■パンカップ店主の昭和的こころ 「三角ベースボール」

アラカン・パンカップ店主の昭和的こころの復活記◇昭和の時代・日本の伝統を見直しませんか?!

【トイレの神様2011】植村花菜「トイレの神様」に思うこと

2011-11-10 19:25:50 | 言霊(ことたま)
トイレの神様  

昨年(2010年)この歌を聴いて涙した方が大変多いのを承知でいろいろ考えてみました。

【お店のトイレ】リビングショップおおたに(寄居/埼玉)
 記事のトップのイメージは、当店のトイレの壁紙です。洋式トイレですが便座に腰をかけるとこのレモンの木を見ながら用を足せます。立って用を足す男子はこの壁紙に背を向けることになるので、この「レモンの木」に気づかずにトイレから出てしまうことが多いようです。2000年に店舗を新築した際にクロス屋さんが新築祝いにと張ってくれました。

【八百万 やおよろず の神】
 日本人は古くから大自然を神として畏れ敬い、調和を重んじてきた。大自然にそして身の回りのもの全て似に神が宿り、大工は道具を命よりも大切に扱い、農夫は鋤や鍬を、商人は算盤を大事にした。
 パンカップ店主の家でも昔は恵比寿講の日には算盤と財布・帳票一式をご神前にお供えして神饌とともにその日を祝い、商売繁盛を祈願した。また、正月には便所の神様、井戸神様、竈(かまど)様などなどに松をあげ小さな鏡餅と雑煮をお供えしたもので、今でもその習慣は残っていてパンカップ店主の大事な正月行事となっている。
 また小正月には繭玉のカタチを上新粉でいくつも作り、何の枝であったか記憶が定かでないが(桑だったかなぁ?)枝に刺してトイレの入り口の天井に飾った。当店は創業時(1925年・大正14年)荒物屋で地域の産業━養蚕の用具を扱っていたために、その年の養蚕・おかいこさんの出来を祈願したものと思われる。

【トイレの神様という歌】
 さて、トイレの神様のyoutubeに投稿されているコメントを見ると、「主役」はどうもトイレの神様ではなくて、おばあちゃんとわたしであるような気がしてならない。コメントの多くは「おばあちゃん」へのノスタルジックな思いが多くを占めているのには、正直パンカップ店主の驚きであった。どうも最近の若い人たちは「トイレに神様がいる」なんてもともと思って(感じて)いないらしい。多分そうなのだ。
 
 こどもの頃のトイレ(トイレという言葉さえなかったような)は水洗化が進む前のほとんどが溜め込み式で、いまさらに「ポットン便所」というようだが、臭くて暗くて、こどもごころには怖い場所であった。

  【つづく】
  トイレ掃除をはじめたよ・・・昨年6月2010年からほぼ毎日
  

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小3の頃からなぜだか
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた

毎日お手伝いをして
五目並べもした
でもトイレ掃除だけ苦手な私に
おばあちゃんがこう言った

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
その日から私はトイレを
ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて
毎日磨いてた

買い物に出かけた時には 二人で鴨なんば食べた
新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを
泣いて責めたりもした

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
少し大人になった私は おばあちゃんとぶつかった
家族ともうまくやれなくて 居場所がなくなった

休みの日も家に帰らず 彼氏と遊んだりした
五目並べも鴨なんばも 二人の間から消えてった

どうしてだろう 人は人を傷付け
大切なものをなくしてく
いつも味方をしてくれてた おばあちゃん残して
ひとりきり 家離れた
 
 
上京して2年が過ぎて
おばあちゃんが入院した
痩せて 細くなってしまった
おばあちゃんに会いに行った

「おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと
昔みたいに言ってみたけど ちょっと話しただけだったのに
「もう帰りー。」って 病室を出された
 
