上がり3ハロン

ようやく孵化した、弁護士の卵の日記

最近の日常

2006年05月31日 | 日々
さて、最近の日常はというと、色々な面で安定してきた。

やる気は低空飛行のまま安定し、
週二回はコンスタントにバイトに入り、
週一ぐらいで何かしらの飲みがあり、
レポートが五月雨のようにやってきて、
何曜日は誰と昼飯を食べるかもほぼ固定化し、
(相変わらず、半分以上はサンドラ系の人なり。)
テニスはほぼ毎週のように行っているし、
最近御殿下に行く習慣もちょっとついてきた。

そういえば、一昨日御殿下に行って、
久々にマジになって走ったら、わりとしっかりした筋肉痛。
30分でどのくらいの距離走れるかとか挑戦するもんだから、
勝手に燃えてしまいました
次は、自分の記録を更新することに燃えることでしょう
でも、筋肉痛とかたまらん
←運動になると、M。

なんだか、緊張感があるようでない。
実に俺らしい生活だ。
昼間からビールを飲むという暴挙もたまにするし、
散歩にはちょっと暑すぎになってきたけど、
まだまだ行きたいし、
今の季節は散歩がてらアイスだな

学期の最初は学校が嫌で嫌で仕方なかったが、
今はそうでもない。

さて、また明日も講義があるし、寝ようか

水面

2006年05月30日 | 想う
自分のことを、一番分かっているのは自分であり、
分かっていないのも自分である。

少なくとも、俺はたまに水面(“みなも”と読んで欲しい。)に自分の姿を映してみないと、
自分の姿が見えなくなり、
たまに映してみると、
自分の進むべき方向が見えてくる。

そして、自分にとっての水面とは確実に友達である。
正確には、友達と話しているうちに自分が見えてくるのである。

以前は“鏡”と表現していたのだが、
My best 鏡ちゃん(笑)に
「鏡という言葉のイメージと違う
と言われたので、最近は“水面”と表現している。
全てがはっきりとは見えるわけではないので、
案外当たりなのではとも思う。

なんだか、
いつも方向がずれてジグザグに進む自分が、
嫌になることもしばしばだが、
ジグザグの先で新しい何かを見つけられればとも思う。
大抵、そこが次の目的地を見つけるタネとなる。。

秩序と倫理

2006年05月29日 | お勉強
以前書いたように、人は自由なハズなのに倫理が伴う。
では、今の世の中で倫理は何によって形成されているのか
これが最近の自分の中での大きな疑問だ。

ライブドアや姉歯事件を見て、倫理観の崩壊を嘆く人たちがいる。
しかし、それは恐らく本質的なものではない。
いつの世も、ルールに反する人はいる。
もっと大事なのは、なぜ普通の人たちがルールを守っているのか。

最近の1つの流れとして、ルールの明文化がある。
今まであいまいでやってきたルールを、文章にして明確にしてしまうのだ。
ただ、それと同時に目に見えない秩序がすごく幅を利かせてきている気がする。
建前とは反する秩序、明文にはしきれない秩序。
それらが、目に見えない秩序としてみんなを支配している。
いわゆる、“空気を読む”というやつだ。

ルールの明文化と、目に見えないルール。
そんなパラドックスも、実は社会を規律しようとする人々の苦闘が見える気がしてならない。
ルールの明文化は、人々にルールも守らせるため。
社会における不文律のサンクションが弱まってきたせいで、
明文化せざるを得なくなっているのではないか
あるいは、明文化したらみんなが守ると思っているのではないか
でも、実際には明文化出来ないものがたくさんなって、
それらが目に見えないルールとして支配する。

結局ルールを細かく決めたところで、最後は生身の“人”。
ルールのお勉強である法律を勉強していると、強くそう感じる。
会社法などを見ていると、たまにバカらしい気分にもなる。
でも、これも苦闘の成果。
うまくいくかどうか、見守ってやろうじゃないか。

さて、こんなことを考えるようになったのも、明らかに基礎法のある講義のおかげ。
こういう講義を受けていると、自分がいかにバカかよく分かり、すごく刺激になる。
少なくとも、あらゆる講義で一番頭を使っている感じがする。
いつもと違う場所を使うからねぇ。
たまに、普段使わない筋肉を使うと筋肉痛になる感じかな

