雑記帳

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9月9日 ビクトリア往復(2)

2015-09-24 21:18:56 | 旅行
先述の通り、ここビクトリアはカナダ・ブリティッシュコロンビア州の州都だ。そして、この州は、アメリカ合衆国の影響力に危機感を感じつつ、さらなる英国植民地化を推し進めたと言われている。
ところで、コロンビアとは、アメリカ合衆国を象徴するキーワードであると理解している。アポロ11号でも、月着陸船と司令船とがコロンビア、イーグルと命名されていた。アメリカ(US)の脅威を感じていた地域が、なぜUSを意味する名前を付けたのだろうか。

そこで、コロンビアの意味について調べてみた。
Columbia(研究社 新英和中辞典)
1《詩語》 コロンビア 《アメリカ大陸[合衆国]の女性擬人名》.
2[the Columbia] コロンビア川 《カナダ南西部から米国北西部を通って太平洋に注ぐ》.3コロンビア 《米国 South Carolina 州の州都》.
[米大陸発見者とされた C. Columbus の名から]
Colombia - 南アメリカの国家

また、ブリティッシュコロンビア州について、ウィキで調べたところ、『名前は現在のカナダとアメリカを流れるコロンビア川付近の一帯に広がっていたコロンビア地区から由来する。コロンビア地区は現在のカナダとアメリカに跨っており、アメリカ領とイギリス領の区別をつけるためにBritish Columbia(英領コロンビア)とした。』と説明されていた。コロンビア川に由来する名称であることが判明した。

ブリティッシュコロンビア州議事堂
 
ガイドブックによると、イギリス出身の建築家フランシス・ラッテンベリーの設計により、1893年から5年をかけて建てられたという。青銅ドームの上にある像は、バンクーバー島を島であると発見したジョージ・バンクーバーの像だそうだ。

議事堂内部
  

議事堂前の戦没者慰霊碑
  
慰霊碑の碑文には、
『To Our Grorious Dead
1914 - 1919
1939 - 1945
Korea
1950 - 1953』
と書かれている。
欧米の戦没者慰霊碑で、朝鮮戦争に言及しているのをはじめて見た。そこで、カナダと朝鮮戦争の関係について、こちらの記事で調べてみた。
『(朝鮮戦争に参戦した)カナダの軍隊は約2万7千人で、アメリカとイギリスに次いでかなり多い人数でした。516人が亡くなって、その内の378人の墓は韓国にあります。』
カナダの人たちにとって、朝鮮戦争は厳しい戦いだったことがわかる。

ビクトリア女王像
 
この都市「ビクトリア」の名前の由来であり、またブリティッシュコロンビア州の名付け親であるビクトリア女王の像があるのは当然だろうか。

街路灯
 
この街の街路灯の特徴、それは、街路灯に花が飾ってあることだ。

ビクトリアの南の端は、海に面した丘になっており、そこはビーコンヒル公園という名の公園になっている。
ガイドブックによると、
『公園名は、かつてビクトリアの南にある海峡内を航行する水夫達に向けた信号(ビーコン)として、園内の一番高い所にマストを設置したことに由来する。』
とある。

ビーコンヒル公園
  
 

バンクーバー島南端から合衆国を望む
 
下の地図によれば、ここから南に見える陸地は合衆国のワシントン州のはずだ。上写真に見える山々がそれだろう。



かつて世界最高の高さを誇った全長38.9mのトーテムポール
 

ビーコンヒル頂上付近の不思議な遺跡
  
頂上付近の南に面した丘陵に、石を並べた不思議な遺跡が保存されている。一体何の遺跡だろう。世界一だったトーテムポールといい、原住民の何らかの遺跡なのだろう。

日時計                         ビーコンヒル頂上
  
日時計(左上写真)は、北極星に向かうポールの対地角度が大きいことで、この土地の緯度が高いことを実感した。
ビーコンヒル頂上(右上写真)には、小さな建物とポールが立っている。このポールは、昔のビーコンと何らかの関係があるのだろうか?

ビクトリアからの帰りの水上飛行機
  
帰りの搭乗機は午後6時発で、往きと同じTwin Otterだった。
今回は一番前の窓際の席に座った。離水から着水まで何本かの動画を撮影したのだが、離水時と着水時の映像を紹介する。

離水



飛行機から高い山を遠望
 
飛行中、右側はるか遠方に、雪に覆われた高い独立峰が見えた(上写真)。何という山だろうか。

着水


ここカナダのブリティッシュコロンビア州は、バンクーバーというカナダ第3の都市を抱えていながら、州都はそことは別のビクトリアである、という不思議な州だ。バンクーバーとビクトリアの間は、海で隔てられ、海路では時間がかかるし、飛行場を利用した空路でも中心街から空港までのアクセスが大変である。その点、バンクーバーもビクトリアも、街の中心のすぐ近くに水上機基地の設置が可能であったということが、水上機輸送が繁盛した理由だろうか。ビクトリアのビジネスパーソン、公務員は、バンクーバーに出かけることが多いだろうから、日常のビジネスの足として水上機が重宝している可能性がある。
運賃は、片道2万円前後というところだ。

あるいは、開拓時代から、カナダの僻地では水上機が命の綱であった可能性がある。その影響で、現在でも水上機がポピュラーなのかもしれない。
50年以上前、「北海の怒り」という映画を見た記憶がある。巡回医師が、自家用の水上機で往診するときのアクシデントを描いたものだ。あの映画の舞台はアラスカだったのか、カナダだったのか、興味があるところだが、ネットでは情報が得られなかった。

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