雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

7月14日 パリ・シノン

2013-08-03 08:49:21 | 旅行
7月14日(日)
 パリ・モンパルナス12:13-13:28トゥール15:13-16:00シノン シャトー・ド・マルセイ泊

本日、午前中はパリ市内観光である。
今まで訪問していない場所ということで、モンマルトルへ行くことにした。
 
サン・ラザール駅
途中でサン・ラザール駅へ立ち寄り、フランスレイルパスのヴァリデーションをしてもらうこととした。本日出発のモンパルナス駅で行っても良いのだが、出発直前に窓口が混み合っていたりすると落ち着かないからである。そしてこの行動が、この数時間後に(後述のように)大きな意味を持つことになるとは、全く予測もできないことであった。

サン・ラザール駅から地図に従ってモンマルトルを目指すと、途中にサント・トリニテ教会がある(左下写真)。立派な教会であるが、朝まだ早く、また本日は日曜でもあり、中に入ることはできなかった。
  
サント・トリニテ教会              モンマルトル周辺
途中、ピガール広場を経由して当てずっぽうにモンマルトルの丘をめざした。残念ながら、よく絵に描かれているようなモンマルトル風景に遭遇することはできなかった。
  
モンマルトル周辺

丘の頂上に達すると、そこにはサクレ・クール聖堂が堂々とそびえている。聖堂の内部は写真撮影不可であり、残念なことであった。
サクレ・クール聖堂

 
 

さすがにモンマルトルの丘である。聖堂付近からは、パリ市街を一望にできる。左下写真にはノートルダム寺院が、右下写真にはモンパルナスタワーが見える。残念ながら、エッフェル塔は方向が異なり、見ることができなかった。
サクレ・クール聖堂付近から
  
 
サクレクール聖堂からホテルまで、最短の道を急ぐ。途中、左下写真の教会を通ったが、ガイドブックには名称が記載されていなかった。
また、随所で、道路脇の排水口から水があふれ出している(右下写真)。パリの下水道はどうなっているのであろうか。
  
メトロ Notre Dame de Lorette 付近の教会       排水口からあふれ出す水

さて、本日の列車は、パリ・モンパルナス12:13発である。ホテルからはタクシーで向かう。十分な余裕を持ったつもりで、11時頃チェックアウトした。4日後にまた訪問するというと、ホテルのスタッフは「それまで荷物を預かりましょうか?」と聞いてくれた。
ホテル前からタクシーに乗った。
ホテル前から南西に向かう道路はロープで封鎖されている。ホテルマンがいうには、本日は何かのパレードで道路が閉鎖されており、モンパルナスへは遠回りする必要があるという。とにかくタクシーは出発し、オペラ座から真っ直ぐループルへ向かう道路を南下した。ところが、ループルの直前でまたまた道路が閉鎖され、南へ行けない。
ここで思い出したことがある。実は、飛行機の中でフランスのガイドブックを読み、その中に『日本ではパリ祭と呼ばれる祭りは、フランスでは単に「7月14日」と呼ばれている。』という記述があった。7月14日? 何と本日ではないか。そう、われわれはパリ祭(革命記念日)の当日にセーヌ川を渡河しようとタクシーに乗車したのであった。何も知らずに。
それからは大変であった。運ちゃんは、セーヌ川沿いに東に移動してはセーヌ川横断を試みるが、どの道路もことごとく川の手前で閉鎖である。セーヌを渡ることができない。時間は刻々と過ぎていく。
我々は、「メトロを利用した方が良いのではないか」と提案するのであるが、運ちゃんは「大丈夫だ。それに荷物があるからメトロは大変だ。」と主張する。運ちゃんはとうとう、パリの東端まで走って外環高速道路に乗り、パリをぐるっと大回りしてセーヌを渡河することに決めたようだ。
運ちゃんが「バスティーユ」とつぶやく。しばらくすると大きなロータリーだ。「ナシオン?」と質問すると「ナシオン」と答える。ナシオン広場だ。
やっと高速に乗った。そこから外環高速でパリを1/4周である。この高速、ペリフェリックと呼ばれ、全長35キロ、ウィキによると1920年代に取り壊された城壁の外側の建築規制地域の跡地を利用して1973年4月に完成した、とある。
高速を下りてからも一般道がしばらく続く。モンパルナスに到着したのは列車出発の直前であり、かつタクシー代は50ユーロを超えていた。
ホームへ急ぐ。
空腹なので、昼の弁当購入は必須である。ホーム手前のスタンドでサンドイッチを購入し、ホームへ向かう。非常に長い列車であったが、われわれの車両は手前から2両目であった。乗り込んだら出発予定時刻の2分半前である。実はチケットには「2分前までに乗車すること」と記載され、ガイドブックにも「2分前までに乗車しないとドアを閉められてしまう」と書いてあった。即ち、あと30秒遅れたら乗り遅れた可能性が高いのである。もしフランスレイルパスのヴァリデーションが事前に済んでいなかったら、アウトだったろう。災難というべきか、幸運というべきか。

