昨夜、帰宅後にテレビでドラマを見る。丁度、藤原紀香演じる父を知らない、結婚式をその日の午後にひかえた女性と彼女の父親 (渡哲也) が話をする場面が流れていた。父親は彼女が娘であることを知っているようだ。お互いに抑えた表現での会話。状況がそうさせるのだろうが、藤原紀香の京言葉と相俟ってなかなかよかった。格闘技の番組での彼女とのギャップがこの印象を増強したのかもしれないとも思ったが、おそらくそうではないだろう。日本人の心のあり方や心配りの素晴らしい面 (原型のひとつとも言いたいもの) がそこに集約されているように感じたためだろう。
生物としては必然なのだろうが、今の日本人の姿は、その原型が環境によって変化を余儀なくされた結果である。その原型が引き出されたこのドラマの一シーンを見ていて、そのことに改めて気付かされたようだ。今までこんな風に感じたことはなかったし、むしろその原型にネガティブな面を見ていたようにも感じる。日本人の持つユニークなところから、素晴らしい面を拾い上げる余裕がでてきているのだろうか。
とにかく微妙な変化の兆しを見た思いだ。そして、自分の中に流れているものを知るためには、日本人が使っていた言葉をじっくり学ぶのが近道かもしれない、などという壮大な想いも頭をかすめていた。
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番組は倉本聰の「祇園囃子」というドラマでした。