出るなんて言ったんだろ?
なんてこと書いてるうちに、胃がしくしくと…


誰か、リラックスのおまじない、教えてください。


【本日の反省】
熊本に旅立つ日、うっかり携帯を忘れて取りに戻ったら、バスを1本遅らせてしまった。その時点ではさして大きな痛手ではなかったのだけど、いざバスに乗ったら、行く道行く道、大渋滞。おまけに電車に乗ったら、山手線で「人が線路構内に立ち入りました」とかで臨時停車はするわ、京急では「ポイント故障で大幅に遅れております」てなアナウンスがあるわで、結局、羽田に着いたのは出発時刻の13分前。自動搭乗手続きも締め切っており、ああもう駄目かと諦めかけたその時、目の前に若く美しいANAの女性職員が!「なんとかなりませんか」とすがりついたら、その女性は私の重い荷物を自分の肩にかけ、「お客様っ、走れますかっ」と言うが早いか、エスカレーターをたったか走り出した。日頃の運動不足から私は息をぜいぜい言わせながらも必死でついていき、カウンターにいた別の女性職員に掛け合う彼女に追いついた。結局、当該便には乗れなかったけれど、一応、時間内にカウンターに来たし、電車の遅延もあったからというので、後の便に無償で振り替えてもらうことに。ああよかった!ANAの女性職員は皆、天使です!それにしても、「うっかり」があやうく「がっくり」になるとこではありました。「らっきー!」なんて喜んでるバヤイじゃないぞ>私

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ニライカナイへ…

2009年09月12日 | 随想とか
9日の夜中、ナナで飲んでいたら、携帯に旧知の仲間からメールが来た。
文面を読んで目を疑った。
つい先だっての6日、当ブログで少しだけ触れた演劇の師匠、竹内敏晴氏の訃報だった。

    共同ニュース

亡くなったのは7日の未明。
仲間によれば、病気がわかったのは6月頃らしい。
師が名古屋在住のためか、仲間も私も病気についてまったく聞かされておらず、
突然のことにただただ茫然として、しばらくは何も考えられなかった。

最後に会ったのは3年前、夫の入院していた病院にお見舞いにいらした時だった。
告別式のときは、名古屋から心のこもった弔辞をいただいた。
珍しく電話がかかってきたのは去年の初めだったか。
廃刊になっていた岩波新書の『からだ・演劇・教育』が復刊されることになった、
ついては「菊地くん」(夫のこと)にこの本を献呈したいということだった。

師には、特に「からだとことばのレッスン」に関連して多くの著作があるが、
『からだ・演劇・教育』は、東京のとある都立高校の定時制で、
1980~87年に行われた“演劇教育”の実践の記録である。
演劇教育という言葉をわざわざ“”でくくったのは、
それが普通の演劇教育とはありようがまったく違うからだ。

当時、その定時制は「不良」や「障害児」など、
社会からはじかれたような子供たちが大勢いて、
いわゆる「教師」というものに心を開いてなどくれない。
授業そのものが成り立つかどうかという状況だった。
しかし師には、やはり荒れていた神戸などの別の高校で、
“演劇教育”をしていた実績があった。

本書に書かれた学校での師の“演劇教育”は、おおざっぱにいうと、
(1) 生徒たちへの演劇の授業
(2) 竹内スタジオのメンバーによる演劇公演
この2本で成り立っていた。
(1)は最終的に配役して発表を行い、
(2)はやがてメンバー+生徒・先生の合同公演をやるまでになった。

私も夫も、竹内スタジオの役者として神戸の学校から師の実践にかかわり、
さらに夫は舞台監督、演出家、そして亡くなる数年前までは先生としてもかかわった。
もちろん、役者や演出家として他の舞台も数多く経験したが、
この“演劇教育”におけるもろもろのできごとは、
私に、そして夫にはもっと、深く深く刻印されていた。

「人間であること」「人間になること」「人間が生きるということ」
あのとき、あの学校でかかわった人々が必死に向き合っていた問題は、
20歳で師のスタジオに飛び込んで以来、
ずっと私が探っていたことでもあったのだと、今は思う。
だが、20代の時期の自分は、いったい自分が何に必死なのか、
おそらくわかってはいなかった。

師から復刊されたこの本が贈られてきたとき、
私はあえて中身を読まずに、夫の遺影の前に飾った。
あの時代が蘇るのが怖かったのだ。

昨日、やっと本を読んだ。
私や夫の舞台写真もある。
ありありと思い出すことがたくさんあった。
そう、あの学校へ私は、教育する側としてかかわったのではない。
私自身が教えられに行っていたのだ。
あそこは、「本物の瞬間」が訪れる「出会いの場」だった。


