「生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要は無い」
上記の言葉はドイツの詩人ゲーテの言葉である。
本当にそうか? 私はそうは思わない。
同時代・同業から学ぶものは多いはずだ。
ゲーテがそう思うのであれば、彼の回りの友人はたいしたことがないと言うことだ。
さて前回は「人生の好敵手、飲兵衛編」「人生の好敵手、仕事編」と続いたが、
今回は「人生の好敵手、悪友編」を送りいたします。
タイトルと記事の内容はあまり関係ありません。
文の後先を考え自分で判断しながら読んでくださるようお願い申し上げます。
この男を初めて知ったのは、小学校6年の修学旅行です。
行き先は山形県湯の浜です、私は本校の小安小学校で彼は湯元分校です。宿での話しです、
例によって枕投げなどがあってその後布団をかけられ押しつぶされました。
私は小さかったが彼は大きかった、そのでかい奴に布団蒸しにされたのだ。
布団の中でじたばたしても、緩める気配など全然なく殺されるかと思った。
小6で140センチあったろうか? 彼はそのとき160センチはあったと思う。
それが中学校になったら一緒になった。でかくて乱暴な奴にはかかわりたくなかったが、
どう言う訳か彼には好かれたのだ。中三の冬休みには彼の家にA字君と泊まりに行った。
彼はそのとき自分の部屋があった、電気で感電して大笑いしたのを覚えている。
私は中三の春で153センチしかなく、18歳のとき身長が伸び始め現在170になった。
前回の仕事編の奴と同じで、なんで大工になろうとしたのか不思議だった。
これには彼もそう思ったらしい。いや同級生みんなが思っていたらしい。
進路指導で担任のサトー先生の影響です、男性25人のうち9人が大工になった。
私は21歳のとき実家に帰ってきた、彼は地元の棟梁に師事し職人になっていた。
例によって彼の家に遊びに行った。「湯に入るぞ!」といって連れていかれた。
最初は二人で湯につかっていたが、そのうち近くの母さんといったらいいのか
おばさんといっていいのか女性が入ってきた。そのとき初めて知った、ここのうちの
風呂場は共同で混浴だった。彼は「出るぞ!」と言って自分ひとり出てしまった。
困った状態になった、立ち上がれない、浴室につかったまま・・・・・・ふう~。
彼と遊びではいつも近くにいたが、仕事で一緒になったのは千葉県佐倉市です。
出稼ぎ先に、○治とQとまさか田舎の同級生が三人そろうとは思ってもいなかった。
○ 治のデストロイヤーに驚かされたがQも笑っていた、Qだって人のことを笑えない。
自分の“ギャラン”のフロントカバーを真っ黒に塗って真ん中より左側に「日の丸」
正確には日本の国旗をつけていた。自分では日本を代表する名ドライバーのつもりだろう。
私は彼の車に乗って懲りたことがある、運転が乱暴でハンドル操作を誤まり、
土手にぶつかって停止したことがある、殺されるかと思った瞬間があった。
よくカミさんが、彼の助手席に乗っていられるのかいまだに不思議だ。つづく。