フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

熊谷守一

2005-06-05 23:13:14 | 自由人

熊谷守一(明治13年生: 1880 - 1977)。東京美術学校主席卒業、文化勲章辞退などがあったらしいが、代表的なイメージとして、長い髭を伸ばし、すべてを達観したような、とらわれのない (libre) 風貌で鬱蒼とした庭に溶け込むようにいる老人。70歳以降、外出もせず、家と庭で観察しながら過ごしたという。

熊谷守一美術館の20周年記念の展示があるというので、西池袋の旧熊谷邸に出かけた。少し迷ったので、家の周りの掃除をしていた60歳は越えたと思われるご夫人に道を尋ねると、「熊谷さんのお宅ね、そこの角を曲がってパン屋さんのところを右に曲がり、5軒目くらいでしょうか。」と教えてくれた。のどかな昼下がり、なぜか懐かしさを感じる。建物は静かな住宅街の一角にあった。

入った第一印象は、とにかく館内に空間が乏しく、暗い。閉じ込められたような気持ちになり、すぐに外に出たくなった。もう少しスペースがあれば、という感じであった。展示されていた絵のほとんどはすでにテレビなどで見ているので、実物を見た感動がない。実物を見ても以前の印象が変わるということはなかった。

パンフレットによれば、「人目を驚かすような大作は描かず」、「軍人と役人と金持が嫌いだった守一は、何ごとも消極的に自分の感性にさわることをさけ、戦争画を描かられずにすむ」。「人の書いたものを信ぜず、とことん自分の目でものを見続けた守一」は、四十数年にわたってその地に生き、97歳で亡くなった。

テレビでは、次女の榧(かや)さんが父親のことを「もり」と呼んでいたのに少しだけ驚いた。芸術家としてみているのと愛情の現われだろうか。彼女の「もり」評は、「欲がない」人。「いい絵を描こうと思わない」と言っていたという。

彼のようなとらわれのない生き方は、私にとってひとつの理想でもある。その絵や書は、自分の好みの空間に身を置いて、想い、味わうのが最高の贅沢のようだ。これからの楽しみに取っておこう。

帰り道、路地の一角に二宮金次郎のかわいらしい銅像を見つけた時は、一瞬、子供の頃が蘇ってきた。

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