pacific0035'写真BBS

文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

二極化

2012年12月31日 06時36分55秒 | Weblog
 二極化。朝、起きたのが5時30分すぎ。
 今朝のETVは「さかのぼり日本史」を放映しているのかとチャンネルを選ぶと、さすがに暮れ特別番組。

 「塩こうじ」を用いた和洋おせち。
 タイミングは悪くはないが、しかし「今日の今では」などと考えたが、どうも10月中に放送の再放送らしい。

 女性二人の手順をながめながら、考えた。
 材料をくみあわせて、これぞという味をえらんで、素材のうまみをひきだしつつ、しかし見た目を箸をひきだす。
 その素材の組み合わせとその結果による効果の予測というものは、見事とおもった。
 
 それを視聴しながら、思った。
 家族のためにつくってみようという階層がある一方で、「おせち」はコンビニにも売っている。
 これを買ってくることは簡単で、しかも買ってくる人にはさまざまな事情がある。

 「おふくろの味」にかわる、「企業の味」。
 買ってきて食べるが問題ではない。買ってきたものを食べさせられる男の子にしても、女の子にしても、「親が作っていたのをみたことがない」の先には、「企業の味」を超える「おふくろの味」が生まれることになるのであろうか。

 おせちをつくることのできる階層。お金で買うことで間に合わせる階層。
 そのお金で買う「おせち」も、いまや老舗の割烹からホテル、百貨店業界。大規模小売店。はては、24時間開業のコンビニはオードブルで転用している。

 目安はなかにある「揚げ物」の比率。
 「つくっているヒマがない」、「つくらない」、「つくれない」の自主選択の域を逸脱。「つくれない」、「あることも知らない」となると、その行き着く先にある「味覚」「栄養のかたより」のうえに、「健康への懸念」はどうなるのであろうか。
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エルミネーション 広島

2012年12月30日 04時03分12秒 | Weblog
 エルミネーション 広島。2012年12月9日の夜景。位置は平和大通ということになるらしい。紙屋西でバスを降り、地下道を経て通りへ。
 

 説明によると、「『おとぎの国』をコンセプトに」とある。

 さらに「平和大通りなど広島市内中心部を焼く140万球の光で電飾」。中国電力、広島電鉄、広島ガスなどの出資による。

 「城や帆船など色とりどりのオブジェと、樹木へのイルミネーションが幻想的なメルヘンの世界を創り出す」うえに、「平和大通りでは、光の宮殿など14のエリアで『たいせつなもの』という創作物語に沿ってイルミネーションを展開」とも。

 2010年に続き2度目の歩行、お子たちは馬車の電飾で写真におさまりメルヘンの世界の主人公に。
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旧日銀ホール 岡山

2012年12月29日 05時36分59秒 | Weblog
 旧日銀ホール 岡山。国土地理院の2万5000分の一図をみていたら「旧日銀ホール」の表記があった。

 ネットで調べてみると、県が保存と活用にのりだした。

 建物自体は国の重要有形文化財に登録され、活用は文化振興しかし経営では収支バランス維持を優先している。

 日銀機能のひとつ公文書を保存する公文庫は「公文庫カフェ」として再活用。営業空間は300席の貸しホールとなっている。

 金庫は常時は閉鎖空間。職員の業務にゆとりのあるときは、希望すると案内していただけるようでもある。

 保存の建物には事務管理部門が保存されていない。活用がきまってから耐震工事と活用のための管理棟(写真 手前)を新設したようだ。

 管理棟新設の話は、案内してくれたタクシードライバーさんの説明。

 催事は頻繁におこなわれている。音響効果は?、と聞いたら、電車の音が入り込むことも。ま、音楽ライブでも「それが自然かと」と利用者も承知済みらしい。

 場所は一等地である。建物の前を電車が通過し、電亭もホールの前に。

 この日銀旧営業拠点をどうしようかというとき、あわせて路面電車の保存も検討対象になっていた。

 こと日銀の旧営業拠点について議論する時、第一義的には文化振興、しかし第二に経営収支バランスは維持、第三には前記二つを念頭におきつつ、中心街活性化の観点から路面電車も旧日銀営業拠点もどうするかを考え、結果は両方とも保存となったと、聞く。