車両は非常に混み合っていた。大きなトランスを引きずって車内を移動し、車掌がいたので切符を見せた。「ここだ」というその席には若い男女が座っている。車掌がその男女に話をし、二人は不服そうに席を立った。出発まで(または出発2分前まで)に我々が現れなければ、キャンセル扱いでその二人は座ることができたのだろう。不服な気持ちは分かるというものである。

列車は定刻よりちょっと遅れて出発した。終点のトゥールまで1時間15分である。
列車が速度を緩めた。大勢の客が降りる支度をしている。ただし全員ではない。トゥールに着いたのか? しかしターミナル駅ではなさそうだ。下りようとする人に「トゥール?」と聞いてみたら「ノー」という。トゥールにはあと数分で着くらしい。
そして列車はトゥールに到着した。

ここから列車を乗り換えてシノンまで行く。
本日はシノン泊だが、あすから3日間ここトゥールに宿泊する。明日のシノン城訪問に大きなトランクは邪魔になる。そこでわれわれは、あすから宿泊するトゥールのホテルに大きなトランクを預けておこうと計画した。ホテルはトゥール駅から5分ほどのところにある。まずはそのホテルに向かった。
ところがホテルのカウンターでは「オーバーナイトで荷物を預かることはできない。これは法律で決まっている。」というではないか。「駅でも同じだ」という。実際、駅のインフォメーションで聞いたら、同じく「荷物は預かれない」とのことだった。
仕方がないので、トランクを持ってシノンへ向かうことにする。

待ち時間は十分あるので、この間に駅前のインフォメーションへ行き、古城巡りミニバスツアーの予約を行う。16日か17日のどちらか、と頼んだら、17日に決まった。さらに駅の窓口で、18日のパリ行き指定券も購入した。

シノン行きの列車は定刻に出発し、16時にシノンに到着した。
シノン駅は、ひなびた田舎の駅でしかない。駅前にはタクシーがいない。さてどうするか。
駅の窓口は一つだけ開いているが、その前には5人ぐらいが行列を作っている。最初の一人が延々と駅員と話しており、何時終わるかもわからない。
しばらくして、私が日本から持参した携帯でホテルに電話をかけられることに、やっと気づいた。電話をして「シノン駅にいるのだがタクシーがつかまらない」というと、「それではタクシーをそちらにやるから、そこで待っていろ」ということになった。
駅で待っていると、同じく足止めを喰らったらしい人が話しかけてきた。本日は日曜でなおかつ革命記念日であるため、タクシーが出払っているのだそうだ。だとしたら、ホテルが頼んでくれたタクシーも遅れるかもしれない。そこで再度ホテルに電話してみた。案の定、タクシーはすぐには来ないようだ。「30分」といっていた。30分が、前回電話から30分なのか、今から30分なのかは聞き取れなかった。

さらに待ち続ける。
足止めを喰らっていた他の客もいつの間にかいなくなり、我々だけが残された。やはり30分以上たっただろうか。やっとタクシーが到着した。
タクシーでホテルへ向かう。遠かった。駅から6キロとのことだったが、もっと遠いかもしれない。ブドウ畑の間を延々と走り、やっとのことで目的のホテルに到着した。見渡す限り畑の中にぽつんと立っている。古城ホテルというより、領主の館ホテルといったところだ。

戻る                            続く

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