実は本日もう一つの記念を作った。
昨年十月一日付で、ボクの作家デビューとなる
『炎の商社マン』上下二巻が出版された。
昨日ボクの第七冊目となる『逆転・関ヶ原』を
書きあげた。
ただいま、全国主要都市の、超著名書店のあちこちで、
「小林真一フェア」が開催されている。既刊の六冊が
すらりと並べられ、大変な光栄を感じている。
パパゲーノ
実は本日もう一つの記念を作った。
昨年十月一日付で、ボクの作家デビューとなる
『炎の商社マン』上下二巻が出版された。
昨日ボクの第七冊目となる『逆転・関ヶ原』を
書きあげた。
ただいま、全国主要都市の、超著名書店のあちこちで、
「小林真一フェア」が開催されている。既刊の六冊が
すらりと並べられ、大変な光栄を感じている。
パパゲーノ
今日はボクにとって記念日である。
あまり名誉な記念日ではない。
丸十一年前になる、九七年十月一日に、
ボクは生まれて初めての人工透析を受けた。
荒っぽい獣医みたいな医師の乱暴な扱いと、
決して親切とは言えない、ナースたちだった。
ボクは見たこともない、太い鍼を二本左腕に刺され、
その痛さに半ば失神した。
四時間の予定が、三時間ぐらいで中断となった。
透析を行う腕の、手首の辺りに動脈と静脈とをつなぐ
手術を行い(それをシャントと呼ぶ)、あらかじめシャントを
作っておいて、静脈が太く育つのを待ってから、透析穿刺を
行うのが、普通だとは後で知った。
ボクの場合は、前日の九月三十日にシャント手術を受け、
その翌日午前中に、早くも初の穿刺が行われた。
透析は健常者の「排尿」の代わりであるから、透析の時間経過
とともに、総血液量の中の水分がどんどん減っていく。
当然血圧が下がっていき、貧血となる。
ボクが三時間足らずで、半ば失神したのは、血圧急降下、
貧血、痛みに耐えかねるの三者一体攻撃に負けたわけであった。
到底こんな治療が週に三回のペースで続行されるのに、
生命が持つわけがないと思われた。
心底から、早く楽に死にたいと願ったものだった。
あの日から丸十一年が経ち、今日無事に十二年目の初日を
おえたことが、我ながら奇跡と思える。
パパゲーノ