日々是好日

日々感じた事、思った事、学んだ事を素直に。

遺したい

2013年07月18日 | 湧いてくるもの
2013年5月に祖母が永眠した。99歳だった。



祖母の死は、やはり、私にとって大きな事件だった。

あれ以来、どうも心が不安定だ。


祖母が生きて生きて生き抜いた事
そして
そんな祖母の死がとても豊かだった事が
大きな衝撃として心に残っている気がする。




祖母は数年前からパーキンソン病を患い
徐々に徐々に身体の自由が利かなくなっていった。

話すことが難しくなった。
文字を書くことが難しくなった
立ち上がる事も歩く事もできなくなった
ご飯を食べる事もトイレに行く事もできなくなった。


この間の祖母の気持ちを考えると、本当に苦しくなる。

自分の身体が徐々に徐々に思うように動かなくなるなんて
どれほどの苦しみだろうか。


それでも祖母はぼけなかった。
現実を生きるという事から逃げる事無く
最後まで、生きて生きて生き抜いた。

最期も
一番可愛がっていた孫が来てくれるのを待って
最愛の息子に看取られながら逝った。

病院のベッドで動くコトも出来ず
点滴や医療器械のチューブがたくさんつながれて
泣くほどの苦痛を伴っていても
それでも、自分の意志で生き抜いたのだと思う。


だからこそ
祖母の最期はとても美しく豊かだった。

もう会えない事は寂しかったけれど、それ以上に

祖母の心が、あのもう動かない身体から自由になれた事が嬉しかった。



通夜・告別式には多くの親族が集まった。

子供が5人
孫が10人
ひ孫が20人

それぞれの伴侶やその親族も集い、
祖母が生み出した大きな大きな流れに圧倒された。

とくに、
子や孫・ひ孫の中には皆、祖母のかけらが遺っているような気がした。




私は、これからどのように生き抜いていくのか

何を生み出し、何を遺すコトができるのだろう。



何かを遺したい

その想いが、その想いだけが

あれから私の中にずっとある。


未だに、何が遺せるのか分からないけれど。。