 
次の日の朝  おばあちゃんは
静かに眠りについた

まるで まるで 私が来るのを
待っていてくれたように

ちゃんと育ててくれたのに 恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を待っててくれたんやね
 
 
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
おばあちゃんがくれた言葉は 今日の私を
べっぴんさんにしてくれてるかな

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
気立ての良いお嫁さんになるのが
夢だった私は
今日もせっせとトイレを ピーカピカにする

おばあちゃん
おばあちゃん ありがとう
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう

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「2010年 第61回 NHK紅白歌合戦」歌唱曲
発売2ヶ月前にラジオでオンエアされ、その直後からリクエストや問合せが殺到!
祖母の言葉や思い出、自身の半生が表現された"号泣必須""10年に一度の名曲"と騒がれた楽曲は、
有線問い合わせチャートでも第1位を獲得! 現在各方面で話題沸騰中の1曲!
トータルプロデューサーに寺岡呼人を迎え、彼女のパーソナルな部分を赤裸々に表現したミニアルバム
『わたしのかけらたち』リード曲。
オフィシャルサイト:http://www.clearsky.co.jp/kana/
オフィシャルブログ:http://ameblo.jp/uemurakana/



【木守り柿】秋の収穫に感謝する日本人のこころです

2011-11-10 13:43:52 | 言霊(ことたま)
実店舗のお客様から今年はたくさんの柿をいただきます。

▼当地は秋祭りも終わり(5日~7日)そろそろ冬支度。
 今年は「つるし柿(干し柿)」の出来もよさそうで楽しみです。
 埼玉の秩父地方では麦撒きも終わり「あとは夜祭待つばかり」。 

昔、人は柿の実を収穫する際、一つ残らず採ってしまわず必ず最後の1個を木に残しました。これを「木守り柿」と言い、人間が根こそぎ手に入れるのではなく、豊かな稔りを与えてくれた木・自然・神への捧げものを残すという感謝の意味があったそうです。そうすることによって、また次の年の豊かな稔りを約束されると信じられていました。野鳥のために残しておくともいわれています。



天津祝詞(あまつのりと)・・・毎朝御神前で奏上しています「祓詞」

2011-11-08 18:56:55 | 言霊(ことたま)
高天原(たかあまのはら)に神留坐(かむづまりま)す神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の命以(みことも)ちて皇御祖神伊邪諾(すめみおやかむいざなぎ)の尊(みこと)筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちはな)の 小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に禊祓(みそぎはら)ひ給(たも)ふ時(とき)に生(な)りませる祓戸(はらいど)の大神等(おほかみたち)諸々枉事罪穢(もろもろまがことつみけがれ)を祓(はら)ひ給(たま)へ清(きよ)め賜(たま)へと申(まお)す事(こと)の由(よし)を天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)八百萬(やおよろず)の神等共(かみたちとも)に天(あめ)の 斑駒(ふちこま)の耳振立(みみふりたて)て聞(き)こし食(め)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まお)す

宗像神社秋季例大祭無事終わる・・・寄居の氏神様

2011-11-08 18:27:23 | 言霊(ことたま)
「秋祭り」雑感 石川光男(武町/寄居)


 秋祭りと言えば山車(だし)です。山車についての歴史をたどってみます。
 山車の原型は山鉾で、嘉吉元年(1441年)疫病が蔓延していた京都で、疾病邪悪を払う長刀(なぎなた)を乗せた鉾が造られた事を始まりとしています。秩父夜祭りの山車は今から300年ほど前に造られたとされ、川越の山車は文化文政時代(1803~1830年)の初期に造られたとされています。寄居町の山車はいつ頃登場したか明記されたものは有りませんが、文政時代(1818~1830年)の初期に登場したと推定されます。ここで、寄居秋祭りの起源について見てみます。現在の秋祭りは宗像神社の祭礼とされていますが、元は聖天宮の祭礼でした。

