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おやぢのためいき

お散歩写真とかそとねこ写真とか、ときどきおやぢミュージックありかも

インフォームド・コンセント

2005年10月07日 | 闘病記
去る10月1日。ついに件の件に関するインフォームド・コンセントが某医科大付属病院内でにぎにぎしく執り行われた。インフォームド・コンセントってば、手術についての「説明を受けた上での承諾」ってところか。
診断名は「頚椎症性脊髄症 頚椎椎間板ヘルニア」
この疾患に対して「頚椎前方固定術(C4/5間 C5/6間)」が行われるとの事。
しかるに、首を前方から横真一文字に5センチ切り裂き、切り口をこじ開けて、目前ののどチンコと動脈(静脈?)を左右に掻き分け、現れた7つある頚椎のうちの、4番目から6番目までの経年劣化により崩れ尖がってしまったエッジを削り、さらに各頚椎間のクッションとしては最早役立たずとなった椎間板を掻き出しつつ、そのままでは空洞となるその空間に、チタンのリングの穴の部分に先ほど削り取った骨を頚椎間の接着剤として詰め込んだものをスペーサーとして挿入した後、4番から6番までの3つの頚椎にまたがるチタンプレートを正面からあてがい、かつボルトにて固定、、、つ、、、疲れた。
これによって、椎間板からはみ出たヘルニアによって圧迫されていた脊髄が除圧され、かつ崩れかかった3つの頚椎も1つに合体!まずはめでたしめでたし、、、ともいかんのよね、世の中って、、、、

------つづく-------

昨日は

2005年09月21日 | 闘病記
頚椎のCTを撮りに行った。執刀医が書いた放射線科への依頼票には、はっきり「手術用」と書いてあった。そりゃあ確かに手術は受けますよ、ええ、そりゃもう。でも今まで頭の中はけっこう他人事感覚だったんよね。それがさ、あからさまに「手術」って文言見ちゃうとね、、そっか、、やっぱ、手術うけるんよね、ぼくって。

まいった・・・

2005年09月16日 | 闘病記
間欠的な痺れだった右腕だが、常時痺れ始めた。会社での職種は事務職。業務の大半はPCに向かっているが、この姿勢は最悪だ。処方された消炎鎮痛剤を飲むがこれが効かないばかりかまるで睡眠薬のようだ。こんなんで仕事続けていけるのだろうか。明日は土曜で担当は自分ひとり。休むわけにはいかないので明日の体調を慮って早退した、、が、、こうしてPCに向かってちゃあ、だみだにゃあ・・・

手術確定!!

2005年09月14日 | 闘病記
今日はこれまでの主治医から脊髄の専門医にバトンタッチされ診断を受けた。

曰く
「腰も悪いが、首はそれどころじゃない。狭窄症ばかりでなくヘルニアも出ていて、これなら日本中の医者の誰もが手術が必要と診断するだろう。具体的には3番から6番までが潰れかかっているのだが、前から切って、中でもひどい4、5番間のヘルニアを取り除き、スペーサーを入れて頚椎間の隙間を確保しつつ、4・5番をブリッジし固定。それによって3・6番に負担がかかるようになる為、将来そっちが駄目になる可能性もあり。この方法以外に前から切らずに後ろを4箇所切って一気にやっつけるという方法もあるが、両者に一長一短あり」

だいたいこんな感じであったとおもうのだが、、
想定の範囲内であったがやはり医師から「要手術」と聞かされば頭はすっかりまっしろけのけ。上記診断も、わかったようなわからんような・・
手術そのものについては、前述したようにもう観念しているので依存はない。
20日にCTをとり、それをもとに28日に手術について打ち合わせをしましょうという事になった。その折には病状や施術方法等納得するまで聞かなくちゃ、だわ。

そうそう、ひとつだけ今後の社会生活に直接影響のある術後の入院期間と社会復帰までの期間だけはしっかり聞いたんだった。もちろんケースバイケースだが概ね術後入院期間は2週間、社会復帰まで1月との事。主治医も同じ事を言っていたし、ネットで調べても概ねそんな感じだったのでひとまずほっとした。なぜなら昨年末、この症状が出始めたときに一番初めに駆け込んだ農協系総合病院の医師は「入院1月、社会復帰3ヶ月」と診断した。この医師には「死ぬのを覚悟で手術をしますか」とも言われた。あの医師の手術を受けたら、本当に命が危ないんじゃないのかな?

日増しに

2005年09月12日 | 闘病記
体が壊れていくやふだ。7年ほど前から365日24時間無休で痺れ続けている左腕に較べ、ここ一月半ほど前に始まった右腕の痺れは間欠的なものではあるが、利き腕であるだけに直接日常生活に影響が出始めている。たとえばまだ箸で物をつかむことはできるのだが、リストのスナップが利かないってえか、箸でご飯を口に掻っ込むってことが出来なくなっちゃったのだ。葡萄なんかも、一粒ずつ房から外して口に入れ、ングングと舌と上顎をもって実と皮を引き剥がし、而して後、舌先に乗せた皮をひょいと摘んで果物皿の端っこに、、なんて一連の動作がしんどくて、今、旬のそれを美味しく戴く、って気にはとてもなれなくなった。8ヶ月間、保存的治療という事で、週3~4回首の牽引に通ったが、その効果は左上腕部の痺れが若干取れたかな??つー程度、最早これまで!!こうなったらもう、やれ「ちゅうしゃ、やだ」だの「しりつ、こわいよ~~」などともほざいてらんない。手術やむなしっ!!

そんなわけで・・・

2005年09月11日 | 闘病記
本年初頭の○○医科大付属病院での診断は「頸部脊柱管狭窄症」というものだったが、今回念のためにと撮った腰のMRIで、新たに「腰部脊柱管狭窄症」という診断も加わった。これには参った。要するに背骨関連各方面全滅ってことで、これはもう軟体動物と化し、ヌメヌメと地べたを這って出社し、あるいはヌメヌメと日常生活を営まにゃあならんわけ?

いずれにしても、14日に同病院の脊椎専門医の、首の手術を視野に入れた診断を受ける予定だが、果たして新たに加わった「腰の脅威」によって、この治療方針はどういった方向に展開していくのだらうか?