作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 青山かおりの華麗な生活 】

2008-05-22 19:45:55 | 02 華麗な生活

昨年十月一日に、モノカキとして最初の小説
『炎の商社マン』上下二巻を出したのを皮切りに、
『はぐれ狼が奔る』『アルプスの小川』と発表し、
最近作『ブラック?ホワイト?』を併せて、これで
有力書店で5冊が並び展示されることになりました。

本が売れ出して、ランクインする有力書店も現われ、
「あの青山かおりは、その後どうなった?」
「青山かおりと、もう一度会いたい」
といった、お声を頻繁に聞くようになりました。

ボクも実は青山かおりという、何とも佳い女の子と
別れるのが辛かった。あんな佳い子は滅多に
居るもんじゃない。
そこで新たに小説を書き起こし、青山かおりを
再登場させることを決めました。
書名を『青山かおりの華麗な生活』として、全部と
いうわけにはいきませんが、時々ブログ上にも
出現させます。
お楽しみにお待ちください。




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【 肥前の人 (歴史エッセイ 71) 】

2008-05-22 16:53:16 | 05 歴史エッセイ


先だって但馬の国に赴いて、その地の人々の
優しさに感動したばかりだが、今回は肥前の人、
それもご夫妻にお会いした。
この週の火曜日のことである。当然もっと早く
お目にかかるべき方たちだったのが、ボクの
怠慢で今頃となった。

さすがに長崎までの日帰りは、身体に自信が無く、
恐縮ながら博多駅まで来ていただいた。
都ホテルの和食の店にムリを言って、3時間
ねばらせて貰ったのだ。

ボクのブログに久しく書入れがない「歴史エッセイ」
がお好きだと言われ、それじゃと肥前のお話を少々。

温厚な方と感じる司馬遼太郎さんだが、
時として激しい。
『街道を行く』17巻は、「島原・天草の諸道」で
あるが、その冒頭に激烈極まる言葉が飛び奔る。

「日本史のなかで、松倉重政という人物ほど
忌むべき存在はすくない」かの、島原の乱を
起した張本人である。
あの乱は決してキリシタンの反乱ではなかった。

松倉という、およそ大名にしちゃいけないヤツを、
人物を得ない徳川家が抜擢して、島原半島一円
の領主となり、その愚かな息子・勝家と共に
「治める」とは「年貢を搾り取れるだけ搾り取る
こと」と錯覚し、およそ領民をして、生存権を
無視される窮状にまで追いやった。

その苛斂誅求ぶりは、子供が生まれたら人頭税、
死者が葬られたら穴税、畑になった茄子の実まで
いちいち数え、その大半を取上げるといったこと。
住民をして「早くこの世を去って、次は鳥にでも
なりたい」と嘆かせた。

火山灰で覆われたこの土地は、実質一万石の
実入りしか期待できない。
俄かに取り立てられて四万三千石の大名に
任じられ、有頂天になった松倉は、徳川の老中
どもに媚びをうるべく、皆が避けたがる徳川の
土木工事の「お手伝い」を十万石の大名並みに
言いつけて欲しいとまで言い出す。
そのことのツケはすべて領民である百姓が
背負わされる。
まったくとんでもないホワイトもいたもので、
こんなヤツの支配下に置かれたブラックほど
哀れなものはない。

日本史上、他に類例を見ない松倉の悪政に
よって、島原の人々は蜂起せざるを得なくなった。
あの乱は決してキリシタンによる決起では
なかったと、ボクが断じる所以である。
キリシタンの反乱は、二次的なことで、
隣り合わせの天草の人々が同情のあまり
民衆蜂起に合流した。

天草諸島は、松倉の所領を免れ、唐津藩の
飛び地である。
天草では島原のような酷い治世は行われて
いなかった。
が、ここにはキリシタンが多く住んでいた。
島原衆への同情がいつしかキリシタンの
蜂起へと変貌した。

この段階になって、漸く徳川幕府が動く。
名前が同じでややこしいが、板倉重政という
一万石強の小大名を総司令官に任じるのである。
ホワイト官僚の、いい加減なその場しのぎの
典型をここに見る。
一万石の名も無き総司令官に従う九州大名は
いない。
可哀想に板倉が従えた兵は僅かの三百人に
過ぎない。
板倉は当然のように、死んで任務を果たす。
この辺り、大戦中の各戦場に増派された
兵たちに、前身を見る思いがある。

徳川幕府官僚が慌てるのはこの段階に
至ってから漸くである。
切り札ともいうべき松平信綱を担ぎ出して、
九州大名のおのおのがその陣下に馳せ参じ、
島原と天草の人々を地獄の底に突き落とす
残酷極まる戦に参加して、幕府は辛うじて面子を
保つのである。

どこか今の社会保険庁と厚生労働省の姿に
似てはいないか。

幕府は右往左往させられた腹いせもあって、
松倉勝家を斬首の刑に処す。
徳川期二百六十年を通じて、ただ一人の
大名斬首であった。

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