pampero-cafe

ラム酒を使ったコーヒーカクテルpampero-cafe。
pamperoはスペイン語で「草原を吹き降ろす風」の意です。

どの季節も全部好き

2005年03月30日 | ピンク
(トラックバック練習用)

まず、待ち遠しいのは春/桜。

夏もうんと暑いのがいいです。
(でも蚊は嫌い・・・)

秋もすごく好きです。
いい匂いがします。

冬は寒いけど、空が綺麗ですから。

どの季節にも、色や匂いや音や様々な感触があって変化があって、本当に素敵です。

ラジオ塔と電信柱

2005年03月28日 | 
だんな・・・、そりゃぁ、あたしは高さだって、色合いだって、スタイルの良さや、目立つのだって、ラジオ塔にはかないませんよ;

でも柱ですから。
柱には「頼りになる人」という意味もございます。

地味で取り柄がなくっても、
たいしたことができなくっても、
どんなヤツにも重要な役割があるんですよ、だんな・・・。

橋を渡る

2005年03月27日 | 
静岡市には町を南北に縦断する川があります。
市内を東西に大きく移動する際は、この川を渡らなければなりません。
朝夕のラッシュ時や休日は橋の上が渋滞しますが、車の中から写真が撮れたりします・・・。

橋の向こうに透けて見えるのが安倍川です。
川の水がほとんど無いように見えます。
この川は流水の大半が河床の下へ浸透し流れる「伏流水」です。
自然に地層によってろ過されるため「表流水」に比べて濁りが少ないそうです。

こうして川を渡るたびに、地形を分断し、空間を分け隔てる“川”は、人間の気質や感情に何らかの影響を与えているように感じてしかたありません。
そして川のこちらとあちらでは、渦巻くエネルギーが違って見える・・・ような気がするのです。
唯一「橋」だけが双方のエネルギーを少しずつ交流させ、均衡を微妙に保っているのではないだろうか・・・と。

窓から

2005年03月25日 | 
職場の窓から空を見ました。
外は風が強すぎて、まともに目を開けて歩けませんでした。

遠くの山は白く煙っています。
雪が降っているのでしょうか。

目の前の道路では、舗装を剥がして何かを埋める工事をしています。
人が便利に生活できる市街地では、地面は元々どんな土で、どんな草が生えて、どんな花が咲いていたのかなんて、全く想像ができないくらい、アスファルトやコンクリートに覆われています。
もっと大きな都市では、もう二度と太陽の光や風や雨と触れることのない地表が、その下に眠っているのですね・・・。

雨にぬれても

2005年03月23日 | 黄色
二日間、雨です。
空を見上げても灰色なので、地面を見て歩いています。

たんぽぽが、しっとりぬれてました。

『踏まれても
踏まれても
なお咲く
タンポポの笑顔かな』

尊敬する桂冠詩人の方が少年時代に読んだ詩です。
タンポポの根っこは、長いものだと地中1mにもなります。
深く張った根っこがあるから過酷な状況を生き抜いていけるのだそうです。

オレンジと紫の

2005年03月22日 | オレンジ
雲ひとつない晴天もいいですが、雲が漂う空もまた素敵です。
夕焼けに表情が生まれます。

オレンジと紫の境目。
絵の具でこの2色を混ぜたら・・・きっと変な色になってしまうでしょう。
小学生のころ、この世に二つとない綺麗な色を作ろうとして、あれこれ混ぜて、結局いつもドブのような色になってしまったのを思い出します。

草原に寝転んで

2005年03月21日 | 
柔らかい草が一面に生い茂る広場に来ました。
仰向けに寝転ぶと太陽が眩しくて目を開けていられないので、腹ばいになってみました。
セーターの網目を通って突き刺さる草がチクチクします。

小さな虫がたくさん飛んでいます。
鬱陶しくて、寝転んだまま転がって逃げました。
ゴロンゴロンと転がるうちに、土と若草の匂いで眠たくなりました。

草の高さで世間を見ると、周りのものほとんどが大きくて、自分ばかりが取り残されたような寂しさと同時に、大きなものから守られているような優しさを感じます。
みんな空へ空へ、上へ上へと向かっています。
ふてくされてうつ伏せになった私でも、草から見たら大きなカタマリ。