本著にはあとがきが三つある。
1989年と2000年と2008年。
以下は、2000年10月のあとがきから。
 
 コミュニケーションとは、初めからあったり予定されたりするものではない。たぶん、意識下の深い地点で、自分のそれまでの生が壊れることも覚悟して自分を差し出す時に、始まる。全く断ち切られた地点に立つ「あなた」と、一瞬火花が散った時、すばらしいよろこびが燃え上ることだ。
 その原点から歩き出して、わたしたちは、真にひとりの人がひとりの人として、「あなた」を大切にすることによって「人間」になってゆくということを、からだ全体で学んでゆく場を作り出すことができるだろうか。学校と名づけられる場であろうとなかろうと。



……もう何も書けない。
ただ、一言、ご本人に伝えたかった。

竹内さん、いま私が少しでも勇気を持って自分を生きているとするならば、
それはすべて、20代のほとんどをあなたの下で過ごしたおかげです。
私はもう少し、こっちで頑張ります。
あの人やこの人によろしく!




からだ・演劇・教育 (岩波新書)
竹内 敏晴
岩波書店

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SWはスペイン語映画を!

2009年09月08日 | 業務連絡
友人のReine(日本人女子)から、
第6回ラテンビート映画祭公式パーティの案内メールが来た。
会場は南青山の最先端ナイトクラブ、ル・バロン・ドゥ・パリ
(正式サイトはここだけど、ちとわかりにくし)
公式パーティといっても、さすがラテンなのか、オールナイトでDJ出演、
音楽はサルサ、メレンゲ、フラメンコ、タンゴ、ラテン・ハウス(って何?)、サンバなど…

どうやら上演映画の監督やら俳優やらもゲストで来て、
ダンスパフォーマンスもあるらしいです。
入場料は2500円也(ワンドリンク付)。
興味のある方、詳細は友人のブログ『Reino de Reine』を参照されたし。

Reineについてのメモ
もともとは私の年下の友人の、さらに年下の友人。
主にネット(彼女主宰の非公開的掲示板)を介して何年か、熱くお付き合いしてもらった仲。
難関で知られるDELE(スペイン文部科学省認定のスペイン語検定試験)の上級試験に一発でパスした才媛で、
現在は私がスペイン語で困ったときの駆け込み寺。
彼女のブログ『Reino de Reine』は、
スペイン語学習およびスペイン語圏映画に興味のある方には必見のサイト。
ただし、ちょこっと辛口なので、ココロして読んでね(はぁと)。

で、肝腎の映画祭のほうはこちら

Reineを紹介してくれた友人M(スペイン語学留学体験者)が言うには、
スペイン語学習にはスペイン語映画がかなり有効なんですと。
M曰く、初級レベルだとディズニー映画のスペイン語吹替え版がいいらしい。
でも私はどっちかっていうと、セビージャのオスタルのTVで観た、
『巨人の星』のスペイン語吹替え版のビデオが欲しい!
めちゃくちゃ大笑いできるし。

ただし、上記の映画祭サイトを見ると、
この映画祭は主にスペイン・ラテンアメリカの映画を集めてはいるけれど、
中には言語がスペイン語じゃなさそうなのもあるから、そこは要チェック。
でも、単純に映画としても面白そうなラインナップなのは確かで、
どれを観ようか、私も今かなり迷っているところ。

これ、Reineの8月26日のブログに映画館の地図が出ているけど、
東京では新宿バルト9で上映されるのです。
や~だ、奇遇だなァ、ゴールデン街の近くじゃないの~。
まるで私に「観てよ」って言わんばかりだな~。
上映期間は9/17(木)~9/23(水・祝)だから、
ほぼSW(シルバーウイーク…っていうらしいよ、知ってた?)をカバーしてるしね。

てなわけで、おーい、みんなー!
SWはスペイン語映画を観て、ゴールデン街へVamos!
ちなみに、フラメンコ居酒屋ナナは正月以外は年中無休、SW中も絶賛営業中です!
SWは映画館か、ナナで会おうね!
(※ところで22日の火曜日は本来なら私がナナ登板ですが、
  私用で東京を離れるため、Eさんの登板となります。
  あしからず、ご了承くださいませ)