宗像神社は、大宝元年(701年)に宗像大社(福岡県)より、荒川の氾濫を鎮めるために宗像大社の分霊を祀ったと伝えられております。一方の聖天宮は弘仁10年(819年)当地を訪れた弘法大師が象ヶ鼻に至り、この地を霊地として聖天像を彫り祀った事に由来すると伝えられています。この象ヶ鼻の聖天宮の祠堂(しどう)を上宮と呼び、宗像神社を下宮を呼び神仏混淆の下で栄えて参りました。
江戸期の寄居の最大のお祭りは鎮守聖天宮の秋祭りで、聖天宮は藤田一円12ヶ村の総鎮守と言われ賑わいをきわめていたと伝えられています。文政3年(1820年)の記録には秋大祭の最中11月16日(旧暦)に山車の通行の邪魔で有るとして、寄居村の者が末野村の畑べりに植えてある桑の木128本を不法に切り倒し農作物を踏み荒らしたとして、評定所に訴えられた事件が記録されています。また、文久元年(1861年)には皇女和宮下向のため中仙道近在の農民は「助郷の制」で夫役が課せられ動員され、財政が疲弊したため秋祭りを取り止めたとの記録が残っております。
明治維新を迎え、祭政一致をスローガンに廃仏毀釈運動が起こり、神仏分離政策が行われ、宗像神社と聖天宮は分離し、聖天宮は象ケ鼻の地から宗像神社の別当寺あった極楽寺境内に移され聖天堂として祀られ現在に至りました。
当時の秋祭りは、12月13日~16日の4日間行われておりましたが、昭和53年に日程が11月2~4日に変更され、平成になり11月2~3日に変更され、さらに平成18年から11月第一日曜日とその前日の土曜日に行われるようになりました。
  


山車に話しを戻します。武町の山車は大変古く、山車の初期の原型を残しています。江戸中期の山車は、中央に柱を立てた一本柱構造で、その先端部は羽子板形でその上に露盤を乗せています。本町・中町の山車は時代が下り中央に柱が無く、周囲を6本の柱で支えられた構造となっております。また、山車の露盤の下の六方幕には聖天様のシンボルである二股大根が描かれている武町の山車は特に有名です。当初の山車は現在と異なり、前輪が無く二輪で、山車の前後に梶棒がつき、それぞれの梶棒に人が取りつき、山車の前後の安定を尽力していましたが、大正末期には山車の前方に車輪をつけ、三輪で走行するようになりました。また、宮本・常木の笠鉾以外には、山車の上部に山車人形を乗せていましたが、大正時代に入り山車人形は電線の普及により掲載不能となり御蔵入になったと言われています。これが平成16年頃から各町で山車人形が復活させる機運が起こり、山車人形の復活を見た訳です。因みに武町の山車人形は山王様のお使いの野猿です。まだまだ秋祭りについて色々とありますが、この辺で筆を置きます。

雪洞に 揺れる提灯 御明かりに
鉦笛太鼓 心浮き立つ


                  

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【氏神】戸谷 学君によれば、氏神には以下の類型がある。1.地域社会の氏神 2.一家の氏神 3.屋敷の氏神

【地域社会の氏神】━ 氏子区域内のすべての住民が「氏子」として祭礼に奉仕・参加するもので、地縁氏神という。氏子の代表者は氏子総代と称し、神社の祭礼などにおいては中心となります。(とや まなぶ)

【産土(うぶすな)神・鎮守神】も、現在では氏神とほぼ同じ意味で使われている。(とや まなぶ)

【産土神】生まれた土地の神のこと。その人の一生を守護する神とされます。産土と表記するように「生まれた土地」に由来する神です・・・他の地域に転居すると、転居先の神様の氏子となりますが、産土神は転居と無関係で、生涯変わることはありません。(とや まなぶ・寄居生まれ)

【産土の神様】わが国は都会はもとよりいかなる山間僻地といえども、必ず鎮守様すなわち、産土(うぶすな)の神が鎮まりいます産土神社または氏神様がある。これはちょうど現界における区役所のようなもので、人間社会における冠婚葬祭はもとより、出産等に至るまで産土の神様が担当されている。