もうちょっとだけ、がんばってみようかな・・・

窓際のポトス

2005年03月15日 | 
花屋さんから「ライムポトスは良く日に当ててくださいね~」と教えてもらいました。
時々こうして窓際に移動させ、ブラインド越しの日を当てます。

昔、植物は水をあげてさえいれば自然に育つんだと思っていました。
でも、頂いたサボテンを枯らしてしまったとき、初めて、植物を長く育てるのって難しいな・・・と感じました。
観葉植物も、季節によって水のあげ方や肥料の回数、置き場所なんかも変えてあげないといけないんですね。

ポトス/科名:サトイモ科 原産地:ソロモン諸島
・・・ソロモン諸島!遠くからきたもんだ。
大きく育ってね。

去年のさくら

2005年03月14日 | ピンク
日本では、花と暮らすこと、花の近くに生活を置くことが、自然に行なわれているように思います。
切花を飾るのではなく、花の時季に合わせて、そこに訪れ、花を見ながらお弁当を食べたり、花の下でお酒を飲んだり踊ったり・・・。
桜の横にぼんぼりが並んでいても違和感を感じないのは、これが日本のスタイルだからでしょうか。

沖縄では先祖のお墓の前にお弁当を並べ、親戚みんなで酒を交わし歌ったり語り合ったりするのだそうですね。
お墓の大きさも一軒の小さい家ぐらいあって、初めて見たときは驚きました。
きっと命が一番の宝だとわかっているから、生きてる人はもちろん、亡くなった人との繋がりも、同じように大切にしているのですね。

馬岩

2005年03月11日 | 
黄金崎の遊歩道から見える景色です。
馬の頭に似た岩が、海に突き出ていました。

後で気づいたのですが、馬が目を細めているような筋(影?)が写っていました。
暖かくて気持ちがいいので、うとうとしているようにも見えます。

三寒四温・・・冬から春に向かう時の気温の変化をいいますが、先日の風も、今日の雨も、春へと変わっていく変化の様相なのだと感じます。

巾着袋

2005年03月10日 | 私の宝物
子供の頃の写真を載せました。

注目すべきは口元。
巾着袋の口をギュっと絞ったようなシワです。
後ろには文鳥の小屋があります。

忙しかったり、悲しかったり、自信をなくしたりしたときに、この絞った口元を見ると、少し気が楽になります。
そういう意味で、この写真は私の宝物の一つです。

古くて色あせた写真も、デジカメで撮り直せば、ある程度、再生できるんですね。
その点はとても重宝します。
先日も、祖父の写真をきれいにして母に見せてあげました。
母はとても喜んで、新しい写真たてに入れ替えて飾っていました。

春はピーコも眠い・・・

2005年03月08日 | ピーちゃん
ピーコは老婆なので、よく寝ます。
起床と同時に辺りをひとしきり飛び回り、
人の朝食のご飯粒をついばみ、味噌汁をすすり、やりたい放題。
しかし私が出勤する時間には、すでにエネルギーが切れて寝てしまいます。

台所にある壁掛けの鏡、その前に受け皿が突き出ていて、そこがお気に入りの居場所です。
直前まで、顔の痒いところを受け皿の縁にこすり付けていたのでしょうか。
うつ伏せの形で寝ていました。

ひとり手をふる

2005年03月06日 | 
晴れている時に撮ったのに、カメラの調整が悪かったのか、暗い感じの写真になってしまいました。
後から見返してみると「これもいいか」と思えます。

この時と今とでは、失ったもの、手に入れたもの、それぞれあって、
わずかだけど自分が変化していることに気づきます。
失うことも手に入れることも、どれも今の私には無くてはならないものでした。

今は、失ったものに手をふりながら、増えたものを抱えて走れるくらい、体力もつきました。

手の形

2005年03月04日 | オレンジ
夕焼けの雲が、手の形でした。

“手”に魅力を感じる人って結構いるように思うのですが・・・。
私もその一人です。
手相はまるでわかりません。どれが生命線でしたっけ・・・?何度聞いても忘れてしまいます。

でも手の相・・・形とか色とか動きとか雰囲気とか、それらは、人が生きて来た経過の中で作られたものなので、着飾っている外見に隠された「何か」を“手”は漂わせているような気がするのです。

私の手の平はとても黄色いので、いつも人から「みかん食べてる?」と聞かれます。
そんなに毎日食べてるわけじゃないけど・・・;