作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 3300名の引揚げ船 】

2011-02-11 13:25:00 | 02 華麗な生活


昨日のお昼に小学校時代の同窓会があった。
ただの小学校じゃない。旧満州国の首都新京
に在った桜木小学校の同窓会で、その関西支部
の集まりであった。

桜木校の校区の住人の多くが同じ船に乗った。
普通は200名とか300名とかが、米軍の船で
帰国したから、ボク等のような体験をした者は
少ない筈だと長年そう思ってきた。

昨日そのことが確認できた。
敗戦時のボクは五年生。引揚げはその翌年の
ことだが、帝国陸軍が保有していた航空母艦に
ボク等は乗せられたのだった。
一挙に3300名を乗せるには空母のような巨大な
船が必要になる。熊野丸と称したその航空母艦は
その条件を満たす数少ない船であった。

小学生から中学にかけての一歳の年齢差は大き
い。一年先輩のUさんがボクの記憶の定かでない
部分を補って下さった。
今まで誰に話しても信じてもらえなかったことだが、
ボク等3300名を乗せた空母は、佐世保入港の
許可が得られぬまま、大村湾に47日間も漂って
いたのだ。

理由は船内にコレラと腸チフスの感染者が出た
からと伝えられていた。
昨日Uさんは「ありゃ、ウソや」と断言された。
実は一挙に3300名が上陸しても、それだけの
人数を収容する場所がなかったからと、さすが
中学生の判断を示された。

遺体収容のボートが、ほぼ毎日港と船を往来して
いた。祖国の山を目の前にしながら、暑い船内に
閉じ込められたら、病気にもなるし亡くなる人が
出て当然だった。

気の毒な死者は、その数を日ごとに増やしてい
った。ボートに投げ込まれる遺体には毛布が巻か
れていた。

47日間はあまりに長い。
新京を出たのは、ボクは6月だったが、Uさんは
7月たと言われた。コロ島と言う名の港からの帰国
だったが、無蓋貨車という名の通り囲いも屋根もな
い、雨が降ればズブ濡れになる悲惨な列車が、
新京からコロ島までボクたちを運ぶ途中、何度も
乗降を繰り返された。

あれもコロ島が渋滞したからだと今では思える。
7月の終わりに熊野丸に乗るまで、ボクは満州の
各地を流浪していた。
そしてやっと乗った船が、日本の港を目前にして、
今度は佐世保港の渋滞を理由に47日間も漂った
のだ。
その船内で死んだ人々の無念を思って欲しい。


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【 ノラ犬の喧嘩 】

2011-02-11 13:24:00 | 04 時事ニュース


透析中に見たテレビニュースで、
みんなの党の渡辺喜美代表が曰く。
小沢と管のやりあいは、まるでノラ犬の喧嘩だと。
言い得て妙であると、思わず噴出しそうになった。

自民党の谷垣・大島には、こんな辛辣かつユーモ
アが欠けているから、今一人気が湧かない。

それにしても長い喧嘩だ。ノラ犬どものエネルギー
には呆れる。

政治とカネと言うが、それが私と何の関係がある。
やましいことは何もない。
顔からしてノラ犬の大将面で嘯く小沢は、テレビで
の代表選での己の発言を忘れたらしい。

あの時は、国会でもどこでも呼ばれたら出て行き
ます。そう言ってはばからなかったじゃないか。

小沢に政治とカネの疑惑が無いとは誰も思う
まい。困ったノラ犬どもに国政を委ねてしまった
ものだ。



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