 重要とおもうのは、この旧日銀営業拠点跡が岡山市内の「文化情報の交流拠点」になっている点。
 団体の活動情報と文化事業の成果が集約される機能は、取り組まれてもほどなく形骸化することが多いようにおもうけれども、そこが継続するとすればそこには「関与する関係者の熱意と努力」ということ、か。
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野付 キラク

2012年12月27日 16時53分15秒 | Weblog
野付 キラク。砂嘴で著名な半島。その先端部にあった集落。

12月4日、この集落についての勉強会が開かれた。DVDの視聴のあとには講演。

20名超の市民が出席。資料に記載された時代と内容、後世の近隣住民の記憶記録も紹介された。
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味覚劣化 コーヒーの味。

2012年12月26日 18時23分20秒 | Weblog
  味覚劣化 コーヒーの味。ここに来て、コーヒー専門店の選択が難しくなった。そうは、言えまいか。

 そもそもテレビのコマーシャルで説明する「違いのわかる男のインスタントコーヒー」や、コーヒーメーカーで落とした泡で風味を守り、「おいしい」というのは、本当か?。

 コーヒー専門店が豆を吟味し、店主の創意工夫で組み合わせたオリジナルブレンドを、厳密な温度管理のもと熟練のワザで落としてくれる店が少なくなった。

 ファストフード店がいかにも権威ありそうなコーヒーメーカーでドリップしてくれて美味しそうであるが、裏をかえすと若い先日採用したばかりのねーちゃんが、マニュアルに沿って製造、おいしい、低額と称して年季加算の職人のいれたコーヒーより高額で、あったり。

 ホテルも10杯分のコーヒー豆を12杯に落とすのかどうかは知らないが、それらしき味のコーヒーが「うまい」と思えたことが、きわめて少ない。

 そもそも、挽きたてがおいしい。挽いてから時間がたつと酸化がすすむとするコーヒー豆。吟味した豆を挽きたてで落とすコーヒーにくらべ、「インスタントでもおいしい」と人気タレントがシミジミ申すコーヒーの味は、信じがたい。

 最近の若者。缶コーヒーは呑むことができても、喫茶店でのコーヒーを呑むことができない、らしい。味覚の劣化。それを薦めているのは、コーヒーメーカー自体のような気がする。

 旅に出て、おいしいコーヒーにめぐりあうのは、至難のことになっている。言いすぎであろう、か。
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林えり子著『竹久夢二と妻他万喜』 岡山

2012年12月25日 06時48分52秒 | Weblog
 林えり子著『竹久夢二と妻他万喜―愛せしこの身なれど-』。 (ウェッジ文庫)

 竹久夢二が岡山県邑久郡の出とこのたび知った。群馬の伊香保にあった資料館はいかにという経過も、本書をつうじて判明したが。
 岡山・後楽園のほど近い、川をはさんで美術館がある。そこのミュージアムショップで本書を購入。

 妻・他万喜について「正当な評価」をというのが、本書の基盤になっている。著者の構想も評論家の評価もその点では一致。

 読んでいて主人公の妻を置いておき、夢二の交遊の広さ。
 20世紀初頭の社会主義者たちとの接触のなかで、画風が培われた点に意外さを。考徳秋水、大杉栄、神近市子らの名前がつぎつぎに登場。
 次の時代に登場する東郷青児らが、周囲にいたのだ。

 早稲田の近くの絵葉書店で店頭に立つ若い娘が他万喜。
 明治の女性にしては奔放に生きているようにみえながらも、他万喜のもつ描画の力が夢二を「育てた」の視点が、結婚、離婚、しかし同居の説明のしにくい女性の一生を紡ぐ糸と、言いたいのかも。

 ストーリーの展開の構造が、自然で説得力をもって展開する。豊富な取材、とりわけ当時、両人と直接交遊のあった人を通じての情報が、ストーリーを支えているの、感。 (ウェッジ文庫 2008年)
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米町ふるさと館

2012年12月25日 02時33分20秒 | Weblog
 米町ふるさと館。3連休の最終日。いただきモノの配達があって、「出かけましょう」ということになった。

