nihongo de comment ha muzukashii desu kara sumimasen: je ne sais pas si je devrais essayer d'écrire un commentaire en français ou japonais.
J'ai été surpris de voir vos haïkus. Certains m'ont beaucoup plus: par exemple, j'ai parfois ce sentiment sous le ciel du printemps...
Si je n'ai pas compris tous les commentaires, il me semble que l'on parle de l'utilisation du "je" dans la traduction des haïku. cela n'est pas toujours nécessaire. En fait on le trouve moins souvant qu'on ne le pense dans la composition en français.Mais j'ai trouvé également intéressant de voir que vos traductions "lui" faisaient une large place.
Merci de vos commentaires. C'est très gentil. Je suis heureux d'avoir été capable de trasmettre mes sentiments en français.
Oui, Miko a parlé de l'utilisation du "je" et j'ai été surpris de trouver beaucoup de "je" dans ma traduction. Je l'ai inconsciemment fait peut-être parce que je ne savais pas comment faire sans utiliser "je" dans tous les cas.
パリ滞在での作句はすでに拝見していましたが、あらためて仏訳されたのを読ませて頂くと、日本語句→訳句の難しさを思います。直訳がはたして元の句を生かし得るかというという問いかけもありますね。Jeを必ず置かねばならぬか?という疑問も。Jeの使用をR氏はどうお考えでしょうか?
近くプラハへ行った時の俳枕文を書かねばなりませんが、ヨーロッパでの作句はわたしの場合ほとんど不可能に近いものでした。ポールさんとは少し違い、季語を意識しますので、自然も人の風情も異なる現地を詠むのはとても困難なのです。と言って無季語で作るれるほど訪れた国々の歴史などに詳しくはないのですから、海外句を軽く作れるかは才能なんだとも思います。
ポールさんの句に戻って、ボストン、紐育への郷愁のような感情を詠んでおられますね。これもじゃあ、なにをなぜ感じられてるのかを俳句に盛り込むポイントは技術なのか、特別の単語を使うべきなのか、これまた判らないことでした。
きのう京都で10席だけの小さなビストロに入りました。卓上の紙クロスに「Plaisir de choisir,joie d’offrir.」という文字がプリントされてました。こんなのを扱う問屋があるそうです。
最後のところがよくわかりませんでしたが、クロスにフランス語を入れてくれる問屋という意味でしょうか。
クロスと書いてしまい失敗でした。紙ナプキンの大きなようなものに仏語がいろいろ印刷されているのです。問屋に行けばいろんな言葉を入れたナプキンを売っているというわけです。
J'ai été surpris de voir vos haïkus. Certains m'ont beaucoup plus: par exemple, j'ai parfois ce sentiment sous le ciel du printemps...
Si je n'ai pas compris tous les commentaires, il me semble que l'on parle de l'utilisation du "je" dans la traduction des haïku. cela n'est pas toujours nécessaire. En fait on le trouve moins souvant qu'on ne le pense dans la composition en français.Mais j'ai trouvé également intéressant de voir que vos traductions "lui" faisaient une large place.
今日フランス生まれの作家・ミシェル・ウエルベックの「素粒子」(筑摩書房)の映画化を観てきました。ドイツ映画で、遺伝子研究に打ち込む弟と、女を性対象としか考えない異母兄のそれぞれの道を描きます。兄はあるアクシデントから恋人の幻影に助けられて生きて行く(多分精神障害者になった結果と思われます)、弟もごく普通の感情を女性に抱くようになるという「人間」の特性の不思議さを感じさせました。「素粒子」は1998年発表ですから、まだ代理母などの実例が少ない時代を背景としてますが、10数年でこの分野でも飛躍的な変化を見せましたから、著者はうろたえてるかも知れません。
明日まで渋谷の劇場で公開で、もっと早くご紹介出来たらよかったのですが。関西は6月です。
Oui, Miko a parlé de l'utilisation du "je" et j'ai été surpris de trouver beaucoup de "je" dans ma traduction. Je l'ai inconsciemment fait peut-être parce que je ne savais pas comment faire sans utiliser "je" dans tous les cas.
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フランス語と日本語のどちらでコメントをすべきかよくわかりませんが、、、
あなたの俳句を見て驚きました。いくつか私の気に入ったものがあります。例えば、私も春の空の下、同じような感情を抱くことがあります。
コメントのすべてを理解していないかもしれませんが、俳句の翻訳の際の"je"の扱いが話題になっているようですね。それは常に必要だというわけではありません。実際のところ、フランス語ではそれほど"je"を考えないようです。しかし同時に、あなたの翻訳の場合にはそれが大きな位置を占めているようで面白いと思いました。
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というようなことではないかと思います。
「素粒子」は出たばかりの頃にその最初の方だけを読んだことがあります。面白そうだった記憶がありますが、なぜかそこで止めてしまったようです。その訳は思い出せません。映画のご紹介ありがとうございます。
タンポポの絮吹きけふも終わりけり ミコ