もっともっと、もがいて汗をかかなきゃ。
脳みその汗を。

祭りの後

2006年05月28日 | 想う
ガラスの監獄はその侵入を拒んでいるが、
その外は祭りであった。
祭りが刹那の輝きを放った後、
帰る頃にはほとんどのテントが撤収しており、
まだ片付けをしている人たちがちらほらといる程度。

きっと彼らは、
疲れからくる脱力感と、
何かを成し遂げたという達成感と、
終わってしまったという寂しさと、
でももう一度やるかと言われたら、
「絶対嫌」と言ってしまう。
そんなのが合わさった気持ちでいるのかもしれない。

そんな彼らを見て思い出すのが、もう五年も前になる駒祭。
俺がサークルを辞める決意をした日。

サークルの根底にある、フリーライダーゲームという本質。
そして、ココに帰属意識を感じることはないという確信。
そんなことに気付いた日。

合わない組織に組み込まれるということが、
自分にとっていかに不幸であるか分かったとき。
のちに、組織にとっても不幸であることが分かるのだが。

あの頃の自分と今の自分。
変わったところもあれば、変わらないところもある。
間違いなく変わらないことは、二度とあそこに行く事はないということ。
俺には他にたくさんの居場所があるから。

無理しすぎた・・・

2006年05月26日 | 日々
昨日は、朝から講義に出て、
それからテニス五時間、バイト四時間。

今朝はおきたら11時。
三限すら危うい時間。
二限はロー史上初の寝ぶっち。
そんなに寝たのに、一日中眠くてぼーっとする。

色々溜まっている作業は、ちっとも処理出来ず。
さすがに、無理しすぎたかも・・・

2006年05月24日 | 想う
突然の雨に濡れないように、傘を持って来て待っている。
マンションの下まで、子供を連れて「お帰り」と言う。
そんなさり気ない行動の方が、
大業な花束を渡すよりもはるかに愛情を伝えるのかもしれない。

残念ながら不器用な俺は、
そんなさり気ない行動がとれず、
かと言って大業な花束を渡すようなこともせず、
言葉で伝えるしか術を知らない。

でも、きっと小器用である必要はないのかもしれない。
大事なのは、思いやり。
相手のことをどれだけ見てるか。
思っているか。

だとすると、そうやって愛情を伝えるには、
たくさん傍で見ている必要があるのかもしれない。
たとえ辛くても。

お互いを思いやれる関係って、
すごく幸せだと思う。

そんなことを考えさせられた、春の嵐。


五月病

2006年05月23日 | 日々
最近、周囲に風邪とともに五月病が流行っている。
みんな少なくとも一年以上ローにいるはずなのに、
なぜか五月病にかかっている。
ちなみに、当然俺もです。

たぶん、みんな感じているんだと思う。
そろそろ勉強しなきゃいけないとは。
でも、まだ一年あるよなとも。
少なくとも、今は新司法試験前の最後に遊べる時期だろうし、
(それでも、きっと俺は夏休み遊ぶ。)
でも、一年という時間がみんなを若干憂鬱にしているのかもしれない。

たぶん、今新司法試験の勉強をしたところでトップギアは入らないし、
それなら今は充電しておいてもいいかとも思う。
どうせ、息切れする。(いわゆる中だるみ。)
あとは、遊ぶために思い切りがあるか否か。

五月病なんて、ふっとばせ!!!

第一印象 その2

2006年05月22日 | 想う
自分はわりと、人を“好き”から入る方であり、
その後はその人との時間をたくさん重ねるにつれ、
どんどん“好き”になっていくか、
それともそこからさして変わらないか。
だいたいそんなもんである。

一度その人間が“好き”になってしまえば、
だいたいその人間の評価はどんどんと高まっていき、
あるときから自分にとって特別に大事な友人の一人となる。

周りには、人を“嫌い”から入る友人も結構いるし、
その方が賢い生き方なのかなとも思う。
スタンスとして非常に守備的ではあるが、
攻撃的な生き方は、長い人生の中でいずれ怪我するし。
まぁ、俺の場合は怪我をしたところでさして痛くないから、
あんまり防御していないだけなのだが。