 訪問先で聞かれたことのひとつ。「米町ふるさと館って、もとの商売、なんだったの?」。

 答えは以下のとおりとなるはず。
 米町ふるさと館は旧田村邸。その前身があって渡邉虎蔵商店。同商店は海岸線の漁村に生活物資を提供し、見返りに≪コンブ≫などを買い付けていた佐渡国出身のお店にして、棟梁は秋田県出身の建築物である。
 建物は明治33年に建てられたと記憶する、店舗兼住宅。移設当時の平成2年では市内最古の木造建築でもなかったが、今となっては市内最古ということにも、なるはず。

 保存当時は第三セクターの振興公社が管理しており、管理人にして喫茶部門を経営していたヒトは近くの住人。前述の「答え」部分を熟知したお方が「お守り」をされておられた。

 今はと聞けば、委託管理団体が移転し、当番にあたる人が交代で5キロ先、3キロ先から月に何度か交代でかけつけている、そうな。

 質問された方は申される、「たまに来訪者がくると、『私は派遣でよく知らないが、古い建物だから自由に見て言って』と、なるのだ」。

 話を聞いていて、思った。
 確かに保存したものである。住民が当時の市長に、「あなたはマチをキレイした。しかしそれは破壊の連続ではないか、ひとつくらいキチンと残しては」。新年交例会での提案が身をむすんだと、書いてある本がある。

 設置当初は、市外からの来訪者も多かった。近隣の住民も、時間ができるとかけつけて、管理人をあいてに「お茶のみ話」。それなりの売り上げがあり、維持する市の財政もそれなりに、余裕がまだ、あったことになる。

 で、昨今は「お荷物状態」になっているのかも。

 事情はいろいろある。が、建物を保存するとき、他方で活用の目的だけでなく、目的にそって維持の投資をするだけの「有意味」が必要であろう。できれば、維持の投資にみあった収入が場合によっては必要でもある。

 「米町ふるさと館」。その目的は、「建物の保存にこと寄せた地域の総合案内所」の役目がある。

 第一はトイレ。とくに冬場は公衆トイレも凍結を恐れてサービス停止しているから、有力なサービス提供源。

 第二は休息施設。周囲にある六寺一社まわりに、啄木歌碑めぐりの散歩者が、休息・データ整理に「喫茶一椀」の余裕がほしい。

 第三は「観光ボランティア」の活動拠点。
  どこに、観光ボランティア稼働の必要性があるの?。一帯には六寺一社の大手宗教法人が「甍(いらか)」を連ねる。
  固く門扉をとざした宗教法人も、聖域としてかたくなであるより先に、ガイドボランティアが引率するグル-ぷにかぎり扉を開いてはいかが?。
  宇治市。そこでは平等院には観光ボランティアの派遣はないが、黄檗宗の本山に「宇治市観光ボランティアガイド」の案内所があった。
 
 第四は地域のコミュニティ事業を数多く、ふるさと館で企画してはいかが。
  新年交礼会、ひなまつりにこどもの日、霧フェステバル、港まつり、菊の展示会、観風会、もちつき、除夜。もちろん地域の町内会が交代で作業をわけあう。
  当番にあたる町内会会員や宗教法人の職員は、それこそ「沐浴斎戒」=神事、信仰としても季節行事を企画することで門前町としての「たたずまい」を形式にとどめず、躍動する宗教法人を示す機会にしてはいかが?。「寺に参るモノが少ない」と、嘆いてばかりいないこと。

 熊本文化大学の鈴木学長はかつて、「これまでの『装置型』を、これからは『装知型」に変える」と申されたことがある。

 施設・設備の維持。権力とコストで論じても駄目なときは、文化で考えろと申す。その意味はどこにある。

 多分、「最寒三友」の松竹梅を、単に「めでたさ」「松が第一、竹が第二、梅が第三」と解する平凡さにあるのではなく、「冬に緑、雪に直立、寒に開花」の「清廉潔白」の非凡を解する市民が増えると、施設・設備はその保存意図以上に活用されるはずかと思うが、いかがであろうか。
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健康ダンス