【産土の神様】昔から子が生まれるや、必ずお宮詣りにいく習慣があるが、これはこどもを授けてくださった神様にお礼詣りをするのである。夫婦も同じに神様の思し召しによって結ばれた妻であり、夫であるのを、人間が勝手にどうこういうことは神様に対してはなはだ無礼となるのではないか。

「ことなのことば展」 ありがとうって、素敵ですね。

2010-04-21 19:04:50 | 言霊(ことたま)
4月21日夕方、寄居市街地の当町「武町」からお引越なされた方の「新築祝」をお届けに寄居町桜沢字本村に配達。新築の家なので玄関・リビング・和室を拝見して、リビングで談笑。町内の思い出話や最近の市街地のこと、商店街のこと、家族のこと、お孫さんのこと。いろいろ話していたら時間を忘れてしまいそう。「ありがとうございました」。ニコニコポイント満点カードをお渡しして、ご集金。ありがとうございました。寄居市街地での思い出がまたのご来店のきっかけになりますように。ありがとうございました。
△イメージは「ことなのことば展」でのお買い上げ品。ちいさなフレームですが「ありがとう」がいっぱいつまっています。

沢山のありがとう

2010-04-09 16:12:40 | 言霊(ことたま)
◆◇◆ 日本は「言霊(ことたま)」の国。
 「ありがとう」という言葉ほど、波動の強い言葉はないそうです。波動とは最高神、もしくは宇宙からのパワーのことをいいます(と思っています)。日々いただく食物や使う道具から水に至るまで常に感謝のこころを言葉に表して「ありがとう」、ありがとうと言っていると食物や物は喜んでその人のためになり働いてくれます。いろいろなものがおいしくいただけ、すぐに腐るようなことはないそうです。
 ある新聞記事で、氷だったか雪だったか、「その結晶」にありがとうというときれいな形に結晶するというような話を聞いたことがあります。また、ある添加物・保存料を使っていない自然食品のボトルの化粧箱の内側に、大きく「ありがとう」という文字が印刷されているのを見たこともあります。少しでも腐るのが遅くなるように、また、それをいただく人のお役に立つようにとのこころがこめられているものと察しました。

やさしさと感謝の心を照らす 沢山のありがとう ろうそく

雲の上の貴方に。
亡き方へ思いを込めてご仏前での毎朝のお勤め。
一日の終わりには「ありがとう」と手を合わせる。
この世に生かされていることへの感謝のこころは尽きませんね。
ありがとう 感謝のこころ
ありがとう お世話になった人に
ありがとう おかげさまで・・・
沢山の ありがとう。

やさしさと感謝の心を照らす 沢山のありがとう ろうそく
【商品スペック:ボーティプ・キャンドル 祈りのろうそく】
ご提供価格 788円 入数36本■1本あたり燃焼時間 約15分
ローソクサイズ 高さ4cm 太さ0.8cm
パッケージサイズ16×10×1.5cm※サイズはすべて実測・約です。

お求めは、実店舗 リビングショップおおたに 寄居/埼玉
パンカップどっとコム
パンカップ楽天市場店

日本は「和」の国。「言霊(ことたま)」の国。

2010-04-06 19:46:11 | 言霊(ことたま)
原口一博さん(総務大臣・地域主権担当大臣・衆議院議員)のツイートにこんなのがあった。とても気に入っていたので、いま探し出して【パンカップ店主のブログ】のカテゴリーに追加した。

『世界には善意もあれば悪意もある。悪意に悪意で応えてはならない。
悪意を人に向けたつもりでも、自分の向けた悪意は自分へも返ってくる。
日本は和の国。言霊の国。日本人らしく生きたい。たおやかに。穏やかに。』

10:34 PM Mar 20th webから 原口一博 総務大臣・地域主権担当大臣・衆議院議員

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