でも、もしかしたら自分の目には映っていない人がいるのかもしれない。
今日、友達に言われてすごく納得してしまった。
最近、それまであんまり俺の目に映っていなかったであろう人と、
もの凄く仲良くなったりしたし。
それに、面白そうな人間に目星を付けて、
機会があったらその人とつながりを作っておくということをよくする。
そこから深くなるかは、その後接触する機会があるかどうか次第。

そう考えると、自分は“好き”になりそうな人間を選んでるのかもしれない。
積極的に話しかけられるからこそ、出来る芸当ではあるが。
なら、本当に人間を“好き”から入っているのか
何だか分からなくなった。
でも、人間に肯定的であることには変わりがない。
やっぱり、“人が好き”なのかも。

ダ・ヴィンチ・コード@洋書

2006年05月21日 | 読書
ダ・ヴィンチ・コードを無事読み終わりました。
いやぁ、やっぱり時間がかかったねぇ。
まぁ、洋書ですから。

んで、評価はA(優)。
A+をあげるわけにはいかないけど、非常に面白かった。
まず、英語そのものはそんなに難しくないと思う。
別に専門用語が分からなくても、だいたいの意味は分かるし。
(ちなみに、俺は洋書を読むときは辞書を引かない。
ナナメ読み派。それを論文とかでもやって悲惨な目に会うことがよくある。)
内容も、展開が速くてスリリングだったし、読んでて飽きなかった。
そういう意味では読みやすい本。

ただ、謎解きそのものは何箇所か分かってしまったものもあったし、
Teacher(オプスデイを操る、黒幕みたいな悪い奴。)の正体とかも分かってしまったし、
ちょっと簡単と言えば簡単だったかもしれない。
びっくりというほどのことは少なかった。
あと、最後の方がぐだぐだというのも噂通り。

キリスト云々については、
まぁ、本当だろうが嘘だろうがどっちでもいいんじゃないという感じ。
三位一体やら、マリアの処女懐胎とかに極めて懐疑的な俺にとっては、
この本の話の方がsympathyは感じるが、
キリスト教徒でもない俺が語っていい問題ではないし、語るつもりもない。
しかも、そんなに興味もない。
読み物として面白ければ良し。
ただ、この本だけで信じる奴はバカだと思う(笑)

そんなわけで、わりとオススメです。
ただ、俺は人から借りたものなので、貸せないです。
というか、映画に乗り遅れないためには、日本語で急いで読まなきゃだね(笑)
初めて読む英語の小説とかでは、そんなにオススメではありません。
なんせ、わりと長い。
きっと専門用語とかが気になるしね。
でも、ありえないことが起こりまくるハリーよりはよっぽど読みやすいかも
興奮しながらページをめくりたい人だったら、読んでみるのもいいのではないでしょうか。
ただ、初めて読む人限定だろうね。

さて、そんなこんなで次は何を読もう。
とりあえず、溜まっている日経ビジネスを処理した後は、
「宴のあと」でも読んでみるかな

理由

2006年05月20日 | 想う
最近気が付いたことなんだが、
人間何かをやる理由の方が、
何かをやらない理由よりも遥かに簡単に見つかる。

遊ばない理由。
勉強しない理由。
運動をしない理由。
飲み会に行かない理由。
誰かと付き合わない(あるいは、付き合い続けない)理由。

特に最後については、よくそう思う。
誰かと分かれる理由なんかいくらでもある。
だから、俺が恋愛相談を受ける時の答えは、
ほとんどが「もう少し続けてみたら」であり、
その答えを期待して俺に相談してくる人も、いるのかもしれない。

もちろん、人間の時間は有限であり、
何もかもをやるわけにはいかない。
だけど、何かをしない理由ばかりを考えていると、
結局ほとんど何も出来なくなってしまう。
大事なのは、何かをすることを前提に、
どこに時間を使うかを考えることなのじゃないか。
だから、何かをする理由を考える方が、よっぽど大事じゃないか。
と最近すごく思う。

実は、何かをする理由というのは大抵しょーもなくて、
何となく楽しそうだからとか、
面白そうだからという程度のものであり、
それで良いのかもしれない。

迷うなら、やってしまえ。
でも、もし後悔するならやるな。
それでも後悔するのが、人間の浅はかさなのですが・・・。