2012年12月24日 15時19分53秒 | Weblog
 健康ダンス。マチなかで取り組まれている同好会。

 市内で10ヶ所、福祉施設やコミュニティ施設を使用して開催。週は7日で構成、ために重なることも多いのだそうで。

 マチ中のダンス人口は700とも800人ともと、言うことである。年のうち、開催がないのはこの26日から新春の6日くらいまでで、あとは連日開催。計算すると年に350日以上は開いている。

 歩くならパークゴルフもあるが、パークゴルフは冬季のプレイは屋外であるだけに難しい。それにくらべて室内でのダンスは、通年で可能。

 社交ダンスは競技化して、いまやスポーツの領域と言う。いまは、「スポーツだ、が」と関係者は申される。

 それまでの社交ダンスは風俗営業。ために開催の旅に警察と保健所の許可が必要であった、と。そこで考えた。ダンスを社交のためではなく健康増進のために、と。

 そこで警察と保健所の監視下から脱した。「それは、先輩の知恵」。なるほどね。リタイヤ後の参加者が多いそうである。

 昼下がり、ふと立ち寄ったお宅で、年末の反省会が開かれていた。そこでの見聞。

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タンチョウ 岡山

2012年12月24日 09時17分36秒 | Weblog
 

 タンチョウ 岡山。後楽園。正門 表口の近くにタンチョウの鶴舎=飼育舎があった。

 ここへ本市からタンチョウが送られている。確か、中国から受け入れていたツガイのタンチョウに欠損が生じ、代替に派遣されており、そのことがよすがとなって両市は友好都市となっている。

 後楽園が、どうしてタンチョウに思い入れる?。庭内を歩きながら「鶴鳴館本館」(かくめいかんほんかん)があるからには、御殿様がツルをお好みであったかと考えたが、本亭は「昭和25年山口県岩国市の吉川邸を移築したものです」と、ネットに記載。

 ただ、古代など古い時代には備前の国に、タンチョウが瑞鳥で存在したかも。

 鶴舎に6羽のタンチョウ。平成の生まれと表記があった。

 
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業務積算 エクセル

2012年12月24日 01時47分48秒 | Weblog
 業務積算 エクセル。エクセル表の計算機能を駆使して、日ごとに取り組む仕事にかけた時間の一覧表をつくってみている。

 最初は開始時刻と終了時刻を記載し、かけた時間を暗算で記載した。

 そのうちセルの表示に「時刻」というのがあって、SUM関数で減算をすることになり、児童計算をすることにした。そのうえで日ごとの業務種類ごとにSUMIF関数をつかって合計時間を週ごとに加算、さらには月別、年合計と積み上げてみることにしたのである、が。

 そこからうまく積算できなくなった。全然、数値が一致しない。暗算のうえに加算がよいものか。うーん。
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吉見俊哉著『大学とは何か』

2012年12月23日 15時56分16秒 | Weblog
 「大学は今後とも意味を紡ぎ続ける。それが可能であるためには、大学は「エクセレンス」と同時に「自由」の空間を創出し続けなければならない」(256p)。

 「大学とはメディアである。大学は、図書館や博物館、劇場、広場、そして都市がメディアであるのと同じようにメディアなのだ」(258p)。

 18歳人口の5割が大学など高等教育機関に進学する時代。それをユニヴァーサル時代と呼ぶらしい。
 その大学が揺れている。デジタル情報時代を迎えたこと、学生の習熟度が低下したこと、少子化時代を迎えたのに大学の増設が続いていること、大学教育が私学によって支えられながらも多くの大学が定員割れで存続の危機にあること。

 大学の現状を肯定したうえで「大学の未来」を論ずるのではない、書いている。
 そのうえでキリスト教との緊張のうえに誕生した中世の大学は、一度、死んでのち復活したのだと、述べる。

 その契機をルネッサンスと広範な印刷術の普及のその後で、出版を教官が書き、学生が読み、大学のもつ専門的な図書館が出版の半永久的収蔵庫となる役割、さらには大学自体が出版社をてがける(246p)ように、大学の存在と出版は密接な関係を構築している、とする。

 そのうえで、圧倒的なデジタル情報時代に転換する時代の局面で、多チャンネル情報時代に研究・教育・地域貢献は大学のみの専管事項でありつづけるのか、どうか。大学人である著者自体が自問自答しているように思える、が(岩波書店 2011年)。
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後楽園 岡山