【本日の反省】
読者の方から、当ブログのコメント欄に書き込みができないよと、ご注意を受けました。ごめんなさい、ごめんなさい、ちゃんと前置きしておくべきでした!これ、書き込みできないようにしてあるんです。なぜかといえば、ひとえに私の管理能力不足のせいでございます。でも、もしもご本名でご意見やご感想、情報など寄せていただけるという奇特な方がいらっしゃいましたら、ぜひ下記アドレスまで、メールでお願いいたします。「映画祭の公式パーティに行ったよ!」とか、ご報告などいただけるとうれしいです。
★ぴろ姐のメールアドレス★
piapia57☆mail.goo.ne.jp の、☆を@に変えてください。
(コピペによる迷惑メール防止のため、お手数かけて申し訳ありません)



◆Reineから以下の投稿があったので付記しておきます◆090910

ぴろ姐さん、告知ありがとうございました。

LBFF(=ラテンビート映画祭)公式パーティーに関して
http://azafran.tea-nifty.com/blog/2009/09/latin-beat-film.html

LBFF自体に関して
http://azafran.tea-nifty.com/blog/2009/08/latin-beat-film.html

過去のLBFFの上映作品情報
http://azafran.tea-nifty.com/blog/lbff/index.html

などなど、拙ブログにまとめてあります。


ところで拙ブログに関してですが、いやぁ、別の方にも「辛口。」的な紹介をしてもらったことがありますが、私のブログ、ぜんっぜん辛口じゃないですよ?
いや、ほんとに。これまで200作品だか(ちょっと数えてないからわからないけど)紹介してきたけど、いわゆる<辛口>っぽいことを書いたのは10作品くらいじゃないでしょうか。つまり全体の5%かそこらですよ。

あとはたいがいいつも褒めてます。薦めどころを見つけてきただけです。というのも、私は映画批評はできないと自分では思っているからね。私があのブログで目指しているのはイベロアメリカ映画作品の紹介であり詳解なのです。評価はなるべくしない、したがって<辛口>だったことはほとんど無いのです。

ぴろ姐さんは、日頃の私の口の悪さを知ってしまっているからブログもそういう風に見えているのでしょう(笑。
私のブログにおける私は、なんか、すごく「やさしいおっさん」……じゃない? ……そのつもりで今までやってきてるんだけど……?


というわけで、これまでにブログで紹介してきた作品群はこちらにまとめてあります
http://spreadsheets.google.com/pub?key=pSjZ3M9oBuIWYTrcE3F8obA

それでは!


**********************

ヤマダくん!
「やさしいおっさん」に座布団1枚!
                  byぴろ姐

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耳が拓(ひら)かれるとき

2009年09月06日 | 随想とか
怒涛の新人公演が終わって、何が待っているかというと原稿の〆切だ。
舞踊のソロ部門と群舞部門の奨励賞というやつの選考委員を引き受けたので、
日本フラメンコ協会から依頼された選評がある。
その前に、恒例になりつつあるアクースティカの新人公演応援團のレビューもあって、
特にこちらは、舞踊の出場組全部についてそれぞれ書かねばならず、
ずんごく大変なのであります。

なんで大変かは、読んでいただけばわかります。
ぜひ読んでくださいませ。
(アクースティカは数日中に全文掲載になるらしいです)
(協会の選評はおそらく今月中旬かしら?)

なので、舞踊部門についてはほとんど書きたいことを書いてしまった。
あと、ちょっと書いておきたいなと思うのは、カンテのことだ。

今年はカンテ部門の奨励賞は授賞が見送られた。
選考会でどんな意見が出たのかは、
私は別室で舞踊部門の選考をしていた最中だったため、
ほとんどわからない。
けれども、私自身は、今年のカンテ部門は昨年よりも楽しく聴けた。
賞に値するかどうかはともかく、
出場者のレベルが底上げされてきた感じはするのだ。

もちろんこれは、日本のカンテの層やレベルが、
舞踊やギターに比べてまだまだだという前提に立ってのことだけれども。
少なくとも、ポップスみたいに唄っている人は、
ほとんどいなかったんじゃないかしら。

フラメンコは、カンテもギターも舞踊も、
ポップスともロックともジャズとも、クラシックともモダンダンスとも違う。
今はジャンル間のボーダーレス化が進み、いろんな試みが行われてはいるけれども、
フラメンコ自体をよく体にしみこませた人でなければ、
(そういう人でも難しいことではあると思うが)
ボーダーレスなことをやっても、表面的な面白みしか伝わらない。
いや、それさえも伝わらない場合も多いんだけど。

