日経を含め日本の新聞は、どこかオカシイのじゃないか。
中井はいま何歳だ。日本人が満州から退去させられた時点
で中井は何歳だったのか。
中井に旧新京の思い出がある筈がない。
何がセンチメンタル・ジャーニーだ。
民主党に政権が移ってこの方、北の拉致問題は全く話題に
ならなくなった。菅にやる気が無くて当然。
ヤツは拉致実行犯の一味だから。
拉致被害者の会の皆さんにとって、菅が拉致問題の
本部長とは、悪い冗談だろう。
今でも拉致実行者の息子に、間接的に大金を貢いで
いるのが菅だ。
国民はこの問題をもっと騒いで良いのじゃないか。
外務省が何もしないのなら、内閣の別の人間を使って、
北と接触したって構わない。
それで少しでも拉致被害者が救われるのなら。
本件を中井のセンチメンタル・ジャーニーで終わらせては
いけない。
ボクが会社を飛び出して起業したのが44歳のこと。
最初の三年ほどは本当に苦労をしたが、
四年目に大阪市のど真ん中の目抜きのビルに入居した
のが転機となり、あまたの銀行が入れ代わり立ち代わり、
やって来るようになった。
社員募集をしても、場所柄良い人材が集まったし、
全国に130軒もの代理店を置いて、商品は売れに売れた。
設立6年目には、支払った法人税が、およそ6億円。
個人で始めた事業としては立派なものだと言えたのじゃ
ないか。
そんな会社が傾いたキッカケとなったのが、阪神大震災。
95年1月のことで、ボクはその少し前から体調を悪くして
いた。腎臓が弱っているとは知っていた。それが表に出て
きたのだ。
二年を置いて、97年10月に人工透析患者の仲間入り。
身体障害者一級の手帳を持つ身分に。
大勢居た社員も、次々と辞める者が現れ、残った者も
動かない。社運は急速に傾いていった。
ボクを痛めつけた病魔は腎臓だけじゃなかった。
腰椎の4番と5番の間にある椎間板がグチャグチャに壊れ、
神経が詰まった管を壊したから、はみ出た神経が強烈な
痛みを引き起こす。
こうなると、もう会社どころじゃない。
友人たちは言う。なぜ後継者を育てなかったのか。
言うのは易しいよな~。
昨夜は所属するホテルでの会員懇親パーティ。
水曜日だったから人工透析の日であったが、6時半からの
パーティだから、会社でアンカーの青山繁晴氏の話も聞き、
ホテルのスポーツクラブで風呂にも入りシャンプーもして、
悠々間にあった。
なにしろボクの会社はホテルの隣に建っているのだ。
去年は硬膜下血腫の手術で入院した直後で欠席したし、
長い間、頑丈なコルセットで腰の周りを囲み、手押し車も
使用していたから、多くの会員が元気になったボクを見る
のは七年ぶりぐらいのこと。
「お元気になられましたね」と次々と声を掛けてくださる。
有難いことである。
ウイスキーの水割りを飲むのは何時以来のことか。
透析の身を慮り二杯で止めた。本当はその後からが
美味くなるのだが。
で、今日も十一時半から一時間のテニスレッスン。
晴れてはいるが、風が強い。ビル風である。
コーチが出すボールが、風に押されて異様な変化をする。
それを打つのがまた楽しいのである。
どうやらバックストロークもバックボレーも本物になってきた。
これで77歳だから、皆が驚く。加山雄三よ威張るな。
「オレは原子力には強いんだ」と官邸で怒鳴り、東電の仕事
を邪魔しに行った菅ガンスは、その後の言動を見ていると、
電力の発送電の仕組みも良く分かっちゃいないド素人だと
バレバレだ。
太陽光や風力発電は、天候次第で稼働率が大きく左右され、
それに備えて火力などの予備発電装置の併用が必須の
もの。
孫正義はそこらの事情を充分弁えながらアホ菅を乗せた。
イッキイッキで飲めない酒を飲まされた新入生扱いを
一国の首相たる者が受けたのである。
太陽光たって、個人が自家発電し、余った電力をその地の
電力会社に買ってもらうのと、孫が言うような大規模発電と
では、取り扱いがまるで違うという基本的なことが抜けて
いる。
アホ菅は孫に乗せられて売国奴と化した。
いや違った。ヤツは学生時代から、サヨクのチンピラだった。
一つ間違っていたら、よど号ハイジャックの一味にもなった
し、浅間山荘で仲間から殺される運命にもあり得た。