前回9月に一回目の鬼平犯科帳ぶらり散歩を実施しましたが、今回「鬼火コース」を散策することにしました。
駒込駅から団子坂までの散策です。
まず駒込駅からスタートです。
駅を出てから、有名な六義園の前を通り最初の目的地の富士浅間社(富士神社)に向かいました。
此処は江戸時代から富士信仰の拠点として有名です。
富士浅間社をぬけて駒込神明宮(天祖神社)に向かいます。
次に向かったのが円通寺です。
円通寺は、臨済宗妙心寺派金剛山円通寺と言い寛永8年(1631年)御茶ノ水に創建されましたが、明暦の大火
でこの地な移転しました。
平蔵の母お園は本妻でない為、実家の菩提寺円通寺に墓がありましたが、平蔵は一度だけ墓参に行きます。
円通寺を出て向かったのが、僧侶の養成機関として、旃檀林(せんだんりん・駒沢大学の前身)をもち一千余
名の学僧が学び当時の幕府の昌平坂学問所と並び称された曹洞宗諏訪山吉祥寺です。
この吉祥寺は、太田道灌が江戸城築城の際長祥2年(1458年)和田倉門な創建、家康入府に際し神田台地の寺領50石を受け移転しましたが、明暦の大火後当地に移築されました。
山門をくぐると、参道は黄金の道でした。
道筋には、冬桜がきれいに咲いていました。
本堂が立派です。
吉祥寺から都内にある江戸五色不動の一つ目赤不動尊(南谷寺)に向かいました。
五色不動は、目黒不動(下目黒)・目青不動(太子堂)・目黄不動(平井・三ノ輪)・目白不動(高田)
とあります。
此処が、目赤不動です。
目赤不動から世尊院に向う道中で面白い物を見つけました。
浄土宗瑞泰寺と言うお寺ですが、象が鎮座しています。
はじめてこのような物をみました。
世尊院に来ましたが、此処は天台宗覚了山清淨寺世尊院と言い綱吉の側室お傳の方を開基として、三の丸
御殿を拝領して元禄8年(1695年)創建、寺領200石のご府内天台宗五個院室の一つとして有名だったそうですが、現在はその気配は感じません。
それでは最終団子坂に向かいます。
団子坂を降り切ると、不忍通りにでますがその先を行くとテレビなどで有名な指人形笑吉工房があります。
でも休業日でした。
ここで解散となりました。 13,704歩と散策でした。
駒込駅から団子坂までの散策です。
まず駒込駅からスタートです。
駅を出てから、有名な六義園の前を通り最初の目的地の富士浅間社(富士神社)に向かいました。
此処は江戸時代から富士信仰の拠点として有名です。
富士浅間社をぬけて駒込神明宮(天祖神社)に向かいます。
次に向かったのが円通寺です。
円通寺は、臨済宗妙心寺派金剛山円通寺と言い寛永8年(1631年)御茶ノ水に創建されましたが、明暦の大火
でこの地な移転しました。
平蔵の母お園は本妻でない為、実家の菩提寺円通寺に墓がありましたが、平蔵は一度だけ墓参に行きます。
円通寺を出て向かったのが、僧侶の養成機関として、旃檀林(せんだんりん・駒沢大学の前身)をもち一千余
名の学僧が学び当時の幕府の昌平坂学問所と並び称された曹洞宗諏訪山吉祥寺です。
この吉祥寺は、太田道灌が江戸城築城の際長祥2年(1458年)和田倉門な創建、家康入府に際し神田台地の寺領50石を受け移転しましたが、明暦の大火後当地に移築されました。
山門をくぐると、参道は黄金の道でした。
道筋には、冬桜がきれいに咲いていました。
本堂が立派です。
吉祥寺から都内にある江戸五色不動の一つ目赤不動尊(南谷寺)に向かいました。
五色不動は、目黒不動(下目黒)・目青不動(太子堂)・目黄不動(平井・三ノ輪)・目白不動(高田)
とあります。
此処が、目赤不動です。
目赤不動から世尊院に向う道中で面白い物を見つけました。
浄土宗瑞泰寺と言うお寺ですが、象が鎮座しています。
はじめてこのような物をみました。
世尊院に来ましたが、此処は天台宗覚了山清淨寺世尊院と言い綱吉の側室お傳の方を開基として、三の丸
御殿を拝領して元禄8年(1695年)創建、寺領200石のご府内天台宗五個院室の一つとして有名だったそうですが、現在はその気配は感じません。
それでは最終団子坂に向かいます。
団子坂を降り切ると、不忍通りにでますがその先を行くとテレビなどで有名な指人形笑吉工房があります。
でも休業日でした。
ここで解散となりました。 13,704歩と散策でした。
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