雑記帳

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シャーロットタウン

2016-07-13 21:18:19 | 旅行
オーウェルコーナー歴史村訪問を終え、シャーロットタウンに帰ってきた。
2日間借りていたレンタカーを返すときだ。ガソリンスタンドを見つけ、ガソリンを満タンにした。ついでに、クルマの写真を1枚撮っておいた(左下写真)。
レンタカーで借りていたクルマ                     ファウンダーズホール
  
レンタカー返却場からホテルまでは徒歩である。その途中、面白い建物を見かけた(右上写真)。ファウンダーズホールといい、連邦誕生記念公園の近くにある歴史アトラクション施設だという。

ホテルの部屋に落ち着いた。しばらくぼーっとした後、短時間だが市内を見て回ることとした。
ここシャーロットタウンについて、ガイドブックでは以下のように紹介されている。
『シャーロットタウンは、島内観光の拠点となる町。赤毛のアンやモンゴメリに関連したスポットをめぐるツアーもここから出発する。町の名前は、イギリスがフランスに変わって覇権を握った1763年に、時のイギリス国王ジョージ3世の妃シャーロットにちなんでつけられた。1864年にイギリス系の植民地から代表者が集まり、カナダ連邦に向けた会議が初めて行われた「カナダ連邦発祥の地」としても知られている。』

ホテル(デルタ・プリンスエドワード)を出てすぐ、教会らしき建物が見えてきたので行ってみた。
SDU PLACE(St. Dunstan's University)                  
 
二つの建物が並んでいる。まずはSDU PLACE(St. Dunstan's University)(上写真)、そしてセントダンスタンズ大聖堂(下写真)だ。
セントダンスタンズ大聖堂
 

 

祭壇(最後の晩餐)                           パイプオルガン
  

大聖堂前の銅像
 
二人の男性が樽をはさんでなにやら議論している。二人とも名前はジョン・ハミルトン・グレイJohn Hamilton Grayというらしい。同姓同名だ。
右のグレイは、プリンスエドワード島の政治家、左のグレイは、ニューブランズウィックの政治家らしい。
二人は、1864年9月、シャーロットタウン・コンフェレンスで顔を合わせたのだろうか。

プロビンス・ハウス
 
1847年に建築家アイザック・スミスによって建てられた州議事堂だ。1864年にカナダ連邦を結成するため、初の各植民地代表者会議が行われた。
手前の兵士像の台座には、
1914-1918 1939-1945 KOREA1950-1953
と刻まれている。第1次、第2次大戦に加え、朝鮮戦争も、カナダの人たちにとっては大きな犠牲を強いられた戦争なのだろう。

さらに、ガイドブックに記載されている2つの教会を訪問した。時間がなかったので前を素通りしただけだが。

Zion Presbyterian (シオンプレスビテリアン?) 教会
 

セントポール教会
 

  

プロビンスハウスから、ビクトリア・ロウ(通り)を歩く。南には、この前に訪問したセントダンスタンズ大聖堂が、優美な姿を見せていた。
 
セントダンスタンズ大聖堂を見る

ビクトリア・ロウから、クイーンズ通りに抜けるあたりまで含め、赤れんがの趣のある建物が建ち並んでいる。

ビクトリア・ロウ
 

左・ビクトリアロウ 右・クイーン通り 中央角・赤毛のアンの店
 

ビクトリアロウとクイーンズ通りの角にある「赤毛のアンの店」で家族と合流した。店の前には、椅子に座った男性の像が置かれている。

赤毛のアンの店                 赤毛のアンの店前の塑像 Sir John A. Macdonald
  
ウィキによると、ジョン・アレグザンダー・マクドナルド(John Alexander Macdonald、1815年 - 1891年)は、カナダの初代および第3代首相とある。
マクドナルドは北米のイギリス植民地を「カナダ」に連合する働きかけを続け、1864年9月にプリンスエドワードアイランドのシャーロットタウンで東部のみで連立しようとしていた東部大西洋地域の植民地代表に提案(シャーロットタウン会議)。1864年10月にはケベック・シティにてカナダ連合への計画を採択(「ケベック会議」)。1866年までにはブランズウィック、ノバスコシアが連合に合意。ニューファンドランドとプリンスエドワードアイランドは反対したが、最終的に合意。これに基づきイギリス議会は英領北アメリカ法を制定し、連邦制をとるひとつの植民地「カナダ自治領(Dominion of Canada)」を形成することを決定した。この法律は「1867年カナダ憲法」として現在でも効力を持つ。ヴィクトリア女王は連邦形成の貢献者として、自治領成立の1867年7月1日に「聖マイケル・聖ジョージ勲章」をマクドナルドに授与した。また同年8月の選挙でマクドナルド率いる保守党が政権を取り、カナダの初代首相となった。

さて、プリンスエドワード島での最後の夕食である。クイーンズ通り沿いにあるMerchantmanという店に入った。

Merchantman
  
                                   店内

こうして、今回のカナダ旅行は終わりを告げた。

翌6月14日の早朝、ホテルからシャトルバスでシャーロットタウン空港へ向かう。
日本までの行程は以下のとおりだ。
シャーロットタウン6:00-7:20トロント13:30-AC005-15:35羽田(15日)

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