前の仕事に比べれば多少、時間に余裕ができてきたので、何かの拍子にたまーに昔を考えるときがある。思い起こせば、中学生くらいのころから論語にはまって、中学・高校と老荘思想が根本にあったように思える。特に論語だけではなく、徒然草なども好きだった。つまりは、表に出ないひっそりとした隠者暮らしに憧れていたきわめて変な子供だったと思う。それほど覚えているわけではないが、今でも、孔子のスパイスの効いた弟子への返し方は結構好きだし、徒然草の人生訓も結構いい得て妙なところがあると考えていて、未だに面白いと思う。(ちなみに、方向性は違うが、三国志、孫悟空、春秋戦国時代などを扱った中国文学も好きだった。)
基本的に無為自然を基本に据えていたと思う。今でも、流れにあまり逆らわずに流すのはそういった考えもあるのかもしれない(Outdoorが怒っても…)。
そういえば、高校ではインドネシアへの海外派遣があったが、応募もしなかった。応募してあの頃の自分が選考を通ったかはなはだ疑問ではあるが、確か親に応募しないのかと聞かれて「自分がいくより他の(やる気のあって将来海外で活躍する)人が行った方が有意義」とか答えていた気がする。
大学に入って学者並みの専門性を身に着けるべく勉強を心がけるようになって、そして自分を追い込んで仕事をするようになって、いつの間にか昔のことを忘れるようになった。その中で、今なら、もう少し貪欲に何事も経験するように考えるようになっている。
気が付けば、アメリカ、フランスと海外で暮らす機会も得たし、逆に言えば、海外で仕事をせざるを得ない環境に身を置いている。年齢とともに柔軟性や語学の習得力が落ちているのは如実に感じている。こうしたことから、翻って考えれば、あの頃、面倒くさがらずに海外でも経験を積んでおけば良かった、、、という反省の言で今回は終わります。
基本的に無為自然を基本に据えていたと思う。今でも、流れにあまり逆らわずに流すのはそういった考えもあるのかもしれない(Outdoorが怒っても…)。
そういえば、高校ではインドネシアへの海外派遣があったが、応募もしなかった。応募してあの頃の自分が選考を通ったかはなはだ疑問ではあるが、確か親に応募しないのかと聞かれて「自分がいくより他の(やる気のあって将来海外で活躍する)人が行った方が有意義」とか答えていた気がする。
大学に入って学者並みの専門性を身に着けるべく勉強を心がけるようになって、そして自分を追い込んで仕事をするようになって、いつの間にか昔のことを忘れるようになった。その中で、今なら、もう少し貪欲に何事も経験するように考えるようになっている。
気が付けば、アメリカ、フランスと海外で暮らす機会も得たし、逆に言えば、海外で仕事をせざるを得ない環境に身を置いている。年齢とともに柔軟性や語学の習得力が落ちているのは如実に感じている。こうしたことから、翻って考えれば、あの頃、面倒くさがらずに海外でも経験を積んでおけば良かった、、、という反省の言で今回は終わります。