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四十九日の意味するもの PART2

過去ログ「四十九日の意味するもの」のアクセス数が多いので、調べたところ。Googleのキーワード検索(四十九日、意味)で111,000件中、常に1~10位以内に入っていることが分かりました。過去ログは霊的真実を元に書きましたが、仏教が説くところの四十九日の意味を、詳しく書いたものを追加掲載します。参考になれば幸いです。


●「中陰」(四十九日)

人が現世で死に、次に来世がはじまりますが、その来世を仏教は、生まれ変わり、死に変わりして、生存し続ける輪廻の世界と考えます。

その輪廻の世界を初期仏教は「五趣」と言いました。「五趣」とは次の、
天人・人間・畜生・餓鬼・地獄の五つの世界で、この五つの世界を人が輪廻転生すると考えられていました。

後の大乗仏教になると、天界のうちの怒れる魔類を阿修羅(修羅)と呼び天界から独立させて人間以下の存在とし、次の六つの世界を考えました。天道(天上道、天界道)・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道を「六道」(りくどう・ろくどう)と呼ぶようになりました。これら六道で生死を繰り返すことを六道輪廻と言い、この輪廻の道からはずれたものを俗に外道と言います。「趣」も「道」も、ともに往くという意味です。五趣六道とは、私たちが「死後に往く世界」を指しています。

この世界のどこに行くかは、現世で作った業(ごう)によって決定されます。そこで、現世でどのような業を作ったかを調べる必要があります。つまり生前の行いを調べ、来世はどの世界が相応しいかを決める審判が必要となります。その審判の期間が「中陰」と呼ばれる期間で、四十九日間とされています。中陰とは現世と来世の間にある、待機期間と考えれば良いでしょう。

中陰の期間が四十九日間とされ、七名の裁判官が七日目ごとに亡者を裁くと、考えられるようになったのは室町時代のことです。それ以前は閻魔大王が一人で亡者を裁き、中陰の期間もはっきりとはしていませんでした。

室町時代に成立した「中陰」の考え方はつぎのようなものです。現在もだいたいこれと同様の考え方です。中陰には七人の裁判官がいて、七日目ごとに亡者を裁きます。その七人の裁判の名前は

初七日(しょなのか)  秦広王(しんこうおう)
二七日(ふたなのか)  初江王(しょこうおう)
三七日(みなのか)   宋帝王(そうていおう)
四七日(よなのか)   五官王(ごかんおう)
五七日(いつなのか)  閻魔王(えんまおう)
六七日(むなのか)   変生王(へんじょうおう)
七七日(なななのか)  泰山王(たいせんおう)
となります。

有名な閻魔王は五七日の審判担当で、最終の判決は泰山王が行います。その審判の結果、死者は天人、人間、修羅、畜生、餓鬼、餓鬼、地獄の六つの世界のどれかに生まれ変わることになります。こうして七七日目に中陰が終わるので、七七日目すなわち四十九日目を満中陰といいます。死後の法要が七日ごとに七回行う(最近は省略することが多い)のは、審理のたびに各王に対し死者への減罪の嘆願を行うためです。


●「追善供養」

しかし、これで地獄や餓鬼に堕ちた人は気の毒なので救済策が考えられました。それは次の期間に、あと三名の裁判官によって再審理されるのです。

百箇日(ひゃくかにち) 平等王(びょうどうおう)
一周忌         都市王(としおう)
三回忌         五道転輪王(ごどうてんりんおう)
となります。

百箇日と一周忌、三回忌(二年目)に三王がが再審を行います。遺族が死者の為にどれだけの施し(追善供養)をしたかによって、地獄に落ちたものも許されるとされています。


●十王信仰

前の七王とこの三王を合わせて十王と呼びます。十王信仰は仏教が中国へ伝来した際、中国の道教と習合して生まれました。仏教では十王の本地は下記の仏様と考えられています。

秦広王(しんこうおう)→不動明王
初江王(しょこうおう)→釈迦如来
宋帝王(そうていおう)→文殊菩薩
五官王(ごかんおう)→普賢菩薩
閻魔王(えんまおう)→地蔵菩薩
変成王(へんじょうおう)→弥勒菩薩
泰山王(たいざんおう)→薬師如来
平等王(びょうどうおう)→観音菩薩
都市王(としおう)→勢至菩薩
五道転輪王(ごどうてんりんおう)→阿弥陀如来

続いて七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌となりますが、これらの「追善供養」の思想は本来仏教にはありませんでした。これは日本人の伝統的な先祖崇拝の霊魂観が加えられたものです。

日本人は、「死者の霊を祀らずに放置すれば必ず子孫に祟る」と考えました。先祖霊魂を祀る事が子孫の義務と考えたのです。そこで霊を一定期間(33年から50年間くらい)祀っていると、その霊は鎮められ祟ることがなくなります。そして鎮まった霊は集合霊となって、共同体の守護霊になると考えました。


参考文献:「仏教とキリスト教」(新潮選書)ひろ さちや(著)

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