作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 六冊目の本進行中 】

2008-06-21 15:45:57 | 02 華麗な生活

最近になって出会いが増えて、なまじ5冊も本を出したから、
質問受けることが多い。
腎臓の機能がなくなって、人工透析を受けるようになり、
十年と九か月が経過した。
実質的に放棄したはずの社長業も二十九年となり、
六年ばかりをかけて、懸命に壊してきた会社が、漸く再建
できる地ならしができた。
なんといっても二十九年だし、資本金だって一億円を超す。
誰もがやったことのないことばかり、異例の経営をやって
きたのだから、もう一遍世間をあっと言わせたい。

意図的に「社長業は休業状態」と言い続けてきたのだが、
武士じゃないから、簡単に「二言あり」で行くことにした次第。

出版部門だって、売名行為をやっているんじゃないよ。
最初から採算を言い出したら、それを担当する社員が
気の毒だと思うから「儲けなくてもいいよ」と言っている。

六冊目になる本が八月には出るだろう。
はじめて書く、完全なフィクションの小説である。
二冊目に出てくる、なんとも可憐な「青山かおり」を
再現させろとの読者のお声に応じて書いている。
いまだにどんな顔立ちなのか、よく分かっていないのだが。




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【 大阪船場 】

2008-06-21 15:39:02 | 02 華麗な生活

東西二つの横堀川、北に土佐堀川そして南に長堀川と
あわせて四つの川で囲まれた四角の土地を船場と呼ぶ。
戦前の大阪商人にとって船場の中に店を持つことこそが、
ホンモノであり、四本の川の一歩でも外に出たら、そこは
船場のダンさんや御寮んはんから、見下げられる場所で
あった。ここらの機微は、山崎豊子さんの初期の作品に
詳しい。

船場は北から数えて、北浜、今橋、高麗橋、伏見町、道修町
と続くのであるが、高麗橋と堺筋の交差する位置に三越があり、
高麗橋通りには三井財閥系の会社が立ち並んでいた。
三井銀行や三井生命などと共に、東洋棉花の本社も、
この通りにあって、ボクは昭和三二年にその新入社員となった。
三井物産の再合同は未だ果たされていなかった。

目の前に当時は一軒だけの吉兆があり、夕方になると、
まだ数が少ない黒塗りの高級車がズラリと道を占拠した
ものであった。
先ほど述べた道の順番だが、今橋と高麗橋の間に、実は
もう一本の小路があって、正式名なのかどうか知らぬが、
浮世小路と呼ばれていた。人通りも少なく、車などが走る
ことなんか、まるでなかった。この一帯は幸いにも空襲の
被害を免れていた。
遠方から眺めても、三越と東洋棉花の両ビルが目立った。

与太呂はこの界隈でも、その大きさにも格式においても
おそらく最高のお店であった。ボクが初めて与太呂の暖簾
をくぐったのは、入社三年目のことだった。先輩のおごりで
あった。いつになったら行けるのかと思った吉兆は、ついに
今にいたるも入店が叶わず、他の店とはいえ、あれだけ
評判を落としたから、もう行く値打ちがなさそうである。

当時からあった喫茶室の多くを記憶している。伏見町にある
一軒に入ったが、たたずまいに昔の姿が残されていて、
この界隈の店を一軒ずつ訪れてまわりたい衝動にかられた。
ボクが入社した吉兆の真ん前のビルは、今はホテルになって
三井ガーデンと名乗っている。




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