昨日、淡路島に住み着いた弟が、夫婦でボクに会いに来てくれた。
日本の敗戦、その直前にソ連軍の満州侵入。
そんな時期に、ボク等幼かった兄弟は、母の急死に遇った。
父は応召し、ソ連との最前線部隊に居た。
36歳で亡くなった母は、六人もの子どもを産み、その四人を乳幼児の
間に病死で失った。気の毒としか言えない人生である。
残ったボク(敗戦時11歳)と弟(4歳)も共に病弱児であった。
ソ連空軍による、初めての新京空爆があった、8月9日の昼前に、中隊長の
厚意で新京の我が家に帰ってきた父は、母が身代わりに死んだことで、
部隊全滅の運命から、唯一人逃れることが出来た。
8月1日が母の命日である。隣近所の人々が、母の葬儀を行なって下さり、
火葬も出来た。これがソ連軍侵入後なら、そんなことは不可能であったろう。
中学ぐらいから健康を取戻した弟は、71歳に達し、完全な淡路人として
二人の子ども育て上げ、300坪の邸宅を構えるようになった。
亡き母も、喜んでくれているだろう。
今も人工透析に、週三日通うボクは、病弱から縁が切れたとは言い難いが、
未だに硬式テニスにも熱心な、精神面では健常者である。
母の急死まで、殆ど我が家に居たこともなく、入院暮らしで終始していた
弟だが、ボクとの二人旅で、北朝鮮に逃れるところを、途中駅の奉天で
高熱を発し、それを理由にボク等は奉天で列車を離れ、医者に連れて行ったの
だった。
当時4歳でしかなかった、弟は母のことも、二人だけの逃避行も、一切の記憶が
無いという。なまじ記憶が残っていたら、より不幸な事であったかもしれない。
今日の広島での原爆死没者慰霊の会に出席したはいいが、
五万人の参列者の前で、ただの一度も顔を上げることもなく、
ただ官僚が書いた原稿を読み上げるだけで終わった。
野田よ! お前は原爆被災の関係者に、顔を上げて目を交わし、
万感の意をこめた、鎮魂の言葉を出す事も出来ないのか。
つくづく駄目な男だと再確認した。
こいつの事を、演説が上手いと手放しで誉める千葉県民が居る。
野田のどこを見て、演説が上手いと言えるのか。
慰霊の会には、福島の浪江町から、馬場町長も出席されていた。
言葉では、福島の原発事故が重なるとは言ったが、なぜ顔を上げて
の話が出来ないのか。こんな阿呆を、総理にしたヤツは、どこの
どいつだと叫び出したい。
自民党には責任が重い。こんな阿呆が総理として、あちこちと出歩く
状況を生み出した責任があるのだ。この次の選挙では、民主党は
壊滅するだろうが、自民が勝つわけではない。
谷垣には期待はしない。いっそ、大胆に小泉進次郎君でも総裁に担ぎ、
若い世代を代表する党として再生してくれ。
自民党幹部会で、8日に衆院総会での議決を行なうにあたり、
民主党政権が解散総選挙を条件にしたことで、野田がいくら
意地を張ろうと、九月解散は避けられない状況になった。
日本をここまで駄目な国にした、責任は相当に重い。
鳩山も菅も、もちろん野田も全員落選の憂き目を見させてやらねば
怒りのやり場がない。
二度とこんな、いい加減な政党、いや政党としての綱領も無いのだから、
単なる選挙目当ての、烏合の集団に好き勝手はさせないぞ。
今からでも遅くはない。世界中から尊敬される、日本の復活に向けて、
国民全員で頑張って行こう。
法人税を国際競争力に勝てる、20%に減税する案は当然必要である。
何が大事たって、国内に製造工場が競い合っていてこそ、雇用も増えて
若者も希望が持てるのだ。
菅のバカは、介護で雇用を増やすと言ったが、介護ってどんな仕事なのか
分かっての発言だったのか。