でも、私も含めて若い世代は(!)、「フラメンコ」と名がつくものに出会ったとき、
すでにその「フラメンコ」がボーダーレスな状態だったんじゃなかろうか。
私が「フラメンコ」らしきものに出会ったのは20代のとき(30年近く前!)だが、
それはパコ・デ・ルシアを含むスーパーギタートリオのLP、
「フライディ・イン・サンフランシスコ」で、いうなればフュージョン系のギターだった。

このLPでパコのギターに惚れ込んだ私は、彼の過去のレコードや新作を聴きあさり、
たしか「シロッコ」ぐらいまではパコばかり聴いていた。
だから、34歳でフラメンコ舞踊を習うまで、
私にとっては「フラメンコ=パコのギター≒音楽」だったのだ。

わわっ。
あれから、もう18年もたとうとしてるぢゃないですかっ!

……それはともかく、もろもろをすっとばすと、
今、私にとってのフラメンコは何かっていうと、カンテなんですね。
ギターも、もちろん舞踊も大好きだけど、
結局のところ、“フラメンコのしるし”が最もストレートに感じられるのは、
カンテ――しかも、どちらかといえばプーロな、古いタイプの唄なんです。

しかし、最初から古い唄を聴くのが好きだったわけではもちろんない。
だって、おじーさんたちの唄って、何言ってるかわからないし、
ギターも単純だし、どこが面白いのかさっぱりで。
でも、不思議なことに、ずっと聴き続けていたら、
ある日、ほんとに突然、唄やギターが胸の中に飛び込んできて、
ポロポロと涙がこぼれるという体験を、何度もするようになった。

ほとんどはカンテだ。
マヌエル・アグヘータ、アウレリオ・セジェス、ランカピーノ……
最近は、もっと古いところで、ニーニョ・デ・グロリアのファンダンギージョにやられて、
もうね、死ぬかと思った。
こんなの生で聴いたら、ほんとに死んでもいいぐらいに震えた。

で、今日なんだけどね、アクースティカに注文して届いた2枚のCDを聴いてたわけです。
最初に聴いたのは、大好きなラ・マカニータの「ソロ・ポル・エソ」
これ、アクースティカの紹介にあるように、
「現代的なモダン・アレンジの曲と、アレンジなしの伝統的なカンテ・プーロの曲」が、
入れ子状態に構成してある。
マカニータは好きだから、どっちもいいと思うけど、
やっぱり、プーロな曲のほうをじっくり聴きたいと思っちゃう。

7年前の彼女の前作も、同じような感じの構成だったけど、
初めて聴いたときはモダン・アレンジのほうが気に入って、
かなり長いこと、口ずさんでいたと思う。
今でもナナで時々聴いてるけど、
次第にプーロなほうがもっと聴きたくなってきて、出番は少なめ。
前作と新作のプーロなのだけ、自分で編集しちゃおっかな。

で、今日、次に聴いたのが、サンティアゴ・ドンダイの「モロンゴ」
いやー、いきなりギター無しのソレア、シギリージャ、いいですね!
だみだ、すっかり聴き入ってしまって、仕事が手につかず。
聴き終わったら、なんだかもっと古いのが聴きたくなって、
おじーさんたちのアンソロジー、
「アルカラ・デ・グアダイーラ・エン・ラ・イストリアル・フラメンコ」を聴き、
相変わらず何言ってるかわかんないフアン・タレガの声に、
「すげー!」なんて一人叫んで喜んでいる日曜の昼下がり。

ふむ。
つまり、何が言いたいのかってぇと、
フラメンコって、よさがわかるまでに時間がかかるんじゃないかなってこと。
「素人にもわからなければ、本物じゃない」という理屈は一理あるけど、
「本物にたくさん出会っていなければ、本物のよさはわからない」と思うのです。
私なんかは勉強のつもりじゃなく、ただ好きなものだけ聴いてるけど、
おそらく、新人公演に出るようなカンテ好きな人々は、
たくさん聴いてるんだろうなと想像してるわけ。

でも、それで“耳が拓かれて”、違いがわかるようになって、
“フラメンコのしるし”が唄ににじみ出てくるようになるまでには、
おそらく、相当に長い時間が必要だろうなと。

そんなわけだから、唄う人も聴く人も、
短期間でどうこうしようと焦らずに、
ここはひとつ、長いスパンでカンテと付き合っていきましょうよ。

なんてこと、いま思ってる。


【本日の反省】
本日のタイトルは、演劇のmy師匠、竹内敏晴の名著『ことばが劈(ひら)かれるとき』(思想の科学社 1975年/ちくま文庫 1988年)からパクリました。師匠、ごめんなさーい!

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)
竹内 敏晴
筑摩書房

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