自らの訪米を大成果であるかに語るオトコはナルシストであろう。
それにしても、談話に出てきた「高み」なる気妙な言葉は、ありゃ何だ。
察するに、アメリカの地から、党内抗争を「高みの見物」と洒落込んだ
わけでもあるまい。
小沢も、己を「天下国家」を考えるオトコと、思い込むあたり、
あいつもナルシストだろう。大きな汚い顔を持つあたりも、野田と
良く似ている。
美しくもなければ、秀才でもないのが、ナルシストを気取るのに
ロクな奴はいない。
規制緩和の前は、2万6千人の利用に過ぎなかったのが、
600万人の利用とは、急成長の代表みたいな分野といえる。
かつての寝台特急「北陸」や「能登」が消えたことの原因でもある。
便利の追及は良い。だが競争のあまりに「危険」が表に顔を
出すようでは規制緩和の精神が泣く。
関越自動車の大惨事は、競争激化のウラを明らかにする
キッカケとなった。
規制緩和の行き過ぎは、何も夜間高速バスの世界に
留まらないだろう。
道路の補修工事は年中行事化されているが、車載違犯の
大型トラックの横行がなければ、これほど道路は痛まない。
軽四輪者に家族を乗せた、すぐ傍を大型トラックや二両連結の
トレーラーが走る姿を、オカシイと思わない国交省の役人の神経が、
どうかしている。
事故が起きたら、軽四輪の一家が犠牲になると、子どもでも
分かる理屈だ。
陸援隊と称する、孫受けのバス会社は、経営が苦しかったから、
日雇いの慣れないオトコに、経験の無い道路を一人で運転させた。
事故は起きるべくして起きた。居眠り運転で、道路脇の壁に
突っ込んで行った運転手を擁護するわけではない。
寝台特急を無くしてまで、夜間高速バス路線を、600万人
利用の格安旅行に成長させる必要があったのか。それを行政に
聞きたいのである。
陸援隊か。地下で中岡慎太郎が泣いているだろう。
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