チャーリーの青空トーク

60を過ぎた頑固ジジイが、ライフワークの「姓名判断」と「幸福に生きるには」を勝手に語るブログ。

対アメリカ沖縄戦終結の日に思う。

2017-06-23 17:30:37 | 護憲・反戦・非暴力
今日は対アメリカ沖縄戦終結の日。6月23日を以って組織的な
戦いの終了。大本営も25日をもって沖縄地上戦の作戦(菊水
十号作戦)終了を発表。さらにその後約一か月に渡ってアメリ
カ軍の日本軍残存部隊への掃討作戦が展開されています。

日本軍66,000人 
沖縄県民を含む日本人民間人の犠牲者216,000人
アメリカ軍戦死・戦傷者86,000人

これだけの人が命を失い、傷ついた凄まじい「人間の業」です。

ここからは、帝国陸軍大元帥の話。

戦後開かれた極東軍事裁判の際日米開戦時の首相だった東條英
機の「我々は、陛下のご意志に逆らうことは有り得ないのであ
ります。」という証言があったそうです。同じく当時の帝国大
元帥の立場を物語る証言に、緒戦となる真珠湾攻撃「成功」の
報に接した時は、欣喜雀躍したそうです。至極当然です。

戦時中の天皇は主要な作戦には御前会議などで直接指令を発し
ていた、というのです。

という事は、当然沖縄戦の作戦発動の緒戦から作戦終了までの
間の状況は熟知して当然という事に・・・

軍事的・戦略的な専門家つまりは参謀職が務まるほどの知識と
経験は昭和の初期からの軍部の暴走を見ているので、かなり高
度な見識があったとするのは極自然な見方だと思います。

という事は、当然沖縄戦の一般県民・民間人をも巻き込んだ悲
惨な状況も数字を基にした報告と共に自分なりに思いを巡らし
たであろうし、理解していたでしょう。

で、なんで軍事的・戦略的な知識を持った大元帥が「沖縄戦」
を止められなかったのか?

いや、止められなかったのではなく、止めなかった。のか?

東條英樹が証言しているように、「陛下のご遺志に逆らう事な
どあり得なかった。」とすれば、止められなかったのではなく
止めなかった。とするのが正しい見方となるわけで・・・

チャーリーが言いたいのは、なんで沖縄戦の前の段階で終戦し
なかったのか? 大元帥が終戦の意思を発したならその方向に
動いたが、それをあえてしなかったのです。

何故か? たぶんイギリス・アメリカの戦争企業屋と天皇が繋
がっていたからだと・・・戦後天皇が極東軍事裁判で裁かれな
かったのもその証拠です。

そして終戦の時期は、ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下された
後と決められていたのでしょう。

1945年8月14日、畑俊六 永野修身、杉山元、3人の元帥は奉
答のあと、天皇より次のような御言葉を賜ったそうで・・・

畑元帥の記録によれば・・・
聖上にして神なる陛の御言葉は以下の如しである。
 
「更らにこのまま戦争を続くるに於ては、形勢益々悪化し、遂
に国家を救済することを得ざるべし。皇室の安泰については敵
側もこれを確約しあり。 天皇を武装解除の為に利用するとい
ふ敵の言論は放送なればこれを信ずべからず。皇室の安泰は大
丈夫なり、心配なきことと思ふ。」

という事は、
国民の命と財産を犠牲にした上での裏取引が出来ていた。


まぁ、1867年1月30日、孝明天皇が伊藤博文によって暗殺され
睦仁親王も殺され、大室寅之祐が京都明治天皇とすり替わった
という話?も在るようで・・・さらには、聡明な大正天皇の不
自然な崩御につながります。

それを考えれば身の保身と金儲けをヨーロッパの皇帝や王族の
ように真似しただけ。とも見てとれます。

以後は戦勝国アメリカの敗戦国日本への支配が72年間続いてい
ます。アメリカ支配の根っこはこんなところにもあるのかもし
れません。

日本が真の独立・自立を考えた時に、孝明天皇崩御の事実を明
らかにし、その上で天皇制の在り方も考えなくてはならないよ
うです。








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