その夜、私はニューヨークのアッパー・イースト・サイドにある日本レストランで食事を終え、三番街に向かって歩いていた。その時、サーカスの足長おじさんのような歩き方をする陰鬱な目をした長身の中年男と出会った。
カート・ヴォネガット Kurt Vonnegut (11 novembre 1922 -)
すぐに彼だと分かったのは、その数週間前NHK教育テレビで大江健三郎と対談をしていたのを見ていたからだ。
"Are you Kurt Vonnegut ?"
"Yes."
[...]
"I saw you on the TV with Ooe the other day."
"I felt too tall in Japan."
彼はそう言い残して、この世界には適応できそうもない生物のような歩みで三番街を下りていった。
その時までに彼の本は何冊か読んでいた。
Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade (1969)
Slapstick or Lonesome No More (1976)
Jailbird (1979)
Palm Sunday, An Autobiographical Collage (1981)
今その内容をはっきりとは思い出せないが、気だるい日曜の午後の光の中、長くなったアメリカを受け入れるべきか否かをぼんやりと考えながら、Palm Sunday を読んでいたことは覚えている。彼の作品に現れる皮肉屋の一面を見て取ることができた時、少し大人になったような気分を味わうことができ、嫌いな作家ではなかった。
あの遭遇から、もう20年も経っているとは、、、。
カート・ヴォネカットの著書は全く読んだことはありません。大江健三郎氏のものは、ほぼ全部読み、文中に氏の海外文学者らとの交友も書かれていますが、ヴォネカットの記憶はちょっとありません。
大江氏の「ヒロシマ・ノート」(1965年)で、大きく目を開かされましたが、一番好きな作品は「新しい人よ目覚めよ」です。シモーヌ・ヴァイユという作家をご存じでしょうか?大江氏が好んで使う「本当に価値のある人間は、苦しんでいる人にあなたは何故苦しんでいるかと問いかけることの出来る人だ」という言葉は、ヴァイユのものだそうです。元の本を読んで見たいのですが…。
自分が苦しみ(身体ですが)を知って、この言葉を実践する難しさが判りかけて来ました。餓死する子供に誰もが「何故?」と問いかけるようになれば、悲劇への解決が始まるとも思えますが、都知事すら飲み食いに励んでいるのですから、絶望的にもなりますね。
苦しんでいる人に対してはどうしても目を背けてしまうところがあるように感じていますが、なぜですかと問いかけることにより心がその人に関わること、その答を引き受けることになるのだと思います。それができる人は本当に価値のある人間だと言ったヴェイユは、自らもそういう状況に身を置き、つながることの大切さを認識していたのではないかと想像いたします。