作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 道上洋三さんのこと 】

2011-09-30 15:35:39 | 02 華麗な生活

関西ローカルだが、テレビ朝日の系列に朝日放送というの
があり、テレビ部門とラ
ジオ局の双方を担当している。
専らラジオ部門で活躍してきたベテラン・アナウンサーの
中に道上洋三さんという
有名人がいて、この人が現役を
退いた今もなお「お早うパーソナリティ」という有名番組を
担当している。

トラキチとして超有名な人でタイガースが快勝した翌朝など、
自らが歌う
「六甲おろし」を一番だけじゃ収まらず、二番・
三番と歌い続けることも珍しくはない。

そんな道上洋三さんが、今朝(30日)は、連夜の神宮での
対ヤクルト戦の逆転負けに
失意のどん底に落ち込んだか、
お得意の「スポーツの話題」のコーナーなのに、ひと言も
しゃべらず、ただショパンのピアノ曲「別れ」を演奏して、
それだけで終った。

タイガース・フアンの失意を通り越した、怒りや切なさを端的
に表すのに、ショパンの
ピアノ曲は、しみじみとタイガース・
ファンの胸に響くものがあった。

真弓・久保のコンビは、タイガースを完膚なく叩き潰して
くれた。この恨みを晴らさずにお
くものかとタイガース・フアン
なら皆が思っている。
真弓は名選手ではあったが、監督の器としてはどうで
あったか。
久保という投手コーチは、まさに貧乏神そのものである。
ヤツがマウンドに足を運ぶと
必ず投手たちが崩れるので
ある。
ロクなアドバイスも無しにマウンドに行くなと、
今シーズン
のみならず、去年もその前の年も何度テレビに向って叫んだ
ことだろう。

そしてシーズンが終り、真弓監督残留なんて記事が新聞に
載るときが来そうである。岡田よ、帰ってきてくれよ。



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【 緊急入院 】

2011-09-30 10:51:33 | 02 華麗な生活

理由があって、水曜日から木曜日の朝にかけて、神戸の
山手に
在る神戸労災病院の特別室に一泊してきた。
ここも六甲山系の中腹に位置するから夜景の美しさは
大したものだが、
ボクの右腕はぱんぱんに腫上がり、
激痛といって差し支えない状況だったから
とても夜景を
楽しむ余地はなかった。

水曜日(28日)の午前11時半。何時ものようにロッカーで
着替えてベッドに入った
ボクは、もう15年来の恒例になっている
人工透析の前準備工程に入る気でいた。

そう、毎週月・水・金の同時刻に始まる透析開始の儀式だ。
透析患者にしか分からない話になるが、ボクの左腕には
シャントと呼ばれる動脈並みに
血流が高い静脈があり、
その静脈を使って体内の血液を人口透析器に送っては
また戻す、いわば生命線の役をしている。
最初のシャントをたった3ヶ月で壊したボクは、
58年の
年明けに、その病院の最初のオペ患者になって、二番目の
シャントを造り、
それを労わりつつ15年目に入っていた。

それが、その日に限り違った。若手のナースがシャント音を
聴診器で確かめる。
ヘンだわって顔をした若手からベテランさんに代わる。
シャント音が聞こえないことを
確認したベテランさんが、
主治医に連絡するべく走って行った。

それからの主治医のやる事が速かった。
直ぐに外科の居る総合病院に連絡を
入れて、紹介状の
作成にかかる。
ボクは万事を心得、指示されるままタクシーを呼び
山手に向った。
また手首を切るのだと思っていた。中森明菜は二度手首を
切ったが、
ボクは彼女の記録を抜いて三度目の手首傷を
作るのだと。

医学は日々進展している。診てくださった脇田先生は、
ボクの左腕を触診し、
「カテーテルでゴミ掃除をすれば」と
言った。そして手術を執刀する井上先生を呼んだ。
暫くして井上先生登場。「ああ、手首に近い部分は
流れていますね。これならメスを
入れずともカテーテルで
バルーンを使えば、また血流路が出来ますね」。
聞いていたボクは喜んだ。
そうかメスを入れずに再生するんだな。
中森明菜の記録
は破れないが、まあいいや。

それが正午ごろのハナシだった。それから延々と待つ。
なに5時間程のことだ。
外来患者の締め切りが5時だという。
そこで緊急入院ということに。
玄関に戻り
入院手続きに入る。入院病棟のナースが
迎えに来る。
それと同時に手術の準備が
整ったとの連絡も入る。
残業覚悟の手術に入る先生方が先だ。

ボクは一度は着替えた手術用の着物に再び着替え、
車椅子で地下の手術室に
向った。
そこから先の工程は目では見ていない。
頭からすっぽり特殊紙で覆われたから。
手術に当たった医師は三名の様子。ヨード液の注入が
始まったらしい。

先ほど同意書にサインした。映像を見ながらの手術で、
画像を鮮明にするためのヨードだ
と聞かされていた。
この段階で充分に痛かった。部分麻酔を打ったはずだが?
カテーテルが静脈に挿し込まれる。
痛いなんて生易しい段階を越えて悶絶状態だが、
こんなときナースに声を掛けられる。

「大丈夫ですか」「ハイ、大丈夫です」。うそだ。
悶絶していて大丈夫なわけがない。
だけど昭和ヒトケタ世代の受けた教育が生きている。

痛ければ痛いほど、先生たちは懸命に頑張って居られる。
患者の身分で泣き言はいえない。
健気に「大丈夫です」と答えるのが日本男児であると
鍛えられてきた。

悪夢の90分が経過して、カテーテルによる静脈拡張の
作業は終了した。
で、先ほど用意された特別室に入院の運びに。

一晩が明けて左腕の激痛で目を覚ました。まだ5時だ。
今日は昨日の振替で透析がある。
朝食も辞退して山を下りる。何時もの透析クリニックに向う。
まだ9時だが木曜日の透析は
8時過ぎから始まっている。

主治医の先生には、すでに井上先生からの連絡が
入っていた。
何時ものベッドとは違うベッドに案内され、これも何時もは
ナースがやる穿刺を主治医が。
「左腕はもう使えると連絡があったが、この状態では無理を
しない方が良いでしょう」
それにはボクも同意だ。

そこで普段はテニス用においてある右腕を使って、
動脈穿刺となった。
シャントが使えなくなったら、動脈に直接穿刺するしかない。
二度目の体験だったが、主治医のオブナイ先生は心配りが
出来る方だから、
約15年前の獣医かと見間違う乱暴な
医師とは違った。
最後の二時間は血液透析をやめて、
除水だけに切り替えて
も下さった。

今朝(三日目となる)も、左腕は腫上がっている。
手首から肘までの間には、およそ5千億個の細胞が居る。
それらの細胞が全員総出で
健気に傷ついた部分の修復に
徹夜で働いてくれている。
今日一日を休ませて、明日土曜日にまた振替透析が
行われる。



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