Tapestry あの日からのこと

あの地震と津波が起きてからの出来事。
閖上と、そこに暮らしていた人達の今のこと。

住民の意向

2014年02月03日 | Weblog

このところ、NHK仙台放送局が1/17に閖上の住民意向調査の集計に誤りがあったと報道したのがきっかけで閖上の復興計画についての残念な報道がいろいろとありました。

河北新報(1/21):名取・閖上意向調査 誤集計230世帯 現地再建に加算

河北新報(1/30): 宮城のニュース 閖上・意向調査 現地再建人口2150に減 名取市

朝日新聞(1/30):宮城)名取市長が陳謝 閖上・誤集計問題


上記のニュースの中身を簡単に説明すると、昨年3月前後に行われた住民意向調査の集計時点で既に地区外移転が済んでいた世帯(閖上地区以外で自宅再建した)を「移転先が未定」と分類し、更にこの「移転先が未定」をそのまま現地再建に含めていたというもの。

そもそも、「移転先未定」とは“まだ何も決められない”とか“閖上には戻れないけど自立再建ができないので未定”という方々な訳です。

そこに既に別の場所で再建が完了している方々まで「移転先未定」とすること自体もおかしい訳ですし、更に言うと全ての未定者を「現地再建予定者」として計上していること自体に問題点があります。 

復興まちづくり課の集計ミスと言っておりますが、この数字が公表された当初から各方面より「どう考えてもおかしいのでは?」と指摘されていたことですし、 昨年10月に開催された宮城県の都市計画審議でも何度も議題にのぼりました。 (私自身もとある会合や名取市の担当者などにに直接聞いたことがありますが毎回「間違っていない」と断言されてしまいました)

現地へ帰還する世帯数は781世帯であり予定人数は2,150人としておりますが、この数字にもカラクリがあって平均世帯人数が2.75人で計算されています。

ところが震災直前にあった国勢調査では閖上の平均世帯人数は2.3人だったので、この点でも昨年から名取市に確認しているのですが「間違っていない」の一点張りです。(2.3人で計算すると、この時点で1,796人で2,000人を切っている)

計画通りに嵩上げをしたいのはわかるけど数をごまかしても最後にはバレるのにな、と思っておりましたのでやっぱり出たか、という感想しかありません。


これを受けて、再度住民意向調査を二月からやり直す、という話になったのですが急遽2/3から順次各仮設住宅の集会所や法務局などを会場として個別面談の実施と意向調査が開始されております。

私の叔母や知人達災害危険区域に居住していた住民に対して意向調査票も届いておりまして、記入後名取市に郵送することになっています。

一見すると大した事が無いような内容(あまり内容が無いのは事実)ですが、これ現地再建にカウントされるような誘導が随所に含まれています。

1の「移転先住宅団地への居住を希望する」を選択するといわゆる「現地再建」と見なされるのですが、災害公営住宅への入居をやむなく希望している方や、同じ現地でもできるだけ西側を希望している方などは1を選択しそうになってます。(実際、西側を強く希望しているのに1と選択している方もいた)

そのうえ、今回の個別面談はこの1を選択した人だけ対象だと判明したのは先週の金曜日で住民にはそのことは全く周知されておらず、現地再建をしない人まで面談に行ってしまっている様子です。

先程、本日個別面談のあった愛島東部団地仮設住宅(約180世帯が居住し、その殆どが災害危険区域の住民)の様子を自治会長に確認しましたが、午前中は約50名面談会場に訪れたものの現地再建希望者は3名、一日を通して現地再建を希望した方は10名前後だったとのこと(しかも、賃貸に住んでいて閖上に土地を所有していなかった方が殆どだったらしい)。

今後、各仮設住宅でも同様の光景が見られるのかもしれませんが現地再建希望者は時間の経過と共に減るのは確実です。


そんな最中にはこんな会合も。

河北新報(2/2):住民主体の議論どう充実 名取市、閖上まちづくり協設立遅れ

未来の街づくりのための協議会ですが、根本が定まっていないのに未来など描ける訳も無いことは参加者の少なさが物語っています。


更に、地味に大きなニュースも。

産経新聞(2/1):高野会館、閖上中も提案 震災遺構候補 次回以降に検討 宮城

閖上中学校については「震災遺構」としての保存を望む声が多い中で名取市としては解体し跡地を嵩上げ&

造成して宅地とするという見解を崩していません。

ですが、宮城県の震災遺構に指定された場合は解体はおろか周囲は嵩上げできない可能性が高いんです。

どうなるんだろう。


閖上の復興と取り巻く様々な話(噂レベルも含めて)は、故郷再生への希望を断ち切るような絶望や悲しみだけが募るものばかりです。

このままでは「閖上」という街が消えてしまう。

誰一人、閖上が消えることなんて望んでいないですし本音ではもう一度あの街でみんな一緒に暮らしたいんです。けれど、辛い経験や生活再建が困難な現実の前で誰でもが苦渋の選択を強いられていることを忘れないで欲しい。

このまま住民の意向を汲むことなく行政主導で街が作られれば、新しい住民が居住する地図上の閖上は完成するのかのしれないけれど、私達の知っているものとは全く別の街として生まれ変わる運命でしょう。

それは私達の故郷としての「閖上」ではありませんし、一部の既得権を行使しようとする人間以外には誰も望んでいない街の再生です。


今、できる事はないのか。

近頃「復興を遅らせている抵抗勢力」と揶揄されることが多く、一部マスコミからも非難されたりもしておりますが、私は怯むつもりはないですよ。

もっと住民の声を街づくりに反映してもらえるように、微力ながら今まで通り行動する所存です。



威勢のいい事を書いてしまいましたが、本当は結構悩んでおりました。

週末は閖上界隈の重鎮の方々との会合に幾つか参加したのですが、その席で「おまえは本当に閖上のために努力しているのか?何もしていないのではないか?!」「閖上のことを考えたら仕事なんかしている場合ではない。もっと自分の時間と生活を犠牲にしてでも尽くせ」「それができないなら、閖上に関わるのを止めてしまえ」と叱責されて、少し落ち込んでいます。

自分の残りの人生は望まれるならば全て閖上に捧げる、と決心してそれまでの仕事も時間的な制約の為退職(収入が半分以下になったw)したりしてできるだけのことをできる範囲で行動していたのですが、まだ足りないとは。

自分にできることって何だろうと悩んでいます。


昨日は少しだけ自由な時間があったので閖上に行って独りこれからどうすればいいのか考えておりました。

どんなに嫌なことがあっても、優しく包んでくれる空気感があるのが故郷ってものなんでしょうか。

少し気持ちも落ち着くことができましたし、頭も整理できた気がします。

あまり気負わず、できる範囲でできることをやるしかない、と新たにもう一度歩き出す気持ちになれました。



追伸:

冬に入り、被災地観光で訪れる観光客が激減している気がします。

以前ならば観光バスが沢山訪れていた日和山周辺でさえ日曜日にも関わらず静かで震災が風化していると危機感を抱きました。

多くの方々に被災地の現実をご自身の目で見て肌で体感して欲しいと願っています。

今後の街の防災のあり方などを考える上でも必要だと思うので機会がありましたら是非閖上に足を運んでみてください。



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