道灌「当方滅亡!」
太田道灌最後の絶叫である。
「太田道灌」は文武ともに秀でた武将として、落語にもなっている。江戸の庶民にも人気があったのだろう。合戦に足軽を戦略的に活用したのも、道灌が初めてだった。毎日、江戸(館)城で訓練を怠らず、板東武者の典型的な武将だ。
しかし、その道灌も、都(京都)での評判が上がるに連れ、次第に風雅の道に勤しむようになり、文人などの出入りも激しくなったようだ。そうなると、彼を支える板東武者との間に隙間風が吹き始めた。秩父流平氏の一派である豊島氏は反旗を翻し、これを石神井城に追い詰め、滅亡に追いやらねばならなかった。
道灌も、主君である‘扇谷(おうぎがやつ)上杉定正’から、あらぬ疑いをかけられ、伊勢原の糟屋にある定正の館に招かれ、入浴中に誅殺されてしまう。
その時の絶叫「当方滅亡!」が、前述のものだ。定正の優秀な執事であった忠臣まで殺すほど血迷った扇谷上杉に「将来はない」と云いたかったのだろう。その後、定正も落馬して命を落とす。
落語と異なり、現実は生臭いものだ。
06.04.16