科学と宗教の共存

意識の覚醒を通して新たなる領域を書いてみたい。

理性から愛へと自己拡大を目指して

2017-04-20 10:57:11 | 日記
 理性から愛へと自己拡大するための方法について、
①理性の意識
②理性を観察する意識
③生命の意識
④愛の意識

 上記四項目のキーワードを示して、進めていきたい。
 まず、簡単にそれぞれの内容を書いてみる。
 ①の理性の意識とは、教育を通して身に付く知識思考であり、それは客観的、合理的、論理的などの性質をもっている。対象を見て聞いて考え語り行動することを通して身についてくる。
 ②の理性を観察する意識とは、外の見える対象を観察するのではなく、理性を身につけた我を観察分析して、理性の性質を客観的に理解する意識である。
 ③の生命の意識とは、単純に、心臓が鼓動し、呼吸し、血液が環流し、、生命の活動を実感する意識である。
 そして、④の愛の意識である。これは、①②③の意識を体験、通過して現れてくるイエス様の愛の意識である。
 各自が教育を通して理性の意識をまず身についてしまうので、①②③④と進む行き方がよいのではないかということで示しているが、人によっては、①③④も可能性はあると思う。
 
 ①の理性の意識では、ものごとを対象化して考え語る意識のために、理性自身を何かと考えることはない。これが②の理性を観察する意識の領域になると、こうしたことを考えるようになり、いろいろと気付いてくることになる。

 ②理性を観察する意識の収斂していく理解は何かというと、白紙の意識から理性的な思考が成長し、理性がつくっている知識を活用して、考え語り行動している主体としての我が理性的性質を体現しているのであるとの自覚である。つまり、客観的に考え行動する我自身を体現しているということにある。これは視点を変えると、客観的知識を取り入れて、それを当人が体現というかたちで現実化しているということにある。

 こう考えることができれば、次のステップである③生命の意識に比較的スムーズに入ることができるのではないかということである。
 理性の意識にあっても、創造の智慧、力が働いているのであると意識できると、生命の意識は分かりやすくなるし、身近に感じてくることになる。

 ただ、この時点では、まだ理性の支配力の中にあるので、理性的な考えの中で、理解を求めようとするのであるが、生命の意識では、自分の中に働いている、生命の活動、沈黙の活動を深く意識する、常に生きて鼓動している生命を身近に感じることからその実感が広がる世界である。

 そもそも、理性の意識では、意識が外に向いているため、生命の活動を深く意識することはない。しかし、生命を深く意識することを習慣化させると、これまでにない意識が出てくることになる。

 心臓は自分の意志とは別個に勝手に動いていると意識しているかもしれないが、身近に感じてくると、心臓が常に鼓動し血液が環流しているから、我は生きていれるわけであり、この意識から我とは生かされているという意識が自然に出てくるようになる。これが理性の意識とは異なる、生命の意識、愛の意識の出発点となる。