2012年12月23日 05時14分44秒 | Weblog
 後楽園 岡山

  後楽園 岡山。 日本三名園のひとつとされるも、このたび足跡。

 水戸・偕楽園は1974年、金沢・兼六園は1998年かに。広島まではなんどもゆくも、岡山は広島-鳥取間の急行。特急の乗り継ぎをするだけで、改札は通過すること、なく。

 こちらの公園は、曲水と城なのかも。凝縮と言うより雄大の感。そして春夏秋冬の四季が色鮮やかに、かつ特徴的にということかも。

 なかに「井田」の訓。ついでは秋の風情。池に映える城。パノラマの展開。

 この公園。公園から城にすすむとよいのか、城から公園にすすむとよいのか。
 城から公園入りした今回の足取り。鶴鳴館。この建物を通過すると、最後に瑞鳥のタンチョウにお目にかかることができる。

 庶民は表口から入場?。殿様は城口から入園?。そう考えると、城見て庭へが、順路かも。
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備前焼体験 岡山城01

2012年12月22日 05時40分04秒 | Weblog

備前焼体験 岡山城。岡山城の2階。備前焼の体験学習コーナーがあった。そこのところ写真の撮影を失念してきたけれども、頂戴したリーフレットのなかには挿入情報があって、啓発に力をいれるとともに、リピータ市民の確保に貢献しているのかも知れない。

 こうした史跡の整備。整備後の初回は訪問する市民も、その後は親戚・知人の来訪でもないかぎり、城内に入場料をはらって入館ということもめっきり少なくなるのではないだろうか。

 城内には確かに体験の機会が設けられている。カフェ、大名・奥方衣装、駕籠。
 しかし、一番持続利用可能な岡山らしい体験。それは備前焼の経験と技術、出来栄えの満足感といった点で、市民が繰り返し訪問のよすがとしては、ここが一番の貢献度。そのように感じたのでは、あるが。

 残るは、お座なりのモノ見遊山か(笑)。

 順に天守閣のシンボル瓦、天守閣から後楽園、石垣の組み方構造、城内から月見櫓。
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音戸の舟唄(おんどのふなうた)

2012年12月21日 08時23分46秒 | Weblog
 音戸の舟唄(おんどのふなうた)。地域の持続的発展の観点から記載しておく。BSTVの見すぎかもしれない、が。

 番組が注目したのは

 「10歳になったら、人前で大声をあげてうたう」

 「10歳は成人=20歳の半分の歳になったら」
 
 「歌い始めることで地域に仲間に迎えられる」

 ネットによると、「音戸の舟唄全国大会」という催事もある。
 地元民のみではない。地元民以外からも呉市に、人はあつまる。

 以下の記載は「ひろしま文化大百科」による紹介。

 呉市警固屋と音戸町との間に、幅の狭いところは70メートルほどの「音戸の瀬戸」がある。呉湾と安芸灘を結ぶ近道のため、多くの舟がこの音戸の瀬戸を利用する。潮の干満につれて急流となり、海中に突き出た岩に当たって渦巻き、これを艪を漕いで乗り切るのは大変難しく、船頭泣かせの難所であった。その音戸の瀬戸を通り抜けていく舟を見て、いつ頃、誰が作ったのか『船頭 かわいや 音戸の瀬戸で 一丈五尺の 艪がしわる』の名文句が生まれ、今に唄い継がれてる。

 「土への思いれの強い」といわれる西日本。住民の地域に寄せる「思い入れ」を強固にして蓄積のシステムか、な。
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了徳寺 大根焚き

2012年12月20日 06時19分43秒 | Weblog
 12月9日、10日。大根焚き。こう書いて「だいこだき」と読むそうで。

 鳴滝。了徳寺 大根、塩、醤油、期間中3000本の大根、ポイントは油揚げ使用で、その味が旨みを豊富にするらしい。

 寒い時節に熱い大根。親鸞聖人、「なつかしや けふ鳴瀧の 大根焚」と、箸袋に。一万人の観光客が集まる京都の真宗寺院報恩講。
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