作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 昨夜の「坂の上の雲」を二度続けて見た 】

2011-12-12 18:43:30 | 02 華麗な生活

六時からのBSと、七時半からの地デジの双方を連続して
見たということ。

司馬遼太郎さんの大作をドラマ化すると聞いた時は、内心で
「無理じゃなかろうか」と
思ったものだが、すでに三年目に
入っている。

司馬さんが、この作品で乃木の愚将ぶりを書いたのが
ケシカランと非難する乃木擁護派が
歴史学界には居るそう
だが、当初から二百三高地の奪取を要請した海軍のみならず、
大本営もまた、乃木に二百三高地を、ひたすらに攻め落とせ
と命じていた。

ボクは小学生の身分で、その事実を知っていた。
なにしろ図書館通いで有名な病弱児
だったから、本だけは
かなり難解な大人の本を読んでいた。

乃木の不幸は第三軍付けの参謀に伊地知とう薩摩藩出身者
を付けられたことにあるだろう。
日本を守るべく、残された
二個師団の兵力までも、乃木は要請した。
旭川と弘前の二個師団で、虎の子と呼ぶに差し支えのない
取っておきの部隊である。

双方共に寄越せという乃木に、満州全軍の指揮者大山巌が
怒り、弘前は大山の手元に
残された。
ロシアとの決戦は、あくまで満州の荒野で行なわれる。

旅順に頑丈な要塞が出来ていることは、当時世界中が知って
いた。
おそらく広瀬武夫も承知していたことだろう。

伊地知とその配下の参謀どもは、明らかに無能者であった。

北海道の部隊、旭川師団も1万5千の将兵が、僅かの1千名
を残すまで叩かれた。無駄死にである。靖国神社は必要で
ある。
それでも、伊地知以下のの参謀どもは誰一人として、
前線に赴き、自らロシア軍の機関砲の前に曝そうとはしなかった。

安全な場所に身を置いて、机上で作戦を立てる参謀なんか不要である。

児玉が意を決して、乃木に代わって第三軍の指揮を取るべく
急遽移動し、攻める場所を
二百三高地に定める。
伊地知は児玉の作戦変更にも反対する。阿呆である。

ともかく二百三高地は落ちて、旅順湾内に逃げ込んでいた、
ロシア艦隊は山上から
打ち下ろす大砲の犠牲となる。
バルチック艦隊はまだアフリカの沖にいた。

NHKのドラマは、やはり時間が足りない。乃木と児玉の、
西南の役以来の、機微が充分には描かれていない。

日本軍が最後に白兵戦でロシア軍を打ち破ったのは、
年末から新年にかけての時期。大晦日も新年も無かった。
明治の庶民は、戊辰の役から三十数年で、農工商が主体の
強力な兵隊に成った。
が、長州の乃木、薩摩の伊地知は役に立っていない。
虚しく兵を殺した。哀れな死であった。無能な指揮官の下、
無駄死にを強制される兵ほど哀れなものはいない。

司馬さんが言った。近代国家は国民に福祉のみを与えるもの
ではない。
いまこの言葉を野田のバカに聞かせてやりたい。社会保障
だけで国家は成立しない。



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【 12月8日に書いた九軍神の続き 】

2011-12-12 10:45:48 | 02 華麗な生活

一昨日のNHKで、特殊潜航艇の乗員のうち、ひとり負傷して
米軍の捕虜になった、九軍神の仲間で生き残った人物を
主人公に
したドラマがあった。

酒巻少尉という名前には記憶があった。東條英機が陸軍大
臣の時に「戦陣訓」
を発表して「生きて虜囚の辱めを受くることなかれ」
と、ウイーン条約を否定することを言い、
サイパン
や沖縄で、戦陣訓は戦地の民間人にも適用すると言ったが
ために、多くの婦女子
までが巻き込まれて生命を落とす結果
となった。

東條だけは戦犯で処刑されても仕方がない。

NHKのドラマはいまいちだったが、「戦陣訓」が幅を利かせて
いた時代に、米軍の捕虜
第一号になった将校の悲哀は充分
に現れていた。

当時の日本人は、殆どウィーン条約を
知らなかった。
知っていたなら、沖縄辺りで軍部に巻きこまれて、犠牲に
なった民間人が
もっと少なくてすんだであろう。



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【 抜刀隊の歌(続き) 】

2011-12-12 09:00:40 | 02 華麗な生活

陸軍は何かと抜刀隊の歌を使っていた。

文科系の大学生を戦場に駆り立てた、あの「雨の神宮」での
壮行会でも、使用された曲は
抜刀隊であった。
東条英機が「恵まれし学園生活をいま放棄せよ」と演説し、
どこかの
学生が列の先頭に立って、曲名の通り抜刀して
先頭を歩いた。あの学生の運命はどうなったのだろうか。
学徒兵たちは消耗品として
最前戦に送られて生命を落とす
ことが多かった。

小四でボクは二十歳以後の自分を考えなくなっていた。
どうせ特攻隊だろう。
小五になって友達が言った。
「お前は病弱だから、経理将校になれば良い」

その時まで陸海軍に、それぞれ経理学校があり、主計将校
という存在があるとは
知らなかった。



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