日々是好日

日々感じた事、思った事、学んだ事を素直に。

許可

2015年04月27日 | 湧いてくるもの
最近、よく使うSNSのアイコンを変えてみた。
色んな写真を当てはめてみて、最終的に選んだのは
母校である大学に大きな虹がかかっている風景だった。

画面を開くたびに、なぜだかほっとする。



最近、自分の心模様を眺めていると
しんどい時、寂しい時にいつも思い出す人がいる事に気がついた。
大学時代の先輩。

おめぇはバカかと言いながら笑っている姿が浮かんで、なぜか癒される。


私の愛着基地はやはりあの場所にあるのだなぁとしみじみと思う。



なぜ先輩を思い浮かべるのか
さっきふと気付いたので残しておきたくなった。


先輩は、
私の未熟さを受け入れて、向き合って、甘えさせてくれたから。

端的に言えば、ただそれだけ。

何をしなくても、私の未熟さが時に苛立ちを与えたとしても
ただただ、有無を言わさず後輩として小さいものとして扱ってくれた。
わがままも泣き言もとりあえず耳を傾けてくれた。


その事が、あれから何年も経った今でも私を支えてくれている。

そう気付いた。


やはり人には、
色んな側面を表現して受け入れてもらう経験が必要で大切なのだ。と思う。


私の小さなものとしての側面は、先輩に受け入れてもらったことで存在を許され
今でも、その経験を糧にバランスを保とうとしている。



今大切にしている事、間違ってない。って思う。

2015年04月26日 | 日々のこと
今日は祖母の三回忌

春らしい良いお天気で
南向きに窓を大きくとってある祖母の部屋はとても気持ちが良かった。

あぁ、若葉が綺麗だなぁと思いながら、祖母に、祖父に、ご先祖に、回向した。



法要が始まってしばらく経ってから
窓の向こうに ひら ひら ひら と 美しく大きな蝶がやって来た。

鮮やかな青い翅に太陽の光が透けて、まるでステンドグラスのようだった。


おばあちゃんが来た。
そう思っていたら、同じ蝶に気付いた叔父や叔母達も「おばあさん来はったわ」って
お坊さんの読経そっちのけで蝶に魅入っていた。



さて、これからまた頑張っていこう。

宣言

2015年04月08日 | 思い至ったこと
私は何者にもなれない
と観念する事を、そろそろ自分に赦してあげようと思う。

諦めた。と言うのも何か違う気がする。
認める。と言う方がしっくりくるかな。


私は無から有を生み出す人になりたかった。
たった1人でも自分を信じて何かを始められる人になりたかった。

自立して自律できる人間になりたかった。


でも、どんなにじたばた足掻いて
頭で色んなイメージやアイディアをどれほど捏ねくり回してみても
それに対する情熱が湧き上がってこない。



…その理由が解ってきた。

私は自分の情熱から何かを生み出そうとしたわけではなくて
ただ、怖かっただけなのだ。



**


幸いな事に、私は人に恵まれていて
周りに多くの創造的な人がいる。

営利活動であれ、非営利活動であれ、何であれ
自らの信じるモノに依ってぐんぐん進んでいく人たちがいる。

その人たちについていきたかった。置いていかれるのが怖かった。
だから、私も同じように進みたかった。



皆と共に歩んでいきたい。
そう思えば思う程

いずれ必要とされなくなる時が来るのではないか。
私のせいで相手に迷惑をかけてしまうのではないか。
そんな声が聞こえてきて怖かった。
だから自分一人で満足できる場所や役割を創りたかった。


つまり私にとっての自立とは
恐怖を見ないようにするための手段だったのだ。

そりゃあ情熱なんて生まれようが無い。

勘違いしていた。
私が向き合うべきなのは、その恐怖の方なのだ。



**


私は0から何かを生み出せる人間ではない。
1人でも何かを始められる人間ではない。

もう、これはどうしようもない。
私の歓びはそこには無いのだから。


私の歓びは
他の誰かの創造をサポートする事にある。
他の人と共に居る時間や空間にある。

それは自分が無いコトと同義だと情けなく感じてきたけれど
結局は何に奉仕するかの違い、だけなのだ。
自分から生まれる情熱を何に注ぐかの違い、だけなのだ。

何に奉仕するか、何に注ぐかを決めるのは
どちらにしても自分自身なんだから、それで良い。


そんな自分の在り方が怖くてたまらないけれど
それはもう、どうしようもない。



私は、1人では何も出来ない自分を赦します。